2003年5月30日金曜日

餌台その後

 今朝は雨。このところ大して何もしなかったので、姪の運動会に行って、その話でもこのエッセイに書こうかと思っていたのに、この天気では明日の6月1日に延期だ。それでは締切りに間に合わない。はて、何を書こうかと思いあぐねたところに、庭からシーシーシーと鳴き声が。シジュウカラの幼鳥だ! ふと見ると、物干しの上に乗って、どことなくまだ不恰好な体を震わせている。うちの常連たちの2世だ。私のピーナッツを食べて大きくなった子供かと思うと、感慨深い。  

 というわけで、またまた餌台の話題を。5月になり餌となる虫も花も豊富になったので、少しずつ餌やりを減らさなければと思いつつ、私はまだ朝と夕方の2回、餌を出している。シジュウカラは数日前から幼鳥を連れてきているのが声でわかったが、姿を確認できたのは今朝が初めてだ。「ここはピーナッツとヒマワリがあるんだよ。この家のおばさんは、わりといい人だから、心配しなくていいんだ」と、親鳥が教えているのかもしれない。  

 キジバトは、一ヵ月ほど前に一羽がカラスに食べられるという事件があったが、数羽が常連になっている。ときどきオスが狭い餌台の上でプアーッ、プアーッと妙な声を出しながら胸を膨らませ、「さあ、ディナーだ。食べたまえ」とばかりにメスに自慢している。なかにはお人好し(お鳩好しか?)もいて、スズメと並んで餌をついばみ、あげくのはてに追い出されているのもいる。冬みかんがなくなり、砂糖水しか出していないせいか、メジロとヒヨドリはあまり来なくなった。かわりに蝶と蟻が砂糖水に群がり、溺死している。  

 餌台のまわりにも変化がある。餌台の下では、おこぼれのヒマワリがあちこちで芽を出している。狭い庭にすでに2列ほどヒマワリを植えてあるので、夏になったらちょっとしたヒマワリ畑になりそうだ。よく見ると、ヒマワリとは違う丸い双葉もたくさんある。茎が赤いので、もしやと思って調べてみると、案の定、ハト用の餌に含まれていたソバだった。ソバは成長が早いので、もう白い花が咲いている。それだけではない。少し離れたところに、山椒が6つも芽を出していた。常連のなかに「サンショウクイ」がいたらしい。おそらくヒヨドリがどこかの家の山椒の実を食べて、うちで用を足したのだろう。儲けた気分になり、早速、卵豆腐を買ってきて上に載せて味わった。そのほかにも鳥のしわざと思われる正体不明の若葉がそこかしこに芽を出している。  

 色とりどりの花を飾ってガーデニングにいそしんでいる近所の人たちは、うちのアパートの庭を見てさぞかし眉をひそめていることだろう。なにしろ、マーガレットのかわりに、ヒメジオンが伸び放題になっており、少し前までお隣は一面のドクダミだった。(私にも増して不精な隣のお兄さんもさすがにひどいと思ったのか、ある日、庭中のドクダミを刈ってしまった。せっかくドクダミ茶をつくろうと思ったのに。)いま、うちの庭のほうはヤマノイモが猛威を振るっている。ここ1ヵ月ほど、毎日きれいなピンクの花を咲かせる、ヨモギに似た葉っぱの植物も2株ある。何冊か図鑑を調べてみたが、フウロソウ科らしいということまでしかわからなかった。  

 雨が激しくなった。外を見たら、今度はスズメが2羽、物干しで雨宿りしている。たっぷり水を吸った地面からは、きっとまた珍しい新しい芽が生えてくるだろう。いまから楽しみだ。

2003年4月29日火曜日

技術の進歩

 大人になると月日が経つのが早く感じるのは、感動することが少なくなって脳に記憶されなくなるからだと、以前に読んだことがある。毎日、同じことを繰り返している私などは、その最たるものだ。忙しかったせいもあり、季節が変わったことにも気づかず、ある日いつものように上着を着込んで買物に出かけたら、まわりは半袖姿の人ばかりだったなんて失敗すらある。  

