2002年10月31日木曜日

葛西臨海公園で鳥見

 先日、葛西臨海公園に行った。といっても、クロマグロの群が見られることで有名な水族園ではなく、公園のほうだ。じつはひそかな目当てがあった。  

 朝の9時ごろ着いてみると、すでに同じ目的とおぼしき人があちこちでカメラを構えて待っている。その様子ときたら、スターが出てくるのを待つパパラッチか追っかけのよう。そこに現われるのを日暮れまで待つつもりみたいな人もいたが、私は元来せっかちなので、ひとところにじっとしていられない。そのうち少しずつ事情がわかってきて、「メスならいま向こうに出ている」という情報をもとに、その出没現場に行ってみた。すると、いるわいるわ、30人ほどの人だかりができている。カメラや望遠鏡はみな茂みのそばにある苔むした石に向けられている。 

「メスですか?」そばの人にきいてみた。「そう。さっきから、何度か顔を出しているよ」。どうやらその石の上に餌を置いて、茂みのなかから出てくる瞬間を狙っているらしい。しばらくすると集まっている人のあいだに緊張が走った。目を凝らすと、茂みの陰に何かいる。双眼鏡でのぞくと、たしかに鳥。それがさっと石の上に飛び乗って餌をついばむと、また引っこんだ。みんな一斉にシャッターを切る。巨大な望遠レンズ付きのカメラだ。私の小さなカメラではとうてい無理とは知りつつ、それでも夢中でシャッターを押した。  

 これだけの人が熱中している正体は、ノゴマ。夏のあいだ北海道やシベリアで過ごし、秋になると中国南部や東南アジアに帰っていくツグミ科の鳥だ。関東地方は通過するだけなので、春秋の渡りのシーズンに数例しか見られない。ノゴマのオスは喉がルビー色でじつにきれいだ。ちなみに、英語名はそのものずばりで、Siberian Rubythroat。メスはなんの変哲もないただの茶色の小鳥だ。その鳥のために、こんなにたくさんの人間が集まって、息を凝らしているところがなんともおかしく、ほほえましかった。  

 出没現場を離れて鳥類園のなかを歩いていると、向こうから来たお兄さんが声をかけてきた。「出ましたか?」出ましたかって、幽霊でもあるいまいし。でも、鳥を見る人のあいだでは、この表現は一般的らしい。もうひとつおかしいのは、「入っています」。もちろん、トイレではなくて、望遠鏡でとらえているという意味。そういえば、英語でin the scopeと言っていたような気がするので、その直訳か。バードウォッチングの代わりに、バーディングというれっきとした英語があることもご存じだろうか。鳥を見る人はバーダー。  

 いわゆるバーダーと一部の鳥の写真家のあいだに、若干の違いがあることも、この日、発見したおもしろいことだった。鳥類の保護を目的にする人は、通常できるかぎり遠くからそっと鳥の生態を観察するが、とびきりの一枚を狙う写真家のなかには餌をまき、声の録音を流して鳥をここぞという場所におびき寄せ、自分が狙った構図のなかに鳥がとまるのを待つ人もいたのだ。光線の具合や、葉の紅葉や、鳥のポーズがみごとに決まっている写真には、それなりの仕掛けがあったらしい。  

 この日は、ノゴマのほかにジョウビタキのメスを見たほか、セイタカシギやアオアシシギ、タシギ、エリマキシギなど、ちょっと珍しい水鳥もいろいろ見ることができ、充実した一日だった。私が撮ったノゴマの写真は、残念ながら染みのような点がかろうじて写っているだけだったので、ここでみなさんに披露するわけにはいかない。そこで、代わりに娘に絵を描いてもらった。

2002年9月30日月曜日

餌台の事件

 夏のあいだ毎日のようにうちの餌台に来ていたキジバトとスズメが、ぷっつり来なくなってしまった。原因は猫。猫が鳥のいるところに惹かれるのは当然だし、もともと猫は嫌いではないので、仕方ないかとしばらく傍観していた。が、9月初めについに二名の犠牲者が出た。一羽は飛んでくるたびにプー、プーと威勢よく鳴いてくるのでぷーぷーと名づけていたキジ君。もう一羽は、群れることなく勇敢に餌台に乗っていたスズメだ。  

