冬休みのあいだ、うちの娘は学校の百人一首大会に向けて、必死で歌を覚えていた。「あの部」の歌は16首とか、「三字ぎまり」の札は37枚とか、覚えるテクニックの書かれたプリントをもとに、娘はそれまでの30数首から、1カ月ほどで100首すべてを覚え、大会に臨んだ。当日は、91首よまれたうち、ひとりで43枚とった、とホクホク顔で帰ってきた。たしかに速い。「高砂の……」と言うなりバシッ。「外山のかすみでしょ」という調子だ。
私だって高校生のころは100首覚えていたはずなのに、いまでは上の句に、違う歌の下の句をつけてしまったりで、まったく勝負にならない。年とともに、こういう暗記力は確実に衰える。思い出すために、古い皮質から新しい皮質に信号が逆戻りする途中で、道がなくなったり、こんがらがったり、障害物が現われたりしているのかもしれない。
まだらボケになった老人と話をしていると、まさにそう思う。さっき会った人の名前ですら、思い出せないのだ。喉まで出かかっているのに、どうしてもその言葉が出てこない。この正月、祖父の妹にあたる人に会いに行った。その大叔母は、私が誰であるかはわからないし、自分がどこにいるかもよくわからない。それでも、昔の話をしだすと、とたんに饒舌になる。このあいだは、関東大震災の思い出を話してくれた。当時は緑四丁目(両国駅の近く)に住んでいて、家は崩れなかったけれど、火事が広がり、月島まで逃げたら、農家の牛が逃げてきていて怖かった、と当時の状況をじつに細かく説明する。いったん回路がつながると、次から次へと記憶が湧きでてくるらしい。
私の祖母も晩年はすっかりボケていたが、91歳で亡くなる数カ月前に、こんな話をしてくれた。「このあいだ、父親に連れられてお見合いに行ってね。相手の人は、30歳は過ぎた書生風の人なのよ」。実際にあったことなのか、ただの夢なのか、定かではないが、しわくちゃのおばあさんがそう話すところが、なんともおかしかった。
こういう老人を見ていると、年をとって何もかも失ってしまったあと、最後に残されているのは、子供のころや若いころの思い出なんだろうか、ふと考えてしまう。短期間に積め込んだ知識はきれいさっぱり消えてしまうし、年とってから新しく覚えたことは、まったく蓄積されない。
そうだとすれば、子供のころや青春時代に、実りあるたくさんの幸せな体験をした人ほど、晩年を豊かに過ごせるのかもしれない。受験勉強に明け暮れたり、ビデオやゲームで仮想体験ばかりして子供時代を過ごしてしまったりしたら、年をとってから自分に何も残っていないことに気づくのだろう。そうならないためにも、脳の奥深くに刻みこまれるようないい思い出を、たくさんつくっておきたいと思う。
娘がせっかく覚えた百人一首も、大半は脳の迷路に入りこみ、やがては出てこなくなるのだろう。でも、心に響く歌であれば、この先、同じような体験をしたときに、するすると口をついて出てくるかもしれない。私のお気に入りの1首はこれだ。
「瀬を早み 岩にせかるる滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」
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