2025年4月25日金曜日

モペットねこちゃん

「ママが訳したモペットねこちゃんが見つかったよ!」  
 2週間ほど前、姉宅で孫のピアノのレッスンに付き合った際に、姉から懐かしい小さな本を手渡された。母はとくに英語が得意なわけではなかったが、私たちが子どものころ、ときおり日本橋の丸善に行って外国の絵本を買い、そこに鉛筆で訳文を書き込んでくれていた。

  ベアトリクス・ポターのこの作品は、石井桃子訳で『モペットちゃんのおはなし』(1971年)としてよく知られる。この原書は私が幼児のころからうちにあったと思うので、母が購入したのは邦訳が出る以前のことだろうと思う。東西線の東陽町−西船橋間が開通して、日本橋や銀座に簡単に出られるようになった1969年3月ごろだろうか。

 母の訳文で読んだ絵本は、母の口調そっくりだったせいか、どれも記憶に深く残っている。レオ・レオニのLittle Blue and Little Yellowは、母訳では「あおちゃん、きいろちゃん」とジェンダーレスだった。藤田圭雄訳の『あおくんときいろちゃん』(至光社)は1967年刊なので、原書を購入した当時、邦訳が出ていることに気づかなかったのかもしれない。レオニの『フレデリック』(好学社、1969年)は谷川俊太郎訳のものがうちにあったと思う。父が訳した本も1冊あったと思うし、脳溢血で倒れた祖父がリハビリを兼ねてドイツ語から訳してくれた本もあったが、どちらも読みづらかったせいか、あまり好きではなかった。  

 鉛筆書きの訳文は、私の娘や、甥・姪たちが代々読んだためか、薄くなって読みづらくなっていたが、置き手紙などの走り書きでも、決して崩れることのなかった母の字で綴られていた。訳文を残しておくためにスキャンしてPDF化した折に読み返してみたら、原文に忠実ではないものの、癖のない、それゆえに古臭くない、読みやすい翻訳になっていた。 

 石井桃子の翻訳作品は総じて古めかしい。ブルーナの『うさこちゃんと うみ』が好きだった孫は、しゃべり始めてまもないころ、「ちいさ さこちゃん うみ いくわ〜」と、石井桃子の訳文そっくりの口調でよく真似ていた。モペットちゃんはどんなふうに訳していたのかと検索したら、福音館から2ページ分だけが公開されていた。ちょうど母が誤訳していたページでもあったので、青空文庫のおおくぼゆう訳とも比べてみた。ネット検索中、早川書房から2023年に川上未映子による新訳が出ていることも知った。訳文の比較などめったにやらないのだが、この際だから比べてみようかと、新訳を図書館から借り、福音館の石井桃子訳も先ほど姉から借りてきた。  

 原文では3ページにわたって「THIS is」という言葉が繰り返される。最初はモペットちゃんの紹介、2回目はねずみの紹介、そして3回目は再びモペットちゃんの話だが、ややくどい。そのため、石井訳は2回目まで「これは」を繰り返し、大久保訳は初回を「このこは」、2回目を「こちらは」と変化をつけ、3回目は両者とも省略している。母は初回のみ「これは」と訳し、2回目からは省略していた。川上の新訳は原文にかなり忠実に、3回目に当たるこのページも「これは」と訳していた。 

 原文には姿の見えない語り手がいて、現在形と現在完了で状況が簡潔に説明される。日本語ではお話は過去形で語られることが多いので、石井桃子と母は構わず過去形に直してしまい、大久保訳、川上訳は現在形を活かそうと試みていた。やや淡々とした原文に臨場感をもたせようと、擬音や感嘆符、「〜しまう」、擬音語止め、活動弁士風のナレーションなど、それぞれに工夫が凝らされている。だが、やり過ぎると原文の文体を損なうし、鼻にもつくうえに、訳文がやたら長くなる。あれこれ考えたうえで、私も訳してみた。結果的に母の訳とさほど変わらないものとなり、自分の言葉だと思ってきたものは、母の言葉だったのかと、いまさらながら気づかされた。 

 原文:THIS is Miss Moppet jumping just too late; she misses the Mouse and hits her own head. 