 殺害現場を実際に見たわけではなく、ガタンという猫が襲撃する音と残っていた羽から推測したにすぎない。隣の家に死骸が落ちているのではと心配だが、足がすくんで見に行かれない。結局、娘にお願いした。娘はこわごわと生垣の向こうをのぞいて、何もないのを確認してから、餌台付近に落ちていた羽を拾ってしっかり羽コレクションに加えていた。やわらかいおなかの羽を見ると、わたしはキジ君の最期を想像してぞっとしてしまうのだが、娘はなんともないらしい。  

 正直なところ、これで餌台は終わりにしたかったが、生物の世界の厳しい現実を見ることも大切かと思い直し、長い棒を買ってきて、狭い庭の真ん中に餌台をつくり直した。それでも猫はあきらめず、たびたびそばの茂みにひそんでいたので、そのうちハトもスズメもまったく来なくなった。そこで一計を案じて餌台のまわりと塀沿いに栗のいがをまいた。これが功を奏し、地雷を踏んだ猫がすさまじい悲鳴をあげて逃げる声を2度ほど聞いた。  

 これでとりあえずの猫対策はできたが、肝心の鳥が来ないのではどうしようもない。娘の友達からシジュカラはピーナッツを食べると聞き、半信半疑で餌台に置いてみた。待つこと数日。ある日、ツツピ、ツツピ、チチチチと声がするので餌台を見ると、ベレー帽に太いネクタイのシジュウカラのオスが餌台に乗り、ピーナッツをくわえてさっと飛び立った。間近に見ると、緑黄色とストライプの模様がじつにシック。シジュウカラが来るようになったので、レストランの営業はつづけることにしたが、キジバトやスズメの信頼も回復したいし、もっとほかの鳥も呼びたい。  

 ミニ・サンクチュアリに関する本をあれこれ見て、紫式部とピラカンサの小さな鉢を買い、猫の手が届かないようにフェンスにかけたが、いまのところメジロが1度立ち寄っただけ。立派な木が生い茂る庭が両隣にあるので、そこに来るメジロをこんな小さな鉢でおびき寄せようというのがどだい無理か。果物フィーダーなる新兵器も設置してみたが、いまのところ誰も見向きもしない。  

 この原稿を書いているいまも、コツコツと音がする。餌台でシジュウカラがヒマワリの種を割っている音だ。意外にへたくそでなかなか割れないので、しばらく観察できる。そのたびに仕事を中断して、つい餌台を見に行ってしまう。耳が鋭くなったのは確かだ。先日もコゲラの声がすると思い、あたりを見まわすと、案の定、隣のキウイの木に止まってドラミングを始めた。昨日は耳慣れない声がしたので、娘とふたりで目を光らせながらあたりをうかがった。道路のほうから聞こえるのでそちらを見ると、杖をついたおばあさんが歩いてくる。音の正体は杖の先についたプラスチックのキャップだった。  

 そろそろツグミやシメなどの冬鳥がやってくる。新規顧客を獲得する名案ないですかね。

2002年8月30日金曜日

夏休みの自由研究

 夏休みの自由研究で和歌山の小中学生の兄弟が金鉱脈発見、という記事を少し前に新聞で読んだ。2年前に父親と一緒に鉱物採集に出かけて発見した石が、鑑定してもらった結果、金と手稲石であることがわかり、しかも高品位の金鉱脈の一部だったという。発見した子供たちはさぞかし得意だろう。金の埋蔵量は少なく事業化は難しいらしいので、これで大金持になれるわけではないが、こうした体験が子供の将来に与える影響は、それ以上に貴重だと思う。  