 若いころに受けた刺激は、より鮮明に脳に残るのだろう。私の記憶には、学生時代や会社勤めのころに体験したことがいまなおはっきりと残っている。入社したころはまだ紙テープをつくってテレックスを流していたし、ファックスは通信室にあるだけだった。初めて使ったコンピューターは立ち上げるのに大きなフロッピーを何枚も出し入れしなければならなかった。携帯電話は大きなイベントがあるたびにNTTに借りに行ったが、充電器がとてつもなくかさばり、不便な代物だった。インターネットが導入されたときは、画期的なことになると言われながら、どう使えばいいのかわからずもて余していた。  

 それらが徐々に新しい機種に変わり、新しい機能が加わると、便利になったと感激して率先して新しいやり方を覚えた。そして、新しいものについていけない年配の人たちを哀れみの目で見ていた。そのころまではよかった。  

 やがて、新しいものが登場しても新鮮味がなくなり、どうせまたすぐに次のものが出るだろうと考えるようになった。コンピューターをはじめとする機器は、私にとってしょせん道具にすぎず、必要な機能さえ使えれば充分であり、それ以上に時間をかけて奥深く追究したいものでもない。いまある機器でも充分に役に立つし、新しい機能などとくに必要ないし、何よりも新たに操作を学ぶのが面倒なのだ。だが、それが間違いのもとだったらしい。  

 私が関心を失ってからも、技術は日々進歩し、瞬く間に普及していたのだ。先日も、娘が学校の部活で撮ってもらった写真だといってCD-ROMをもちかえってきた。つい数年前までデジカメの画質があれこれ論じられていたのに、もう学校ですら写真をこうして配るのが当たり前の時代になっていたのだ。こんなことを書くと、へえっ、まだデジカメ使っていないの?と言われそうだが、それどころか私は携帯電話ですらもっていない。  

 しかし、どうやらこんなことを言っていては、そのうちに本当に世の中から取り残され、私がかつて哀れみの目で見ていた人たちと同化しそうだ。現状に満足していてはいけない。新しい情報を貪欲に求め、より優れた機能を追求しなければならないのだ! そのためにも、いつまでもダイヤルアップ接続などしていてはいけない。というわけで、私もようやく重い腰を上げてADSLの申し込みをした。  

 それにしても、疲れるなあ。これから大嫌いなマニュアルを読まなければならない。

2003年3月30日日曜日

タイ旅行2003年

 一週間ほどタイに行ってきた。昨年やり残したことの後始末がいちばんの目的だったが、尻切れとんぼになってしまったタイの暮らしにもう一度触れることで、いくらか心の整理が着いた。  

 一年ぶりに見るバンコクはあまり変わっていず、それがなぜかうれしかった。道端に以前と同じ露天商がいて、相変わらず同じものを売っていると、一年間のブランクが消えていくような気がした。よく鳥を見に行っていた空き地もまだ開発されずに残っていて、むしろ成長の早い南国の植物が生茂って自然に戻っているようだった。短い滞在だったが、これまでバンコクで見たことのある鳥にもほぼ全種類「再会」できた。  

 もっとも、実際には感傷旅行というよりはむしろ珍道中だった。旅に出るとよくあることだが、今回も日本では絶対にありえないことに多々遭遇した。バンコク・ノイとバンコク・ヤイという運河を、ルア・ハンヤオという二〇人乗りくらいの船をチャーターしてまわったときのこと。観光コースになっているのか、途中でスネーク・ファームに立ち寄られてしまった。檻に入ったヘビやワニを見てもつまらないので、すぐにまた出発することにしてふと後ろを見ると、中学生とおぼしき女の子が七、八人乗り込んでいる。船をまちがえたかと思い、あわてて降りようとすると、マイペンライ、そのまま乗っていろ、と言われた。どうやら私たちがチャーターした船に勝手に乗り込んでいるらしい。結局、五分ほど行った先の船着場で中学生たちはにこにこしながら降りていった。運河を通る船があれば、子供の通学を助けてやるということらしいが、ひと言断ってから乗ってくれればいいのに、とひそかに思った。まあ、このおおらかなところがタイ人のいい点なんだけれど。  

