私を含め、大多数の人は、ものづくりだろうが商売だろうが、スポーツや芸術だろうが、学問や研究だろうが、平和な世の中だからこそ意味のあることに従事している。いざ戦争になって、身一つで逃げなければならなくなったら、これまでのあらゆる努力が水泡に帰してしまう。夫や父や息子を置いて、小さな鞄だけをかかえて隣国に逃げださなければならなかったウクライナ難民は、すでに350万人を超えるという。その大半を受け入れているポーランドは、いったいどうやりくりしているのか。
先行きが見えず、もやもやしたなかで、FB友の方に勧められて、武井彩佳氏の『歴史修正主義:ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで』(中央公論新社)を借りて読んでみた。歴史研究に少しばかり足を突っ込み、自分で一次史料を読んでみた結果、従来の通説にいくつもの疑念をいだかざるをえなくなった私としては、自分のそうした主張も、歴史修正主義と呼ばれるものなのか、ずっと気になっていた。本書を読んで歴史修正主義と非難されるものの定義がよく理解できたことは、その意味でも大きな収穫だった。
「歴史家は誰もがその時代と環境が産み落とした子どもに過ぎず、自分が属する社会集団や文化によって規定される枠組みのなかでものを考えている。[……]これに加え、私たちの思考そのものが言語による制約を受ける」という、著者の歴史にたいする認識は、私がこれまで感じてきたことそのものだ。「歴史は単数ではなく、常に複数であり、また固定的な歴史像というものは存在しない。歴史は常に〈修正〉され続ける運命にある。また、歴史的〈事実〉はある程度確定できるが、歴史的〈真実〉がどこにあるかを知ることはできない」という説明も腑に落ちた。
ホロコースト否定論に大きな焦点を当てた本書の内容は、南京大虐殺を否定したり、東京裁判を批判したりする同種の主張の欠陥を炙りだすうえで役立つだろう。実際、パル判事が「事後法」だと主張した件については、いろいろ関連資料を読んでみたいと思っていたので、いまだに蒸し返される戦犯問題を考えるうえでじっくりと読み直してみたい。
しかしそれ以上に、いまの私には、ホロコースト否定論が極右の台頭とともに増え、とりわけユーゴスラヴィア内戦でドイツへ大量の難民流入があった1990年代初頭から盛んになったという指摘が印象に残った。その一方、東欧の旧ソ連衛星国が「ヨーロッパ人」のアイデンティティを確立するうえで、「共産主義体制へ抵抗した事実が、正統性の根拠とされた。[……]西側の自由主義的な価値観を進んで受け入れる意志が示され、その歴史観に大きく接近する。[……]旧共産圏の国々は二〇〇四年以降、順次EUへの加盟を果たしていくが、東欧諸国が西欧諸国とともにホロコーストの歴史を共有していることが、皮肉にも彼らがヨーロッパの一部であることの証となった」という指摘も興味深い。
歴史はこのようにつねに政治と密接にかかわるが、国の歴史を国民に共有させ、国民であることを誇れる歴史を提示することは、どうしても歴史修正主義につながりやすい。しかし、「長期的に見ると、自国民のみが満足する歴史は、将来の選択肢をせばめている」と本書はその点を明確にし、ジョージ・オーウェルの『1984年』にも言及する。この小説のなかで、主人公のウィンストンは全体主義的な国で党の命令を受けて過去の改竄を行なっている。『1984年』は数十年前に読んだきりなので、また読み返さなくてはいけない。「現実に起こったことがビッグ・ブラザーによる予言と計画に合致するように、過去のニュースを日々書き替えている」と、武井氏は説明する。
折しも、「プーチンの意味不明な言説は『1984』で読み解ける」というマーク・サッタ氏の記事を読み、ニュースピークさながらに彼が戦争活動を「平和維持活動」と銘打っているという指摘に苦笑してしまったが、「ホロコースト生存者の孫でユダヤ系のゼレンスキー大統領について、政府転覆や彼の殺害さえ目論みながら、自身はウクライナの〈非ナチ化〉に尽力しているとのたまう」というくだりでは、ちょっと待てよと思った。
2014年のマイダン革命の前後からウクライナの極右組織が台頭し、かつてのウクライナ蜂起軍を想起させる赤と黒の旗を掲げる右派セクターや、ナチスの親衛隊などが使用したヴォルフスアンゲルのシンボルを掲げたアゾフ大隊(現在は連隊もしくは軍Forces)などが大きな勢力となっていたことは、BBCやガーディアン紙、ドイチェ・ヴェレ、カナダのデジタルメディアVICE、フランスのフリーのジャーナリストなど、いくつもの欧米のメディアによって報道されてきた。だが、その多くはウクライナ東部で2014年からつづく悲惨な内戦に関する2018年までの報道ばかりで、私が見つけた最新のものはタイム誌が2019年夏に取材した動画だった。
右派セクターが祖国の英雄視するステパン・バンデーラのウクライナ蜂起軍は1943年から45年にウクライナのヴォルィーニ州、ガリツィア州東部などで数万人のポーランド人虐殺に関与したという。2014年に書かれたキャノングローバル戦略研究所の研究主幹、小手川大助氏の「ウクライナ問題について その3」という驚くほど詳しい報告書には、このバンデーラが1948年4月に今度はイギリスのMI6に採用されて、ソ連邦内における破壊活動に携わり、1959年にKGBにより暗殺されたと書かれている。何やら映画『007』のようだが、事実は映画より奇なり、なのだろう。小手川氏のこの一連の報告書を読むと、海外のニュース動画で見た断片がよく理解できるようになる。
ロシアの脅威と蛮行を前に、ウクライナのネオ・ナチについて語ることはタブーになったのか、2019年にゼレンスキーが大統領に就任して以降、ウクライナの非ナチ化はすでに達成されたのか、まるでそんな勢力は存在しなかったことにされている。いまやマーク・サッタ氏が言うように、プーチンのこの発言は笑いの種にされているが、実際には、「現在の政治に合わせて過去が書き替えられてゆく」『1984年』さながらの作業は、言論の自由や民主主義を標榜する先進国の主流メディアでも盛大に行なわれているとしか言いようがない。
アゾフ大隊の創始者のアンドリー・ビレツキーは、2014—2019年までウクライナ議会議員だったが、2019年の選挙で議席を確保できず、現在は「アゾフ軍の最高司令官」としてマリウポリでロシア軍や親露分離主義者と死闘を繰り広げている。3月18日にYouTubeで公開された動画で彼自身が語るところによると、マリウポリは2014年のロシア侵攻時に奪われなかった、ウクライナ側のドンバスの象徴となり、死守しなければならない都市だったそうだ。人口43万人ほどという大都市のマリウポリを、ロシア軍があれほど破壊する必要がどこにあったのかと唖然としたが、その意味がいくらかわかった気がする。後世の歴史家は、この紛争をどう読み解くのだろうか。
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