大晦日の昨夜は、昨年と同じ近所のお寺まで娘一家とともに除夜の鐘を撞きに行った。6歳の孫はちゃんと昼寝をして夜に備え、帰宅したのは1時半ごろだったのに、往復とも夜道を元気に歩いた。昨年はコロナ禍の名残だったのか、缶入りの甘酒が振る舞われていたが、今年はちゃんとお鍋で煮たもので、娘の絵本『じょやのかね』そっくりに、「あついから きをつけてね」と孫はお寺の方から声をかけられ、「あまざけの ゆげで ほっぺた」を温かくしながら飲んでいた。近所の人たちは三々五々に集まり、こじんまりとした和やかな雰囲気のなか交代で鐘を撞いていた。108個用意されていたと思われる銀杏は、参拝客の波が途絶えたあとも、まだいくらか残っていた。
娘と孫が長々とスケッチを始めてしばらく経ったころ、本堂で読経が始まった。しばらくは銅鑼を叩きながらの読経だったが、そのうち二人の僧侶が蛇腹折りされたお経を高く掲げながら、右から左へ、左から右へ大きくパラパラと動かしながら大声でお経を唱え始めた。初めてみる光景に孫は釘づけになり、お賽銭箱に貼りつくようにしながらその様子をスケッチしていた。臨済宗の転読というお経らしい。ときおり聞こえる短い叫び声は「喝」だったのかもしれない。帰りがけに見せてもらったら、えらくよく描けていた。出がけに、除夜の鐘の場面を描いたコラージュ作品を「全部、糊だよ」と得意そうに言いながらプレゼントしてくれたのだが、それもじつに上手だった。小学校に上がる年齢というのは、子どもが大きく成長するときであるようだ。
昨夜は就寝したのが遅かったので、面倒だなあと思いつつ、今朝は早起きして頑張って近所の公園まで初日の出を見に行った。昨秋、この公園を平たく改造する計画がもち上がり、反対したこともあって、高台からの初日の出を拝んでおかねばと思ったからだ。途中、犬の散歩をする人などがちらほらいて、元日の早朝にしては人が多いなと思ったら、どうやらみんな同じ公園を目指しているらしい。頂上に着いてみたらすでに数十人が南東を向いて待っていた。親子連れ、老夫婦、中高生、若者など、まさしく老若男女と犬たち。最終的にはおそらく80人くらいはいたと思う。この景観を守った一人として、初日の出以上に心を強く動かされる光景だった。
公園を出たところで、若いお兄さんが落ちているゴミを拾い上げていた。思わず「ありがとう!」と、声をかけたが、ふと見ると、道路上にファストフードのゴミが点在している。一緒に拾い始めると、「僕、もって帰りますよ」とまで言ってくれたが、自分の分は家までもち帰った。暗いニュースばかりがつづくが、世の中まだまだ捨てたものではない。
暮れに、黒豆、きんとん、松前漬だけはつくり、いくらかお節料理を用意はしていたが、朝は面倒なのでいつものトーストにしながら新聞(毎日)を広げたら、デジタル技術を活かして市民が自由にネット上で意見交換できる直接民主主義の方向へ、一歩踏みだす試みが始まっているという一面のトップ記事が飛び込んできた。ちょうどいま民主主義に関連したテーマの本を訳しており、昨秋は公園絡みで横浜市の「市民からの提案」を利用したばかりでもあったので、興味深く読んだ。
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