 チャアムというビーチリゾートに行ったときも珍事があった。海岸で半日のんびりしたあと、バンコクに帰るバスに乗ろうとしたのだが、ガイドブックに書いてあるバス乗り場が見当たらない。出発時刻も近づいていたので焼き鳥屋のおじさんに尋ねると、乗り場まで歩いては行かれないと言う。すると突然、おじさんが送ってやるから後ろに乗れと言いだした。事情がのみこめずぽかんとしていると、そばにあるバイクにさっとまたがり、後ろを指さす。仕方なくリュックをかついだまま、母娘+焼き鳥屋の三人乗りで市内のバス停まで急行することに。ところが、信号待ちしているあいだに、目の前でバスが発車してしまった。私が悲痛な声をあげると、娘が「おじさんがミー・ソーン・トゥアって言ってるよ」と叫び返した。「二台ある」という意味なのだが、「台」にあたる類別詞の「トゥア」は「匹・頭」の意味でもよく使うので、「バスが二匹いる」みたいで大笑い。二匹目は遅れて発車してくれたので、なんとか間に合い、おじさんはちゃっかりモーターサイ代として四バーツを請求してきた。  

 タイから帰国したのはちょうどイラクへの攻撃が始まった日だったが、とくに警備も厳しくなく、拍子抜けした感じだった。それにしても、なぜこんな事態になってしまったのだろう。勝手に攻撃をしかけておきながら、イラクの戦い方が悪いと文句を言うアメリカ政府高官の発言にはあきれる。アメリカが使うミサイルだって、充分に大量破壊兵器ではないか。自分の物差しでしか人を見られない人間が、こういう戦争を始めたにちがいない。ハイテクの武器の力を過信するブッシュやラムズフェルドこそ、砂嵐の吹き荒れる前線に行けばいいのだ。そこで死を恐れないイスラム教徒の抵抗を身をもって感じればいい。

2003年2月27日木曜日

餌台日記

 隣の家の紅梅が満開になった。濃いピンク色の木に渋い緑色のメジロがくると、じつに絵になる。色のない寒い冬ももうおしまいだ。春がすぐそこまできたいま、わが家では一年間つづけてきた鳥のレストランを今後も営業するかどうかで悩んでいる。  

 白鳥などの餌付けが最近よく問題にされているが、うちのように人工的に餌をやることもやはり生態系を崩すらしい。庭に鳥の餌となる木を植えるのは構わないが、いわゆる餌やりは、食べ物の少ない冬季だけにという意見が多いようだ。  

 でも、一年間の開業で常連客もできたいまとなっては、急にやめるのは忍びない。このごろでは、私が庭にでると鳥が集まってくる。キジバトなどは、手を伸ばせばつかめそうなところに止まっている。もちろん、私は素知らぬふりをしているのだが。  

 果物フィーダー用に、冬のあいだずっと「お徳用みかん」を買いつづけたおかげで、最近はメジロとヒヨドリも完全に固定客になった。シジュウカラにはピーナッツと自家製ヒマワリの種とスーパーの棚からもらってくる牛脂をやりつづけた。  

 餌台をつくるそもそものきっかけは、娘が受験で鳥を見にいかれないからだった。その娘も受験勉強から解放され、あちこちに鳥を見にいかれるようになったいま、庭にくる鳥はもっぱら私の楽しみになっている。コンピューターの画面から目を離してふと窓の外を見たとき、そこに鳥がいるとほっとする。  

