2001年1月30日火曜日

記憶

 先月の桃井緑美子さんのエッセイにもあったが、いったん記憶された情報を思い出すには、覚えたときの35倍の時間がかかることが実際に判明したらしい。おそらく実験には若くてはつらつとしたサルが使われたのだろうから、年とったサルだったら、そのあと何十倍もかかるのだろう。  

 冬休みのあいだ、うちの娘は学校の百人一首大会に向けて、必死で歌を覚えていた。「あの部」の歌は16首とか、「三字ぎまり」の札は37枚とか、覚えるテクニックの書かれたプリントをもとに、娘はそれまでの30数首から、1カ月ほどで100首すべてを覚え、大会に臨んだ。当日は、91首よまれたうち、ひとりで43枚とった、とホクホク顔で帰ってきた。たしかに速い。「高砂の……」と言うなりバシッ。「外山のかすみでしょ」という調子だ。  

 私だって高校生のころは100首覚えていたはずなのに、いまでは上の句に、違う歌の下の句をつけてしまったりで、まったく勝負にならない。年とともに、こういう暗記力は確実に衰える。思い出すために、古い皮質から新しい皮質に信号が逆戻りする途中で、道がなくなったり、こんがらがったり、障害物が現われたりしているのかもしれない。  

 まだらボケになった老人と話をしていると、まさにそう思う。さっき会った人の名前ですら、思い出せないのだ。喉まで出かかっているのに、どうしてもその言葉が出てこない。この正月、祖父の妹にあたる人に会いに行った。その大叔母は、私が誰であるかはわからないし、自分がどこにいるかもよくわからない。それでも、昔の話をしだすと、とたんに饒舌になる。このあいだは、関東大震災の思い出を話してくれた。当時は緑四丁目(両国駅の近く)に住んでいて、家は崩れなかったけれど、火事が広がり、月島まで逃げたら、農家の牛が逃げてきていて怖かった、と当時の状況をじつに細かく説明する。いったん回路がつながると、次から次へと記憶が湧きでてくるらしい。  

 私の祖母も晩年はすっかりボケていたが、91歳で亡くなる数カ月前に、こんな話をしてくれた。「このあいだ、父親に連れられてお見合いに行ってね。相手の人は、30歳は過ぎた書生風の人なのよ」。実際にあったことなのか、ただの夢なのか、定かではないが、しわくちゃのおばあさんがそう話すところが、なんともおかしかった。

 こういう老人を見ていると、年をとって何もかも失ってしまったあと、最後に残されているのは、子供のころや若いころの思い出なんだろうか、ふと考えてしまう。短期間に積め込んだ知識はきれいさっぱり消えてしまうし、年とってから新しく覚えたことは、まったく蓄積されない。  

 そうだとすれば、子供のころや青春時代に、実りあるたくさんの幸せな体験をした人ほど、晩年を豊かに過ごせるのかもしれない。受験勉強に明け暮れたり、ビデオやゲームで仮想体験ばかりして子供時代を過ごしてしまったりしたら、年をとってから自分に何も残っていないことに気づくのだろう。そうならないためにも、脳の奥深くに刻みこまれるようないい思い出を、たくさんつくっておきたいと思う。  

 娘がせっかく覚えた百人一首も、大半は脳の迷路に入りこみ、やがては出てこなくなるのだろう。でも、心に響く歌であれば、この先、同じような体験をしたときに、するすると口をついて出てくるかもしれない。私のお気に入りの1首はこれだ。  
「瀬を早み 岩にせかるる滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」

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