 私たちの世代もそうだが、いまの子供はワークやドリルをやり、ひたすら反復練習や暗記するのが勉強だと思いこんでいる。それでは勉強など苦痛以外のなんでもない。でも、本来の勉強は自分で何かに興味をもち、観察したり調べたりして新たな発見をすることではないだろうか。それなら、誰にとっても楽しい。  もちろん、親のほうにいろいろな知識があればそれに越したことはない。娘の友達にもお父さんが地層の研究に連れていってくれたり、お母さんが古地図の研究を手伝ってくれたり、朝早く一家でカブトムシを見に出かけたりする家庭がある。そういう家庭に育った子供はなぜかみな伸び伸びとしていて、何をやらせてもやる気や自主性があるような気がする。夏祭りに出かけても、そういう子はセミが羽化するところを目ざとく見つけ、じっと観察しているらしい。お祭りはじゃんけんバナナや人形すくいだけではなかったのだ。  

 それでも、自分にそういった知識がないからといってあきらめる必要はない。世の中には親切な人も大勢いるものだ。先日、娘がいとこたちと大磯の照ケ崎にアオバトを見に行った。そこの海岸でおもしろいおじさんに会い、一緒にアオバトの羽や化石を拾い、いろんなことを教わり、大喜びで帰ってきた。羽というより、生々しい翼のようなものまで拾ってきたらしく、臭い、気持悪いと言いながらも、分解して洗っていた。(私はこういうものがとっても苦手で、後ろを見ないようにしていたので、詳細は不明。)

 私はろくな知識はないが、運転手やシェルパとして協力はしたと思う。先月のコウモリ通信で書いた北八ヶ岳の旅は大成功だった。私たちがキャンプした双子池周辺は、夏の真っ盛りだというのにほとんど人がいなくて、鳥はたくさんというすばらしい穴場だった。夜はヨタカの声を聞きながら眠り、朝はバードクロックのすべての時間の鳥が一斉に鳴きだしたかと思うほどの大合唱で目がさめる。コマドリ、コガラ、ヒガラ、メボソムシクイ、ホシガラス、ルリビタキ、キクイタダキ、ウグイスなど、キャンプにいながらにして存分にバードウォッチングが楽しめた。  

 初めのうち山を歩きながら友達にせっせとメールを送っていた甥も、3日間いるうちに自然のおもしろさに興味をもったようだ。「お山の貸し切りだね」と喜んでいた姪は、それこそ夏休みの自由研究で、自分が見た鳥をまとめている。姪は、旅行の少し前に誕生日祝いにあげた双眼鏡と図鑑をもって大張りきりだった。キャンプ場で姪は、黒に白い斑点のある羽をたくさん見つけた。私は斑点を見て勝手にホシガラスの羽と決め込んだが、帰ってきてから子供たちが本屋で(!)羽の図鑑を調べたら、アカゲラだった。アカゲラの縞々はこの点々が重なってそう見えるらしい。

 子供に必要なのはちょっとしたきっかけなんだと、この旅行で改めて思った。興味さえもてば、あとは子供が自分で伸びていく。学校の勉強も、もう少し自由で楽しいものにならないかなあと思う。  

2002年7月28日日曜日

北八ヶ岳

 ここ10年ほど毎年、夏休みは山と決まっている。しかも行くのはいつも八ヶ岳周辺だ。南はほとんど全部行きつくしてしまったので、今年は北に行くことにした。だから、明日は朝5時起きしなければならない。  

 それなのにいまごろこの原稿を書いているのは、山から帰った翌日が締切りの仕事がなかなか終わらず、先ほどまで言うことをきかないプリンターと格闘していたからだ。夕食のあとようやく荷造りを始め、明日は久々に運転手をするので早く寝なければと思いつつ、いまコンピューターに向かっている。  

 昔はあちこちのガイドブックを調べてコースを検討し、万全の準備をして出かけた。14キロほどのリュックを背負っても心は軽く、今度はあの山を登ってやるぞと意気揚揚としていた。死ぬほど怖い思いをしても、大雨に降られても、道に迷って暗い森を歩いても、それなりに楽しんでいた。  