 いまも、隣の家の瓦屋根に、スズメが一〇羽ほど集まって餌はまだかと待っている。冬のスズメはもこもこと太っていてかわいい。付け根のほうが黒く、先にいくにしたがって白くなっているスズメのおなかの羽は、一見地味な色だが、双眼鏡で見るとカシミアのコートのようだ。スズメはとりわけ警戒心が強いが、最近では私がまだ庭にいるうちから待ちきれずに餌台に群がる。狭い餌台にときには二〇羽近くが押しかけ、あぶれたのがその上でホバリングしている。  

 私が与えるほんのひと握りの餌に、ソースの蓋一杯の砂糖水に、小鳥は飛びついてくる。自分の行為が誰かに(たとえ鳥でも)これだけ喜んでもらえるということが、餌やりをやめたくない一因かもしれない。生態系にとってどうかはわからないが、少なくとも私の精神上は大いに役立っているので、もう少し餌やりはつづけてみたい。  

 世の中はいまひどく物騒になっている。イラクを攻撃しろと血相を変えて叫んでいる人たちは、おそらく道端の鳥などまるで目に入らないだろう。以前、ブッシュ大統領が双眼鏡をのぞいている写真を見たことがある。何かの視察なのだが、双眼鏡にはキャップがついたままだった。一瞬の失態を撮られたのだろうが、盲目的になっているいまのブッシュをよくあらわしている一枚だった。もし、あの双眼鏡でのぞいた先に一羽の鳥がいて、その鳥が一心に餌をついばんだり、さえずったりする姿を見ていたら、少しはブッシュも変わっただろうか。  

 地球上には自分たち以外の人間や動物がいて、それぞれに一所懸命に生きている。その相手とは仲良くなれるかもしれないし、かかわり合いたくないかもしれない。いずれの場合も、おたがいに存在を認め合い、共存する道を探るべきであり、相手を支配したり、自分の都合に合わせて変えてはいけないのだと私は思う。

 イラスト: 東郷なりさ

2003年1月30日木曜日

画一的な美の基準

 何週間か前の新聞に「『美女軍団』青森には来ず」という短い記事が出ていた。昨秋の釜山アジア大会で話題を呼んだ北朝鮮からの300人ほどの女性応援団が、今回のアジア大会には来ないという内容だった。  

 そう言えば、ワールドカップのときも北朝鮮の応援席に美人が勢ぞろいしているシーンがテレビに映った。一般に伝えられる北朝鮮の悲惨な状況とはいかにも不釣合いな華やかな女性たちに、不自然さを感じたのは私だけではなかっただろう。やっぱりあれは国家宣伝用だったのか。あの光景を見て、北朝鮮には美人がいっぱいいるなどと誤解してはいけないのだ。  

 北朝鮮の美女軍団は、韓国内で追っかけも生まれたほどの人気だったそうだから、この罠に引っかかるばかな男たちはいるのだ。彼女たちを見てふと、ハリー・ポッターの4巻に出てくるブルガリア・チームのマスコット、ヴィーラを思いだした。月のように輝く肌と風もないのになびくシルバー・ブロンドの髪でハリーやロンを虜にする100人の女性だ。  

 でも、ヴィーラの本性は魔物だったように、あの美女たちだってよく見れば「まがいもの」かもしれない。そもそも、全員が同じ雰囲気なのが不気味だ。カメラを意識してほほえむせいかもしれないが、髪型といいメイクといい、大量生産されたみたいに似ていた。たとえ美人でも、同じ顔がいくつも並んでいると、何か背筋の寒くなるものがある。昔のスパイ映画のように、ベリベリと皮をむくと違う顔が出てくるのではないか、とつい想像したくなる。  

