じつは娘が小学生のころ数年間ほど、幼なじみの友達も一緒に、遊び半分で英語を教えたことがある。私が大学で教わったとおりに、まずはリズムや音に慣れさせることを中心にし、そのとき教材に選んだ一冊がマリー・ホール・エッツの『もりのなか』の原書だった。他愛もない話なのだけれど、英語の教材にぴったりの単純な短い文ばかりで、白黒のシンプルな絵が不思議な魅力をかもしだす本だ。“When I went for a walk in a forest.”というリフレインが何度もでてくる。手で拍子をとりながら、抑揚たっぷりにこの箇所を繰り返すうちに、一語一語の意味はわからないまま、二人とも歌のごとくこれを覚えていた。子供はこうやって言葉を覚えるのかと、実感した一件だった。
大学受験も迫ったころ、少しでも英語の本を読ませたくて、ニック・ケルシュという写真家がレイチェル・カーソンの『センス・オヴ・ワンダー』にぴったりの写真を配した素敵な本を買ってやった。これは娘が初めて読み通したまともな英語の本で、見開きの写真の右隅に小さく印字されていた、“it is not half so important to know as to feel.”の言葉はよほど印象に残ったらしい。理系の大学をでたのに、研究者の道は進まず、進路を大幅に変えて絵本づくりの道に入ったのは、一つには周囲であまりにも多くの図鑑人間に出会ったためだったようだ。種の名前を覚え、見分け、自分が何種類の鳥を見たかということにばかり関心を向けがちな人たちは、自然を見て何か心を動かされることがあるのだろうか。逆に、人間社会やフィクションの世界にどっぷり浸かっている人が、現実に周囲に存在する自然に目も向けないことも思い知らされていた。
同書に、カーソンが甥と楽しむ、クリスマスツリー・ゲームという遊びがでてくる。それが娘のこの作品を生みだす直接のヒントになった。もっとも、実際には子供のころよく登った八ヶ岳で、登山道脇に極小クリスマスツリーみたいな針葉樹がたくさん芽生えているのを見たことがあった。のちに大学で植生を研究するようになると、娘は「林床には実生が多数ある」などと小難しい表現をしだし、一つのコドラート(区画)にどれだけ多様な植物があるかなどを調べるようになった。2年前、娘と二人で湖水地方を回った折には、あちこちの林でいろいろなサイズの若木を見ながら、話の筋を考えた。
原文を練った際には、親が知識としてただ子に教え込むことがないように、誰の台詞にするのか、どんな表現にするのか、同居していた絵本作家の卵たちと議論を重ねたそうだ。ページをめくるたびにでてくるリフレインは、大家のおばさんまで一緒になって考えてくれたという。訥々としていた娘の原文が、友人たちの力でリズムのよいきれいな英語になる過程を、メールのやりとりで見ていくのは刺激的だった。
ところが、出版が決まると、今度は編集者が各場面の科学的根拠から構図や全体を通しての人物の整合性、はては松ぼっくりの色まで、何度も細かい指摘をしてきて、そのたびにダメだしを食らった消しゴム判子が増え、刷り直し、スプレッド全体の数版のリノリウムの彫り直しまで、はてしない作業がつづいた。娘はその作業の途中で帰国したので、久々の暑さと度重なるやり直しにご機嫌斜めで、絵本づくりとはかくもたいへんなものかと思い知らされた。それでも、スイスの編集者はいつもユーモアたっぷりの励ましの言葉を忘れず、メールをもらうたびに娘はまた這いあがる力をもらっていた。アトランティス社にしても、こんなふうにまったく無名の外国人の作品を出版するのは初めてで、契約書を英文に翻訳するところから始めなければならかったという。紙の質感や色まで忠実に再現しようと努力してくれた出版社のおかげで、古風で地味ながら、読者が想像力を働かせる余地のある本ができあがった。
日本のアマゾン、紀伊国屋でも秋には取り扱ってくれるようなので、ドイツ語ですが、クリスマスに向けてよかったら読んでみてください。
娘の初めての絵本作品
話の筋を考えた湖水地方の林
ニック・ケルシュの写真付きの
『センス・オヴ・ワンダー』
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