私にとってこの絵本は、宇野重吉の朴訥とした語りと一体化して、記憶の底に定着している。母の家を整理した際に『天の笛』というソノシート入りの本はもち帰ってはおらず、どうも処分してしまったと思われ、そうなると無性に聴きたくなる。ネットで音源を探してみたが、簡単には見つからず、結局、ヤフオクで出品されていたものを購入した。
しかし、姉のところのレコード・プレーヤーも壊れているとのことで、ソノシートを聴くこともままならず、いろいろ検討したあげくに、ココナラというサイトでレコードをデジタル化してくれるところを見つけ、そこにお願いしてMP3のファイルに変換してもらった。久々に聴く宇野重吉の声は本当に懐かしく聴き入ってしまった。『天の笛:宇野重吉の語り聞かせ』というこの斎藤隆介の作品集は、初版が1967年で、うちにあった『モチモチの木』は1971年の初版だった。現物がないので確かではないが、『天の笛』収録の語りを絵本に先駆けて、何度も聴いていた可能性が高い。
滝平二郎の切り絵は、当時、購読していた朝日新聞にたぶん毎週、見事な作品が掲載されており、母がいつもそれを切り取っては黒い画用紙に切り込みを入れた簡易額に入れて飾るほどのファンだった。おそらくそのためか、うちには『八郎』という絵本もあった。
どうせなら、デジタル化してもらった音源に、絵本の絵を合わせて動画をつくろうと考え、図書館からいろいろ借りてみた。『ひばりの矢』は1985年刊、『ソメコとオニ』は1987年刊で、どちらも今回初めて絵本になっていることを知った。『ひばりの矢』の切り絵は非常に美しい。
『モチモチの木』のおくびょうな豆太は何と五つ。孫も5歳なので、いま読まなくていつ読む!というタイミングだった。孫はとくに最後の一文がお気に入りだ。爺さまのほうは、ずいぶん年寄りだと思っていたが、64歳だった……。豆太のお父は、「クマとくみうちして、あたまをブッさかれて死んだほどのキモ助だった」。再びクマが身近な存在となりつつあるいま、まさに読むべき絵本だ。
トチ餅を買ってやりたいと思っているのだが、本格的なものは手に入りにくい。お話のなかでは簡単につくっているが、実際にはどんぐりと同様に水で長時間さらしてアク抜きをしなければならない、手間のかかる食べ物だ。娘が小学生のころ、トチノキを知らなかった私は、エゴの実を見つけてこれに違いないと早合点し、砕いて舐めてみてやめたことがある。エゴはサポニンが入っているので、団子にしなかったのは幸いだった。
ソメコも五つだった。忙しい大人たちに「あっちゃ行って遊べ」とたらい回しにされ、泥団子まで食べて遊んでくれる鬼に連れ去られるのだが、「カクレンボするべエ」と鬼を悩ますソメコは、まさにいまの孫の現状で、読みながら当の孫もニヤニヤしていた。
『天の笛』に収録されていた『ベロ出しチョンマ』は、私の記憶のなかではキリシタンの迫害とごちゃ混ぜになっていたが、読み返してみると、年貢を納められずに直訴して、一家が磔刑になったという内容だった。三つのウメまでという設定に疑問が湧き、調べてみると、当時、斎藤隆介が住んでいた千葉県若葉区を舞台に選んだだけの、まったくの空想作品とのことだった。
やはり収録されていた『東・太郎と西・次郎』は、まるで記憶になかったが読み返してみたところ、水源をめぐる竜の出てくる話で、日照りつづきの東の国と、大雨つづきの西の国の境にいる竜を太郎と次郎が対峙する内容で、気候変動で水文学的な変化がいちじるしい現代を象徴するような話だった。長いお話で、滝平二郎の挿絵も数点しか見つからないが、宇野重吉の語りでぜひ孫に聴かせてやりたい。
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