 いまはどうだろう。山の新鮮な空気は吸いたいけれど、重い荷物のことを考えると憂鬱になる。テントは腰が痛くなるのでやっぱり子供に譲って、私は山小屋に泊まろうかなとも思う。ピタラス横岳ロープウェイに乗れば延々と歩かなくてすむよと言われれば、すぐさまそれに飛びつく。  

 じつは、今回どんなコースを行くかもよくわかっていない。いつまでたっても私が腰を上げないのに業を煮やして、娘がいとこたちと計画を立ててくれたからだ。小学生の姪はコンピューターを使ってコースを検討し、さらに不明なところは近くのリブロで立ち読みして調べたらしい。  

 初めて登ったころは、途中で負ぶってやらなければならなかったのに、みんな本当にすっかり大きくなったものだ。高所恐怖症で震えていた甥も、ついこのあいだまで泣きべそをかいていた小さい姪も、もう連れていくのになんの心配もない。いや、それどころか、体力的には子供たちのほうがずっと勝っている。もう一緒に来なくていいよ、と言われる日は間近なのかもしれない。  

 今回、私が唯一楽しみにしているのは鳥の声を聞くことだ。もちろん、姿を見られればもっといいが、夏山で鳥を見つけるのはけっこう難しい。昼までに頂上に着きたいというような時間の制約があると、なかなか鳥は探せない。だから、せめて声だけも聞きたいと思う。お目当ては、口笛のような声のウソと、不思議な響きのコガラ。それにホトトギスやコマドリの声も聞きたい。CDでばっちり予習したので、その成果を試してみたい。  

 余談だが、最近バードウォッチング検定ができたのをご存じだろうか。さすが日本人という感じだが、娘や鳥仲間の友達は挑戦してみたいらしい。英検よりこっちのほうがいいそうだ。そのうちきっと鳥の声のリスニング・テストなんてものができるだろう。  

 なんだか山に行く前からくたびれている私だが、新鮮な空気を吸って鳥の声を聞けば、気分もリフレッシュするかもしれない。せっかく行くからには、楽しんでこようと思う。願わくは、ぎっくり腰になったり、膝が笑ったりしませんように。ああ、情けない。

2002年6月29日土曜日

料理

 恥ずかしい話だが、このところ立て続けに二度も料理で失敗した。もともと料理が得意なわけではないから、当たり前といえば当たり前なのだが、原因はどう考えても私の性格にある。  

 なにしろ、私はマニュアルを読むのが嫌いで、レシピや説明書もきちんと読まない。料理に時間をかけたくないから、できるかぎり手順は省略する。そのうえ料理に合わせて材料をきちんとそろえるのではなく、手元にあるものでなんとかすませようとする。  

 いい加減にやってつくれる料理はもちろんたくさんあるし、ふだんはそれでなんとかなる。ところが、私は好奇心が旺盛で、レストランで食べておいしかった料理や、本のなかで読んだ料理をすぐに試してみたくなる。  

 先日も本のなかにグリーン・ジェロー・サラダというのが出てきて、どうしてもつくってみたくなった。早速、インターネットでレシピを検索してみた。ところが、アメリカのレシピだから、近所のスーパーにはライム・ゼリーなんて売っていない。そこで、ゼラチンとライムで代用したのが失敗のもと。待てど暮らせどゼリーにならないのだ。ゼラチンの袋をよく読んでみると、酸がきつすぎたり、パイナップルのようなたんぱく質分解酵素を含む果実を生で加えると固まりません、とちゃんと書いてあるではないか。結局、その日はチャプチャプの白い液体のなかに、キャベツやパイナップルが浮かぶ不気味なものを食べるはめになった。  

 そして、昨日。サークーサイムーという豚肉をタピオカで包んで蒸すタイ料理に兆戦した。6時半ごろになってやおら料理の本を見ると、タピオカを1時間水に浸けろと書いてある。そんな余裕はない。タピオカの袋には15分から20分ゆでるとなっている。そうだ、ゆでれば時間短縮になる。そこでタピオカをゆでてから、ふと別の料理の本を見てみると、だんごに丸めているタピオカは明らかに不透明だ。いったん火を通したタピオカはつるんと粒になり、どうやってもまとまらない。片栗粉を混ぜておはぎみたいにサランラップを使って絞り、なんとかだんご状にしたものの、蒸している最中にばらばら事件に。仕方がないので、スプーンですくってレタスに包んで食べることにした。なかのピーナッツと豚肉がタピオカとよく合って、おいしいことにはおいしかったのだが……。  