 もっとも、気味の悪いそっくりさんなら、日本にだってたくさんいる。髪型や服装、小物はもちろんのこと、メイクの仕方からしゃべり方、しゃべる内容まで同じ高校生や大学生の集団をよく見かけるではないか。素顔が見えなくなるほど厚化粧した若い女の子たちは、リカちゃん人形を思わせる。一見したところきれいだけれど、いつも同じ顔で笑っていて、ゴムのにおいのするあの人形が、私はいまひとつ好きになれなかった。どの子の家にもあるリカちゃんより、自分にしかない(と少なくとも本人は思っている)自分のにおいのしみついた汚れたぬいぐるみのほうが、案外、子供は好きなのではないだろうか。  

 それにしても、いまの若い子たちは、なぜあそこまで同じ顔を目指すのだろう。美人は得をするから、少しでもきれいになりたいと思う気持ちはわかる。でも、素顔が見えなくなるほど厚塗りして、髪を染め、美容整形で骨を削って別人になりすましたところで、意味があるのだろうか。彼女たちの頭のなかには、美人の基準が一つしかないのだろうか。いま流行の「美人」が、自分に似合うとはかぎらない。どこにでもいる派手な娘になるより、多少古風でも、田舎風でも、本人の個性がよくあらわれているほうがよほど魅力的に見える。  

 だいたい、似たような人ばかりいたら、仲間内で名前を覚えるのに苦労しないのだろうか。ああいうギャルは、人の顔を見分ける顔細胞がよほど発達しているにちがいない。カラスは人の顔を見分けると言われるけれど、よく似ている女子高校生の顔写真を使って実験してみたらおもしろいだろう。

2002年12月30日月曜日

本から学ぶこと

 年末恒例の家族でのハイキング(といっても、私は仕事が遅れているので参加せず)から帰ってきた娘に、どうだったと尋ねると、「みんなものすごい勢いで歩くんだよ。目的地があるわけでもないのに。おかげで鳥を見る暇もなくて。でも、カケスを見たよ!」との返事。そのあと、娘が読んでいた『あしながおじさん』の一節を見せてくれた。 

「大がいの人は、生活しているのではなく、ただ競争しているだけなのです。遥かかなたの地平線上にある目的地に到達しようとしています。そしてあまり一気呵成に行きつこうとするものだから、すっかり息切れがして、あえいで、通りすがりの美しい静かな田園の眺めを、みんな見落としてしまうのです。そうしてやっと気がつくことは、もう自分がとしをとって疲れ果てたことと、目的地に到着しようがしまいが、何の違いもないってことなんです」  

 たしかにそうだ。目標に向かって努力することは大切だけれど、その過程が苦しいばかりで何もかもを犠牲にしなくてはならないのであれば、目標を達成したところで何か意味があるのだろうか。このごろよくそんなふうに思う。  

 いま、娘は受験勉強の真っ最中だ。それでも、ハリー・ポッターの映画は観に行くし、ハイキングにも行くし、読みたい本も読んでいる。そのあいだに一ページでも問題集を解けばいいのに、とつい言いたくなるけれど、長い目で見ればそんなつまらない勉強よりも、『あしながおじさん』を読んだほうがよっぽどためになるので、私はぐっと我慢する。「一番大切なのは、大きな喜びではありません。小さな喜びから多くのものを得ることこそ大切なのです。おじさん、私は幸福の真の秘訣を発見しました。それは現在に生きることです」と、主人公のジュディは言う。こんな仏教哲学みたいなすばらしいことを、1冊の文庫本を楽しく読むだけで学べるのだ。  

 じつを言うと恥ずかしながら、そういう私は『あしながおじさん』を読んだことがない。中学の三年間は、いま思えば部活動に明け暮れていた。朝練に始まり、毎日、夕方遅くまで練習があり、もちろん土曜日の午後もつぶれるし、日曜だって年中、試合があった。部活動がまったく無意味だったわけではもちろんない。でも、自分の時間がまるでもてなかったこと(それに腰痛になったことも)に関しては、あの三年間は悔やまれる。  

