幸い、親の懐具合を充分に承知していた娘は、小学校から大学まで国公立に通い、塾にも行かず、通信教育も受けず、必要最低限の教育費しかかからなかったため、この教育保険は無事に満期を迎えた。ところが、90年代のバブル時代に契約した保険は、蓋を開けてみたらシュルシュルと萎み、みごとに元本割れしていた。私が苦労して払いつづけた保険料は、利潤を生むことなく、あのおばちゃんの人権費に消えてしまったのだろう。
娘は理系の大学に進んだものの、自分は研究者タイプではないと早々に見切りをつけていた。とりあえず数年間どこかに勤めて資金を貯めてから、好きな絵の道に進む、というのが当初の予定だったが、あいにくいまは100社回っても就職口が見つからず、就職浪人すらでるようなご時勢だ。卒論のための研究調査に4年次のほとんどを費やさなければならなかった娘には、その「とりあえず」すらままならなかった。同級生の大半は進学し、残りの多くは公務員になった。
進路に迷った娘に、切り詰めれば1年くらいなら教育保険で暮らせるよと伝えると、あれこれ検討したあげくに、娘はイギリスで児童書のイラストを専門に学ぶコースを選んだ。これまで学んできた生態学や生物の知識を生かしつつ、美術の世界でそれを表現してみたい。そうすることで、自然とかけ離れた暮らしをしている都会の人びとの目を、自然に向けさせたいというのが、娘の漠然とした夢のようだ。それで食べていかれる保証などどこにもないが、絵の勉強をする機会を一度くらいは与えてやりたい。初めて親元を離れ、異文化のなかで暮らせば、自分を試し、鍛えることにもなる。留学後、改めて進路を決めればいいし、そのころには不況がいくらか改善することだって、まったくありえないわけではない。一時期の景気に、生涯を左右されるのもばからしい。
実際、この円高もわが家にとっては幸運であり、2年前まで230円くらいだったポンドが、いまは140円以下になっている。最大の出費となる授業料は、送金するまでもなく、ポンドが比較的安い日にクレジットカードで簡単に決済されていた。教育保険で損をした分、いくらか取り返したかもしれない。
娘が日本を離れる日がいよいよ一週間後に迫っている。いまはインターネットがあるし、国際電話も無料でかけられるし、送金も簡単にできるし、航空券でもなんでもカードで買える。巣立ちの練習も何度かさせたつもりだし、山川捨松のお母さんのような覚悟はいらないはずだ。大丈夫、頑張れるよ。娘にも自分にも、そう言い聞かせている。
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