 石井訳:モペットちゃんは、ねずみにとびかかりました。でも、ちょっとおそかった! ねずみはにげてしまうし、モペットちゃんは、あたまを とだなに、こつんと ぶつけてしまいました。 

 大久保訳:モペットちゃんが とびかかるも とき すでに おそし。ねずみを とりにがし、おまけに あたまを ごつん。 

 川上訳:これは、とびかかっているモペットちゃん。でも、まにあわなくて、ねずみをのがしてしまったうえに、頭をぶつけてしまいます。 

 母訳:もぺっとちゃんは とびかかりましたが、おそすぎました。ねずみをつかまえられず、おまけに あたまをうちました。 

 拙訳:モペットちゃん、とびかかりますが、ちょっとおそすぎました。ねずみを にがしたうえに、あたまを ぶつけてしまいます。  

 公開されていたもう1つのページは、最後の「not nice of …」を母が勘違いしたところだが、全体を通して、明らかな誤訳はここだけだった。このページの原文はやや複雑な構造で、モペットちゃんの心理を語り手が間接話法で伝える中間部分の「will」の処理に、訳者はそれぞれに頭を悩ませたようだ。石井と母は、モペットちゃんの意志を、モペットちゃんの言葉で語らせることで伝える方法をとったが、大久保・川上両名は客観的な表現に変え、その結果、「だまそう」、「しかえしをしよう」という、ちょっときつい言葉になっている。モペットちゃんの言葉にしたほうが、日本の幼い読者にはよくわかると思うが、そうするとナレーションである冒頭部分とのつなぎが悪くなる。冒頭部分もモペットちゃんの言葉にした母の訳し方もありと思うが、ここは石井訳のように2文に分けるほうが賢明と思う。英語の「tease」は通常「からかう」程度がぴったりの言葉だが、猫がネズミを捕食することを考えれば、「いじめる」と訳すのは悪くないアイデアだと母の訳文を見て思った。 

原文: AND because the Mouse has teased Miss Moppet – Miss Moppet thinks she will tease the Mouse; which is not at all nice of Miss Moppet. 

 石井訳:ねずみは、さっき、モペットちゃんを からかいました。だから、こんどは、じぶんが ねずみをからかってやる——と、モペットちゃんはかんがえました。そんなことをかんがえるなんて、モペットちゃんのやりかたは、あまりかんしんできませんね。 

 大久保訳:なんと これまでだしぬかれていた モペットちゃん——とうとう じぶんから あいてを だまそうとしたのです。まったく いじわるな モペットちゃん。 

 川上訳:ねずみにからかわれたモペットちゃんは、しかえしをしようと考えているのです。でも、そんなことをするなんて、かんしんできませんね。 

 母訳:ねずみはまえに わたしのことを いじめたんだもの——こんどは わたしがねずみを いじめてやろうと もぺっとちゃんは おもいました。こうかんがえたことが しっぱいだったんですよ。 

 拙訳:そもそも、ねずみがモペットちゃんをいじめたのです。こんどはこっちがねずみをいじめてやろうと、モペットちゃんは かんがえます。そんなことは、ちっともいいことではありませんが。  

 細かいことだが、頭をぶつけたモペットちゃんがかぶる布、dusterは、ダスキンのように家具を拭いたりする雑巾も指すようだが、頭にかぶるからには、グラス磨きなどに使う布巾と考えたほうがよさそうなので、大久保・川上訳で使われていた「ふきん」が正解かなと思う。石井は「きれ」、母は「ほこりよけ」としていた。私が記憶する限りでは、母はコンサイス英和辞典のようなもの1冊しかもっていなかったので、想像力を働かすしかないこともあっただろう。 

 最後にねずみが戸棚の上で嬉しそうに踊る場面は「he is dancing a jig」となっており、母は「ジーグをおどっていました」と訳していた。ほかの訳者たちは、アイルランドやスコットランド起源のこの軽快な踊りは、幼い読者には意味が通じないと考えたのか、ただ「おどりをおどっていました!」(石井)、「たったったっと ひとおどり!」(大久保)、「のりにのって、ダンスをひろうしています」(川上)などとなっていた。英語でジグと短く発音するこの踊りは、jigueと綴るとバロック音楽舞踏形式のジーグになり、母はピアノ曲から「ジーグ」のほうは馴染みがあったので、そう訳したものと思われる。動画を検索してみると、それこそねずみが踊りそうな踊りで、私なら「小躍りしています!」と訳すかもしれない。  