 考えてみれば、最初に新しい料理を考案した人は試行錯誤を繰り返し、その結果、いちばんうまくできる材料や手順を見いだしたのだろう。その秘訣が書かれているのがレシピだ。ただ、たいがいのレシピには、なぜ下ごしらえをするのかや、なぜその手順なのか、なぜその材料なのかは詳しく書かれていない。それが実際どのくらい重要なのかは、失敗して初めてわかる。もちろん、レシピどおりに忠実につくるに越したことはないのだろうが、実際にはそれができないこともある。ほかの材料で代用したりやり方を変えたりする場合は、何なら可能で、譲れないポイントは何かを見抜かなければならない。それにはやはり、つくる前にレシピや説明書をじっくり読むのがいちばんなのだろう。そのほうが結局は時間もかからないし、妙なものを食べずにすむのだ。これって料理にかぎらずいろんなことにあてはまるんだろうな、と反省することしきり。

2002年5月29日水曜日

水泳

 いつの間にやら月末になり、はて今月、私は何をしていたのだろうと考えてみた。展覧会とコンサートに行ったくらいで、ほかに何も思い浮かばない。どこに行くにも、何をするにもやたらお金がかかるので、このところすっかり出不精になっている。自転車で行かれる範囲が生活圏になっているのはちょっと寂しい。  

 そんなわけで、また近くの区営プールのお話を。私はしょっちゅう泳いでいるので水泳が得意だと思われているかもしれないが、じつは泳ぎはまったくの自己流だ。水泳教室に通ったのは、小学生のころに短期コースに参加した一度きり。それも、当時はまだよく泳げなかったのに飛び込みばかり何十回もやらされ、五日間のコースの途中でくじけた記憶がある。 

 自己流だから、泳ぐのはとっても遅い。定められたコースのなかを大勢の人と一緒に泳ぐときは、すごいプレッシャーを感じる。とはいえ、好き勝手に泳げないいまとなっては、まわりの人と同じペースで泳ぐしかない。少しでも速くなろうと、泳ぎのうまい人を水中でこっそり観察することにした。そこで気づいたのがクロールの手のかきの浅さだ。手を水中に入れたとたん肘を曲げて水を手前にくいっとかいているのだ。そう言えば、船を漕ぐときオールは浅く入れればいいと言われたことがある。試しにやってみたら、心なしか速く進めるようになったみたいだ。しかも、あまり疲れない。  

 たとえ趣味の水泳でも上達するとうれしい。上機嫌で更衣室で着替えていたら、若い水泳のコーチとその元生徒とおぼしき人の会話が耳に入った。そのコーチによると、最近は水泳の指導方法が変わってきていて、昔のように指を閉じろとか、親指から水に入れろとか言わないらしい。昔はフォーム優先だったけれど、いまは自分が最も楽に泳げる方法を探ることが肝心なので、手を開いているほうが速く泳げる人はそれでいいという。へえーっ、知らなかった。  

 何食わぬ顔をしながらさらに耳を傾けていると、とにかく泳ぎこむしかないですね、とそのコーチはこともなげに言った。元生徒はその答えに不満だったのか、そんな暇はないし、自己流でやっているとフォームがめちゃくちゃになるので、最短距離でうまくなれるアドバイスが欲しいと食いさがった。  

 でも、たしかにこのコーチの言うとおりだ。水泳は脱力することが肝心だから、フォームをきれいにするあまり腕に余計な力が入るくらいなら、やらないほうがいいのだろう。楽に泳ぐことが、結局は速く泳ぐことにもつながるのだ。そして、そういう根本的なことは、人から教わって簡単にわかるものではなく、とにかく自分でたくさん泳いで体得するしかない。  

 うーん、今日は区営プールでずいぶん勉強させてもらった。相変わらずいつも混んでいるが、このプールにもそれなりにいい面はあるらしい。バンコクのアパートのプールには手本になる泳ぎをする人もいなかったし、だいたい人の会話を盗み聞きしようにも「外人」ばかりでそう簡単にはいかなかったからだ。よし、これからは私もどんどんスピードをつけて、いつかはマグロの魚群に加わってやろう!