 いまは残念ながら、仕事をして最小限の家事をこなすだけでも精一杯なので、昔、読めなかった分をとりもどすだけの時間はなかなかもてない。それでも、新しい年には、もう少しゆとりをもって日々の暮らしを楽しみたい、と思っている。それから、大きな目的や夢と現実をくらべてはため息をつくのはもうやめよう、とも。  

 みなさま、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2002年11月30日土曜日

健康オタク

 不覚にも風邪をひいてしまった。今年は娘が受験なので、この冬は絶対に風邪をひかせまいと決心した矢先に、もう自分がやられているのだから情けない。

「平熱が36.4度以下の人は異常だと思ってください! 体温が低いと風邪もひきやすいんですよ!」と、学校の保健の先生もおっしゃっていた。平熱の低い私には耳の痛い話だった。言われてみると、人一倍冷えやすいことも、足腰がだるいことも妙に納得がいく。きっと血の巡りが悪いのだろう。中学のころから貧血気味なのも影響しているかもしれない。それとも、このごろよく言われる「ドロドロ血」なのだろうか。  

 いままでは、ときおり体調を崩すことはあっても、自分が不健康だと思ったことはなかった。私の母は食生活にやたら関心が高くて、耳にタコができるほど栄養のバランスやら食品添加物の話を聞かされてきたので、子供のころはもっと好きなものを自由に食べたいとばかり思っていた。高校時代にアメリカで過ごしたときは、トルティヤ・チップスとチーズとビールで夕食をすませたり、夜遅く突然アイスクリームを食べに出かけたり、といった生活が新鮮に思えたほどだ。別に何を食べても生きていけるじゃない、とそのころは思っていた。 

 でも、不摂生や無理を重ねてきた人たちが四十代、五十代になってまわりでバタバタと倒れはじめると、やはり気になる。これまでも世間一般の人よりはまともな食生活をしてきたつもりだが、その程度ではもって生まれた体質の欠点は治らないかもしれない。そこで、とりあえず実験だと思い、健康にいいと言われる食材を片っ端から試してみた。きのこ類にナッツ類、大豆、ゴマ、ニラ、小松菜、モロヘイヤ、アボガド、キウイ、カボチャ、鰻、牡蠣、レバー、ニンニク、ショウガ、唐辛子、酢など、あげだしたらキリがない。苦手な「背の青い魚」も週に一度は食べるように心がけている。  

 さて、その効果は? 気のせいか、手足が温かいことがいくらか多くなったようだ。また、ここ数年、左脚がしびれがあったのだが、最近はまったく感じない。コンピューターによる目の疲れすら、いくらか改善されたようだ。頭の回転のほうにはあまり改善は見られないが。こうなると、ますます健康食品にたいする関心が高まり、納豆がいいと書いてあれば、その日の夕食には納豆が並ぶ、バナナは免疫力を高めると言われれば、おやつに焼きバナナをつくる、といった具合だ。もうこうなったら私も立派な健康オタクだ。  

 というわけで、健康に気を遣ってきたつもりなのに、風邪をひくとは。低体温を克服するにはまだ当分かかるのだろうか。身体を冷やさないようにして、夜は早めに寝てもいるので、いまのところ寝込まずにすんでいるが、頭がぼんやりしていて仕事にならない。 

 もっと一気に体質改善するには、いま流行のサプリメントでも大量に飲まないといけないだろうか? 薬っぽいものはどうも苦手だ。ビタミン剤や鉄剤はそれでもときどき服用するけれど、あくまで「サプリメント=補助」にとどめておきたい。何十年も飲んだのちに、あれには副作用がありました、なんて言われるような気がするからだ。野菜や肉や魚だって、いまは何が入っているかわからない時代だが。  

 結局、なんだかんだ言いながら、子供のころに母にがみがみ言われたことを、いまごろようやく納得して実践しているのかもしれない。