今回、訳したブライアン・フェイガンの本は、人類が野生動物を家畜化した過程を推測しながら、それが人類の歴史をどう変えてきたかを考察するものだった。いろいろ考えさせられることばかりの本だったが、そのなかで遊牧民に悩まされつづけた趙の武霊王(在位前325—前299年)のことが触れられていた。中国は、最初の王朝である商(殷)の時代にステップの騎馬文化が伝わり、その商はステップの民である周王朝によって滅ぼされた。中国の古代王朝が内陸部にあった理由も、青銅器のデザインがユーラシア的である理由も、そう考えると簡単に説明がつく。馬はもともとステップの草原の生物だ。つまり、森林に覆われることがなく、農耕にも人が定住するにも不向きなだだっ広い土地を容易に確保できて初めて、馬の量産は可能になる。中国を支配した遊牧民出身の王朝も、その何千年も前から住み着いていた農耕民を肥沃な土地から追いだして、そこを馬のための牧草地に変えたりはしなかった。そのため、定住に適した中国国内では馬はつねに不足し、辺境の地で開かれる市で、農産物や工芸品などと交換に遊牧民から馬を買わざるをえなかった。こうした市が開けない不作の年がつづくと、遊牧民は穀物倉庫を襲撃した。趙は長城を築いてそのような襲撃に対処した国の一つだが、武霊王は保守的な官僚の抵抗をよそに、遊牧民の効率のよい乗馬服を着てみせ、二輪戦車主体の戦術を抜本的に変え、趙軍の戦力を大幅に改善したという。胡服騎射として知られるものだ。
胡服なる服装は、人びとが馬に乗り始めてからすぐにステップで発明された衣服で、「チュニックのような衣服を何枚も重ね着してベルトで絞めたものにズボン」を履き、それをブーツのなかに仕舞い込んだおかげで、乗り手は馬上で体をひねり動き回ることができ、膝で馬の動きをうまく操作することが可能になった。確かに、春秋戦国時代や秦・漢時代の将軍の絵などを見ても、トーガのようなロングスカート状の服に鎧を着込んでいる。これでは馬にまたがれない。チュニックにズボンと聞くといかにも西洋風だが、このズボンは袴(こ)と呼ばれていたらしい。そう、はかまなのだ。大国主命のような古墳時代の服も褌(はかま)と呼ばれ、足には皮履を履いていた。ズボンと革靴がのちに着物と草履に変わったあたりに、その後の日本の歩んだ道が反映されている。
ステップの遊牧民は、馬に乗って高速で移動しながら振り向きざまに矢を射ることができた。パルティアンショットと呼ばれるこうした騎射は、5世紀初頭の高句麗の徳興里古墳や舞踏塚古墳などにも描かれている。高松塚古墳とキトラ古墳と似た服装の人物が描かれていることで知られる古墳だ。そうなると日本の流鏑馬はどうなのか、気になるところだ。流鏑馬の起源は9世末ごろと言われる。運よく鎌倉八幡宮で9月に流鏑馬神事があったので、締切りは気になったが、でかけてみた。両側に観客がずらりと並ぶ細長い馬場を、華麗な狩装束をまとった射手たちが馬を襲歩で走らせながら側方に設置された三つの的めがけて射る。境内のなかで全体が見通せないが、間近に見るとかなりの迫力だ。弓は弓道のものより若干、短く軽いようだが、それでもモンゴル兵の弓などにくらべるとずっと長い。馬乗袴に夏鹿毛の行騰(むかばき)という、西部劇でカウボーイが脚につけるチャップスに似たものをつけている。バンビのような白い斑点のある鹿革(これは子鹿というわけでなく、夏毛なのだそうだ!)は日本のものとしては意外な気がしたが、実際にはむしろ江戸時代が特殊だったのかもしれない。足先はよく見えなかったが、物射沓(ものいぐつ)というなめし革に黒漆を塗ったブーツのようなものを履いていたらしい。
馬について知りたいと思い、乗馬クラブの試乗キャンペーンにも参加してみた。じつは高校時代にアリゾナのキャンプ地で地元の若者と一時間ほど野山を走り回った経験がある。引き馬以外に乗ったことのなかった私は、落馬するまいとしがみつき、両腿内側に巨大な青あざをつくった。今回の乗馬クラブでは親切なトレーナーから、馬は走ると体が上下するので、歩くとき以外は鐙の上でタイミングよく立ち上がって腰を浮かすのだと教わった。流鏑馬でも射手は同じ位置を保ちながら、脚だけで馬を制御し、次々に矢を番えなければならない。相当な訓練を積まなければできない技だ。ところが鐙そのものがかなり後世の考案物で、4世紀初頭の中国北部の陶馬俑が最古の物証と言われるので、スキタイ人やパルティア人は鐙なしで、膝で馬を締めつけてこの離れ業をやってのけていたことになる。日本に朝鮮半島から馬が渡ってきたのは5世紀ごろで、最初から鐙付きだった可能性がある。馬との関係一つをとっても、狩りや軍事関連に留まらず、驚くほど多くの人類史が見えてくる。じつにおもしろい。
鶴岡八幡宮 流鏑馬神事
にんじんキャンペーンで試乗させてもらった
乗馬クラブクレイン神奈川
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