2004年10月7日木曜日

土地開発

 今朝の新聞に、大量のチラシとともに、近所に建設中のマンションの大きな広告が入っていた。以前に住んでいたアパートの少し先にあった木立ちを切り倒し、山を削って建てたマンションだ。東海道がにぎわっていたころから、旅人を見つめていたのではないかと思われるような大木を無情にも引き倒し、巨大な穴になった工事現場は、とても正視に堪えないものだった。完成間近なマンションはすでに街並みと一体化しており、元の光景が思い出せない。  

 ここだけではない。この夏、足繁く通った尾根道から神社にかけての散歩道に、先日、二週間ぶりくらいに行ってみた。民家のわきにある小道を抜けて、その先にある私の好きな「山道」に出ようと思った途端、息を呑んだ。道そのものがなくなっていたのだ。木はすべて切り倒され、ブルドーザーが何台か忙しく働いていた。仕方なく、下の道を通って神社に行ったが、途中で何台も工事用の大型トラックとすれ違った。無性に腹が立ち、石でもぶつけてやりたい気分になった。  

 すべての土地が建物で埋まるまで開発しないと、気がすまないのだろうか。こんな山の斜面くらい、放っておいてくれればいいのに。ストレス解消で通っていた散歩道が、かえってストレスのたまる道となり、私には逃げ場がなくなった。  

 数日前、チンギス・ハンの霊廟跡が確認されたというニュースが報道された。チンギス・ハンの墓は、当初からありかがわからないように、目印もつくらせなかったという。そのニュースに関連して書かれていた白石典之・新潟大助教授の言葉が、とても印象的だった。「生きるために大切な草原に物をつくらないのが遊牧民の正しい姿で、チンギス・ハンはそれを守った」、というものだ。人間が地球の環境のなかに住まわせてもらっている、というこの謙虚な姿勢にくらべ、いまのわれわれはどうだろう?  

 まず、新しい道路ができる。すると周辺の山が崩され、どんどん宅地化する。山を崩し、木を切ると雨水が川にあふれるからか、最近のマンションはみな巨大な遊水地の上に建っている。子供の遊ぶ場所がないと困るので、申し訳程度に公園をつくる。人工の遊具しかない狭い公園など、小学生くらいになるともう見向きもしない。遊び場のない小学生や中学生は、ゲームセンターにたむろし、ショッピング街をうろつく。学校でいくら環境保護の大切さを教えても、自然に触れることのない子供は、何を聞いても実感できないだろう。  

 今朝のマンションの広告には、小さな字で、環状2号線沿いの西側の窓には、特殊なガラスを使用と書いてある。おそらく窓はとても開けられないのだろう。駅に近く、周辺にはショッピング街、病院、学校、公園があり、暮らしやすい環境だそうだが、本当にそうだろうか? 幹線道路から50メートル以内は癌の発生率が高いというニュースを、このあいだ見たような気がする。  

 チンギス・ハンの墓はあえて捜さないほうがいい。草原を掘り返し、墓をあばいて分析するより、謎のままにしておいたほうがいい。チンギス・ハンは静かに眠らせてやり、モンゴル人の昔からの知恵を「先進国」の住民に聞かせてやるのが一番だ。

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