2009年1月30日金曜日

お雛さま

 『三月ひなの月』という本をご存じだろうか? 昨年、101歳で亡くなった石井桃子さんが1963年に書いた児童書だ。貧乏な母子家庭の母親が、昔もっていたお雛さまのことが忘れられず、娘に新しい雛人形を買ってやれないでいる、というちょっと暗い話だ。幸い、私が子供のころ、うちには曽祖父が伯母のために買ったという御殿付きの七段飾りがあった。古い人形なので、箱からだすときに首が抜けたりして怖いものがあったが、箪笥や御膳、箱枕などをいじるのは楽しかった。私自身はお雛さまがなくて残念だと思わなかったせいか、この本は子供のころ一度だけ読んで本棚の奥にしまい込んでいた。 

 のちに娘が生まれたあと、その七段飾りの行方を探したが、親戚のあいだを回るうちに所在がわからなくなっていた。そこで、私は『三月ひなの月』をもう一度引っ張りだしてきた。本のなかのお母さんは最終的に折り雛のつくり方を習い、娘のために折り紙の段飾りをつくってやる。私はそれにヒントを得て、自分で雛人形をつくろうと思い立った。  

 私の頭に浮んだイメージは、おにぎりのような、お手玉のような布のお雛さまだった。それなら、幼い娘が振り回しても壊れない。仕事から帰り、娘を寝かしつけたあと、白いハンカチを切って円錐形のようなものをつくり、綿を入れ、そこにあり合わせの端切れやリボンを重ねて縫い、顔を刺繍すると、お内裏さまができあがった。翌朝、起きてきた娘が第一号のお内裏さまを見たときの顔は、生涯忘れられない。不細工な人形でこれだけ喜んでもらえるならと、調子に乗った私は、それから毎晩、一人ずつ増やしていった。お雛さまがやけに太めになり、三人官女も「大女」になるなど、いろいろ失敗もしたが、右大臣は白い布の下にピンクのフェルトを入れ、赤い顔にするといった懲りようだった。 

 最初の年は、本を重ねて階段をつくってお雛さまを飾った。でも、やはり子供のころにあったお雛さまのような御殿が欲しい。収納に困らないように、すべての段が小さい箱に収まるようにしたい。満員電車のなかであれこれと構想を練り、ついに竹ひごで編んだ御簾付きの、特製団地サイズの雛人形一式をつくりあげた。さらに翌年にはもう少し見てくれのいい布で新たにもう一セットこしらえ、全員に座蒲団をつくり、欄干と階をつけ、牛車までつくった。その完成版の写真を捜したけれどあいにく見つからなかった。 

 この雛人形たちは、ブロックでつくった列車のなかに寿司詰めにされたり、二列に並んで座蒲団取りゲームをやらされたり、あるいは「下克上の世だ!」とばかりに、御殿に仕丁が座り、内裏雛は下足番に並び替えさせられたりと、ずいぶん可愛がられた。 

 それから何年かたって、私が足しげく通っていた児童書と玩具専門店の狭い店内で、あるとき『折りひな』という本を見つけた。表紙の写真を見た途端、『三月ひなの月』の折り雛だ、と直感した。本には折り紙がセットされていたので、当時五年生の娘が早速、小さな折り雛を折り、私は折り畳み式階段と金屏風と雪洞を紙でつくってやった。そのすべてがB5版より小さい「たとお」のなかに収まってしまう。娘は高校生になるまで、このコンパクトな折り雛セットを3月3日になると学校にもって行っていた。教室に飾ると、みんな大喜びだったらしいが、私が金屏風に描いた泥道を行く牛の絵は笑いものだったそうだ。  

 行方不明だった古い七段飾りも、その後、叔母の家の物置から見つかった。おかげで、娘はいろいろな雛人形をもつことになったが、いまでもいちばん気に入っているのは、私がつくった第一号の不細工なお内裏なのだそうだ。つい最近になって、私が額に刺繍した点の眉を、娘はずっと目だと思っていたことが判明した。「素っ頓狂な顔でかわいいと思っていたのに!」娘は抗議したが、私は腹をかかえて笑ってしまった。

『三月ひなのつき』石井桃子作(福音館書店)

 第一号のお内裏さまとお雛さま

 完成一歩手前のお雛さまと 幼かった娘

『折りひな』田中サタ他著、三人会(残念ながら絶版)*2012年に福音館書店から新版として再刊

 折り雛セット

0 件のコメント:

コメントを投稿