2002年4月28日日曜日

渡り鳥

 日本に帰ってきて一カ月。初めのうちこそ違和感があったが、いまでは一年間いなかったことが嘘のように、あっちの店やこっちの家に自転車をこいで行っている。向こうで食べられなかった日本の味も堪能した。タケノコ、サツマイモ、ミョウガ、イチゴ、和菓子など、タイにあっても味が異なっていたり高かったりしたものが店先に並んでいるとうれしくなる。魚も日本のほうが絶対においしい。  

 それでも、ときおり鞄のポケットからバンコクの船やバスの切符が出てきたりすると、妙な戸惑いを覚える。ナムプラーやマナオ(ライム)がないと、味が決まらないな、と思っている自分に驚いたりもする。タイ米を炊くあのにおいもときどき無性に嗅ぎたくなる。

 がっかりしたのはプール。児童遊園地という広い緑地のなかにあるし、半額券を使えば200円+ロッカー代50円なので悪くないのだが、いつ行っても混んでいるのだ。しかも、みんながむしゃらに泳ぐので、波は立つわ、前の人にぶつかるわ、後ろから迫ってくるわで、なんだか首都高を走っているみたいだ。先日など、水中エアロビクスの教室と重なってしまったからたまらない。肉付きのいいおばさんたちが、インストラクターの黄色い声に合わせて水中で四股を踏むから、浅いプールは洗濯機のように渦を巻いてしまう。  

 帰国後しばらくは、あまりの忙しさに鳥を見に行くどころではなかったが、娘はめでたく日本野鳥の会に入り、暇さえあれば友達と探鳥会に参加したり、近所の公園や川を歩きまわったりしている。このあいだも探鳥会から帰ってくるなりこう言った。「『中3なのに偉いわねえ』って言われたよ。どういう意味だろう?」リスニングの勉強と称して、図書館で借りてきた『日本野鳥大鑑420』の鳥の声のCDを聞いているのだから、どうしようもない。  

 それでも春のうちに一度はバードウォッチングに行こうと思って、昨日、逗子の二子山に行ってきた。逗子駅からバスで5分のところにある里山だが、空にはトビが10羽くらい旋廻してピーヒョロロと鳴いているようなのどかな場所だ。  

 日本の鳥はまだ鳴き声も居そうな場所もよくわからないので、なかなか見つけられない。それに、ウグイスがやたらに鳴くので、ほかの鳥の声が聞こえない。新緑のなかを一日中歩きまわり、ようやくエナガやヤマガラ、ホオジロなどを見た。まあ、よかったことにするかと帰りかけたところで、なんと、オオルリを見つけたのだ! 白い胸当てに、深い青色の羽根。間違いない。ウグイスほどの艶はないが、じつに澄んだいい声だ。最後にジジジと付け足してしまうところがおかしい。よく見ると、そばに同じくらいの大きさの茶色の鳥もいる。きっとメスだ。  

 オオルリはタイでも一度だけ見たことがある。日本では夏鳥で、南の国から飛んでくるという。今回見たこの鳥が、バンコクのアパートのそばの林で見たあのオオルリである可能性もあるのだ。こんな小さい鳥が本当に海を渡ってくるのだろうか。いや、オオルリだけではない。いまあちこちを飛びまわっているツバメだって、はるばるタイから来たのかもしれない。ジェット機で5、6時間ただ座っていたって疲れるのに、自分の羽根で飛んでくるなんて信じられない。「小鳥なのに偉いわねえ」と言ったら、鳥もきょとんとするだろうか。