2008年3月31日月曜日

コウモリ通信その100

 鳥と動物のあいだで大紛争が起こりそうになった。両軍が集結すると、コウモリはどちらに加わるべきか迷った。コウモリがぶらさがっているそばを飛んでいく鳥たちが言った。「一緒においで」。でも、コウモリは答えた。「ぼくは動物なんだ」。しばらくのち、下を通りかかった動物たちが見あげて言った。「一緒にこいよ」。でも、コウモリは答えた。「ぼくは鳥なんだ」。幸い、土壇場になって和平が結ばれたので、戦いにはならなかった。そこで、コウモリは鳥のところへ祝宴に加わらせてほしいと頼みに行った。ところが、鳥はみなそっぽを向いたため、コウモリはすごすごと引き返した。今度は動物のところへ行ってみたが、八つ裂きにされかねず、逃げ帰るはめになった。「ああ、ようやくわかったよ」コウモリは言った。 「どっちつかずの者に、友達はいないんだ」――イソップ寓話  

 コウモリ通信と名づけたエッセイを一月に一度、牧人舎のホームページに寄稿させていただくようになってから8年の歳月がたち、今回で「その100」を迎える。翻訳の仕事は英語が得意な人よりも、日本語がうまい人のほうが向いているそうだが、私の場合は、残念ながら国語は大の苦手科目だった。だからこそ、毎月のこのエッセイは作文の練習だと思ってつづけてきた。途中、3度の引越しを重ね、人には言えない悩みで頭がいっぱいで、当り障りのないことしか書けない辛い時期もたびたびあった。それでも書きつづけてきた甲斐あって、最近は文章を書くことがあまり億劫でなくなってきた。   

 エッセイを書きだしたころは、翻訳業に足を踏み入れてまだ数年目だった。すでに平日の昼間に外を歩いても違和感がない程度には自由業の生活に順応していたが、PTAの集まりにでると、時間がたっぷりある周囲のお母さんとのあいだで浮いていた。旅行会社にいたころは、残業、出張、添乗が日常的な職場で、ずいぶん肩身の狭い思いをした。かといって翻訳の世界も、本来は運動したり工作したり、旅にでたりするのが好きな私には息の詰まることが多い。自分にぴったりの環境を探し求めながら、どこにも身の置き場がなかった私は、いつしか自分をコウモリと重ねていた。 

 100回目のエッセイを書くに当たって、イソップの寓話をネットで検索したら、「卑怯なコウモリ」という題名だった。卑怯……そうなのかなあ。もう少し、検索したら、The Bat, the Birds, and the Beastsと題された英語版が見つかった。それを訳したのが冒頭の話だが、少しニュアンスは異なる。コウモリは鳥でないのに、鳥のふりをすることはできず、動物でないのに、動物のふりができなかっただけなのだ。私にもコウモリどころか、カメレオンほどいろいろな「顔」がある。そのどれもが私なのに、どれか一つだけを仮面のようにかぶり、それ以外のアイデンティティを押し殺すことはできない。  

 ハンギング・プランツ、根無し草のコスモポリタン、そう言われても仕方ないかもしれない。でも、エッセイを書きながら、音信の途絶えてしまった昔の友達が、いつかネット上で私を見つけてメッセージを受け取ってくれたらとも願っている。コウモリだって友達がいないと寂しい。だから、懐かしい人から、「読んだよ」と言われるのが何よりもうれしい。バックナンバーまでさかのぼって読んでくれた旧友もいるし、このエッセイのおかげで何十年ぶりかの再会をはたすこともできた。毎月、拙文を欠かさず読んでくださっているみなさまには、本当に感謝している。いまやコウモリ通信は私の大切な宝だ。 

 8年間、多忙ななか毎月かならずこのホームページを更新し、私のエッセイにひょうきんなコウモリの挿絵を描き、いつもフォローしてくださった野中先生に、この場を借りてお礼を申しあげたい。それから、「別にいいんだ、私は私。どうせ変人だから」と言って、私の悩みも笑い飛ばすうちの子コウモリにも、たびたびイラストを描いてくれ、話のネタになってくれたことを感謝せねば。最近、娘は絵のブログ http://pub.ne.jp/KuinaSoi17/や、その他の活動に忙しくてあまり協力してくれないが、今回は100回目だからと、マレーシア旅行に飛びだしていく前日に、親子コウモリの絵を描いてくれた。テレマカシー。

 イラスト:東郷なりさ

 イラスト:野中邦子

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