 短いお話の、ごく一部を比較検討しただけだが、私たちには「モペットねこちゃん」の話だったものを、言葉を教えてくれた母の訳文で、改めて味わうことができたのは幸いだった。今日は母の2回目の命日だ。いまだに最後の日々を冷静に振り返ることはできないが、母のいない日常には慣れてきたように思う。


左:The Story of Miss Moppet原書、右:早川書房から出た川上未映子による新訳

母が書き込んでくれた訳文

2025年4月17日木曜日

万屋の日々

 また長らくブログを放置してしまった。この間、何とも多忙で、確定申告をはじめ次々に雑用をこなしていたうえに、3月後半は体調も悪かった。熱は最高でも38度前後だったが、咳がひどく、息苦しさもあったのでさすがに心配になり、近所のクリニックを受診したところ、大きな病院に回され、CTまで受けたが、結局は肺炎の治りかけとの診断で、抗生剤も処方されず、散財して終わった。  

 その間も卒園式にお墓参り、姉のリサイタルとあちこち出かけ、娘も細々とした仕事で多忙だったので、月末まで幼稚園の預かり保育のお迎えもあった。3 年間つづけたこのお迎えは、重たい電動アシスト付き自転車に乗って、急坂を上り下りしなければならないもので、雨の日や雪の日は徒歩で孫と延々と歩くことになった。それでも、具合が悪くて行けなかった日もなく、無事故のままお役御免となった。年少時にはブランコを漕ぐのもぎこちなかった孫も、年長時には帰り際によく園庭で高く漕ぎながら延々と乗るようになった。同じ時間にお迎えがきた友達と一緒に逆上がりや雲梯、登り棒なども練習した。  

 平日はほぼ毎日、何時間か一緒に過ごしてきた孫だったが、4月初めに娘一家が、文字どおり足の踏み場もなかった手狭な賃貸を離れ、同じ区内とはいえ、隣駅が最寄りとなるところへ引っ越したため、私の生活圏からは離れていった。荷造りが始まり、空になった本棚に、幼稚園の帰りがけに摘んだ花を小さなカップに入れて一心に飾っている孫を見て、胸が痛んだ。孫はショーン・タンの「エリック」になったつもりで、生まれ育った家に別れを告げていたようだった。私自身、孫の世話に追われた6年間が終わり、急に解放されたらどうなることやらと不安だった。桜が咲くころには、いなくなってしまうのだと思うと、春になるのが恨めしかった。日本人の桜にたいする特別な思いは、年度の節目となる季節と重なって美しい光景が深く記憶に刻まれ、「去年は一緒に見たのに」とか、「来年の桜は……」と考えてしまうこととも関係するかもしれない。  

 ところが、引っ越しの日が迫っているというのに、娘宅は一向に片づく様子がない。前後の数日間は、しんみりとする間もなく、荷造りやら掃除やらに追われ、合間には隠れん坊や忍者修行にも付き合わされた。小学生になっても、相変わらずのソメコぶりだ。挙句の果てに、娘からは本棚に入り切らず、床に積まれていた本を入れる本棚をつくってくれと頼まれる始末。服でも玩具でも、大半のものはそれらしきものを手作りして誤魔化しながら子育てをしたので、娘はいまだに私が何でもつくってくれると信じている。近所のホームセンターで購入した板はいったんうちのアパートに運んでもらい、格子に組むための溝を切ったり、やすりをかけたり、ドリルで穴を開けたりといった音の出る作業を仕事の合間に済ませることにした。だが、うちには電動工具は一つもなく、万力のついた作業台などももちろんない。古い鋸一本でギコギコと中腰で切ったので、数日間、腰痛に苛まれる羽目になった。二年ほど前にやはり娘に頼まれて樹洞を広げるために鑿のセットも購入していたので、今回はそれが役立った。  

 こうした肉体作業と並行して、「忠固研」の論文集のために執筆した論文とコラムの初校という、頭の痛い作業もあった。割り当てられた字数ぎりぎりで原稿を提出していたのに、多数の修正を求められ、そのたびに文字数をちまちまと数え、あっちを削って、こっちを足しての繰り返しとなった。 

