テキサスはアラスカに次いで二番目に広いせいか、メキシコ湾沿いにあるためか、全米で最も鳥の種類が豊富な州らしい。私たちが滞在したヒューストン郊外の一帯は、グリーンベルトと呼ばれる緑の回郎が整備されていて、裏庭を抜けると、幅1.5メートルほどのコンクリート舗装の小道にぶつかり、そこを歩くだけで真っ赤なカーディナルやアオカケスはもちろん、42センチの大型キツツキにまで出会える。住民の多くは、この回郎をサイクリングやウォーキングに利用し、みごとに手入れの行き届いた湖畔の公園やゴルフ場で余暇を楽しんでいる。現地で知り合った鳥好きの人に、一日、メキシコ湾へ連れていってもらい、巨大な精油所の建ち並ぶ湿地帯で無数の蚊にたかられながら、多くの水鳥も見た。
週末はサンアントニオとテキサス・ヒルカントリーを旅行した。アラモの砦も見に行った。1835年~36年のテキサス独立戦争の折、ここでメキシコ軍と戦って命を落としたデイビー・クロケットら187名は、「メキシコ政府の圧制から自由」を守るため、命も惜しまなかった人びととして、アメリカ人に英雄視されている。この戦いに勝利して、テキサス共和国ができた9年後には、この広大な土地すべてがアメリカ合衆国に併合された。
テキサスには膨大な石油と天然ガスがあり、行く先々で小さな石油採掘機がちょっとした空き地で稼働しているのを見かけた。ガソリンの値段を見ると、1ガロン当たり2ドル35セント。1リットル72円くらいだろうか。日本のほぼ半値だ。テキサスが独立せず、メキシコ領のままだったら、世の中は変わったに違いない。一日中エアコンをつけ、どこへ行くにも車に乗るアメリカ人の暮らしを、これらの石油が支えているのは間違いない。
レストランでは、楕円の大皿に盛られた大量の料理がでてくる。店内を見回すと、8割くらいは肥満した人で、そのうち2割は信じられないほどの巨体だ。大量に食べて、大量のゴミを分別せずに捨て、ダイエット食品や薬に頼り、多くの時間をエクセサイズに費やす。なんと無駄の多い生き方か、と思わざるをえなかった。
一方、9・11がアメリカ人の心に残した傷の大きさも、言葉の端々に感じられた。かつては世界中の人びとの羨望の的だったアメリカ文化も、いまでは批判の対象になるばかりだ。それが彼らの自尊心を傷つけ、ナショナリズムに走らせているように思った。
でも、アメリカのそうした側面に賛成しないからと言って、アメリカ人全体を憎む必要はないし、アメリカ文化を全面的に否定する必要もない。今回の旅では、多くの人びとから温かい好意を受けた。エルパソからわざわざ会いにきてくれた昔の友人は、おいしいタコスをつくってくれたし、サンアントニオで泊めてくれた友人は多忙にもかかわらず町を案内してくれた。とりわけうれしかったのは、気難しいホストファーザーが、旅先からの私たちのリクエストに応えて、コーンブレッドを焼いて夕食を用意してくれていたことだ。私がモーニングサンダーという紅茶が好きだったことも、娘にリコリスを味見させたいと言ったことなどもちゃんと覚えていて、帰り際にさりげなくもたせてくれた。今度は25年も待たずに会いにきてくれよと言われ、私は強くうなずいた。
泊めてもらったお宅のウッドデッキで。実はせっせと仕事をしているところ
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