 第50回を迎えた赤松小三郎研究会で短い発表をすることにもなっていたため、忘れかけていた参考文献を読み直してレジュメを作成し、さらに当日のためのパワーポイントのスライドもつくらねばならなかった。この時期、十分な時間が取れないことは最初からわかっていたので、発表のほうは簡単に絵図の紹介で終わらせるつもりだった。ところが、いざ調べ直すと、以前に生麦事件の謎解きに取り組んだときのことが甦り、事件発生時ですら人はそれぞれの立場でまるで異なった証言をすることや、時代とともに話が書き手の都合に合わせてどんどん変化し、「藪の中」状態になっている面白さに夢中になり、どんどん深入りしてしまった。そのため、毎度のことなのだが、早口で発表時間の枠を目一杯使うことにはなったし、先に提出してあったレジュメの間違いがあちこちで見つかったが、何かしら新しい視点は提示できたと思う。長年、先祖探しでお世話になってきたこの研究会に、多少なりとも恩義がはたせたのであれば嬉しい。  

 この発表後は、ほとんど手をつけられていなかったリーディングの仕事を突貫工事で終えなければならなかった。さほど厚い本ではなく、私のよく知る分野も含まれていたので、楽勝に違いないと踏んだのが間違いのもとだった。物理が苦手は私は、自分の想像を超える宇宙空間での目に見えない運動の力について説明されたりすると、頭がフリーズする。前回の物理の本は、ありがたいことに宇宙物理を専攻した娘の夫が、コロナ以来、うちのアパートで「在宅勤務」していたので、気軽にその都度、質問することができたのだが、これからはそうもいかない。もしこの企画がめでたく通ったら、また孫と一緒にブランコを漕いでその力学を体感しながら、一度しっかり基礎を勉強し直そう。 

 幸い、娘の夫は何を思ったのか、引っ越しに際して誰にも相談することなく折りたたみ式の軽めの電動アシスト付き自転車を買い、それを私に貸与してくれた。娘一家の新居まで公共の交通機関で行こうと思えば、電車とバスを乗り継がなければならず、往復で八〇〇円近くかかる。私はグーグルマップのルート検索でいちばん起伏のないルートを探して、自分のママチャリで通う気満々だったのだが、この文明の利器をありがたく利用させていただくことにした。自由にどこにでも行ける自転車は私のいちばん好きな乗り物なので、真夏と大雨のとき以外は、あと数年はこれに乗って足繁く通うことにしよう。 

 孫は知り合いが一人もいなかった新しい学校で、初日から数人の同級生に声をかけ、先生から紙までもらって、その先生の似顔絵を描いたらしい。先日、本棚を組み立てに行った折には、その先生に引率されて、友達と手をつなぎながら、楽しげに集団下校してきた。夕方には、近隣の大きな自然公園までの道をすでに覚えていた孫の先導で、自転車を2台連ねてちょっとしたサイクリングもした。板を買った際にホームセンターで見つけた小さな魚獲り網を背中のリュックに入れて、上り坂を懸命に漕ぐ孫は、先日、その網でドジョウをすくったらしい。ドタバタで始まった娘一家の新生活だが、少しずつ新しい環境に適応しているようだった。 

 この間、本業のほうは幸いにも(?)ゲラ待ち状態がつづき、しかも、ありがたいことに次の仕事も決まり、速攻で原稿が送られてきた。まだ月末にオンラインの研究会で発表するために、レジュメを作成し直さなければならないが、先月からつづいたドタバタの万屋の日々はそろそろ一段落して、もとの平穏な翻訳業に戻ることになる。 

 今後はおそらく週一くらいのペースで娘宅に通うほか、姉宅での孫のピアノのレッスンに付き合うことになると思うが、それも低学年のうちだろう。小学校4年にもなれば、友達優先になり、親とだってあまり外出したがらなくなる。婆さんの出る幕はさらにないだろう。よちよち歩きだったころ一緒に遊んだ公園や、ストライダーの練習をした尾根道、バドミントンで遊んだ駐車場などを見るたびに寂しくはなるが、遠隔地や外国に引っ越したわけでもなく、まして事故や病気や戦争でもう二度と会えないわけでもない。すべてのことは移ろい、変化する。ようやく少しばかり自由な時間ができるのであり、自分にあとどれだけ時間が残されているのかもわからない。やり残していることを、元気なうちに一つずつ片づけていこう。

孫の「エリック」遊び。このあと春夏秋冬を再現していた

幼稚園の帰りに立ち寄った秘密の小道で、思いがけず見た満開のエドヒガンと思われる大木

久々の大工仕事で、これまでになく大きな本棚をつくった

愛用の魚獲り網で獲物を探す孫