2010年1月3日日曜日

追悼 故鈴木主税先生を偲んで

「clueという単語をすべて『手がかり』と訳しているのは、どうかと思うね。数えただけでも9ヵ所はあった。糸口とか端緒とか言い換えられないのかね?」  1つの英単語にたいし、1つの訳語を機械的に当てはめるな、と鈴木主税先生にはたびたび注意された。「『しゃべりまくる』とか、『ぴんしゃん』なんていう下品な口語は使いたくないね。しゃべるように書けというのは、あれは間違いだ。書く文章は、気取っているくらい硬いほうがいい」とも言われた。  

 訳文が冗長で眠くなる。オノマトペや大げさな表現を多用するな。同じ助詞が連続しないように言い換えろ。漢字が無用に4語も連続すると四字熟語と見誤るから避けろ……等々、先生に指摘されたことは限りない。「きみの言語感覚を疑うね」と頭ごなしに怒られたときは、さすがに腹に据えかねて、「言葉なんて時代とともに変わるものだと思いますが」と、ささやかな反論を試みた。 

 いまから15年ほど前、転職を考えていた私は、会社勤めをしながら翻訳の通信講座を受けていた。資格さえとれたら、フリーで翻訳の仕事が始められると気楽に考えていたところ、1年半近く失業生活を強いられることになった。その後、鈴木先生の講座を受講したことをきっかけに、牧人舎で勉強しながら下訳の仕事をいただくという「徒弟」のような日々を8年ほど送った。  

 途中、バンコクに移住した時期もあったが、鈴木先生はその間も仕事をくださり、おかげで私は海外でもなんとか働きつづけることができた。そのころ訳した1冊、フェイガンの『歴史を変えた気候変動』の書評のコピーを、多忙な先生がわざわざバンコクまで送ってくださったことは、いまでも忘れられない。  

 牧人舎で下訳させてもらった本は、アンモナイトからマイケル・ジョーダンまで、占いから国際政治まで、実に多岐にわたった。下訳料は高いとは言えなかったけれど、なかには出版されず仕舞いの本もあり、それでも仕事が終わるとすぐに振り込んでくださったことが、毎月の家賃を払うのに苦労している私にとっては非常にありがたかった。  

 鈴木先生はどちらか言うと独断的で、懇切丁寧に教えるタイプでもなかったので、私は先生に言われたことすべてを納得して受け入れていたわけではなかった。それでも、フリーで仕事をするようになってからよく、そうか、これが先生の言わんとしていたことだったのか、と思い当たることがあった。たとえば、本を読んでいると、自分の気に入らない表現はやたらに目につく。それが1度でてくるだけなら見逃せるけれど、何度も繰り返されると、うんざりしてくる。同じ訳語を繰り返さなければ、読者をそんなつまらないことで刺激せずにすむ。だからこそ、言い換えは必要だったのだ! もちろん、特定の専門用語であれば、話は別だろうが。 

「15分でも30分でも時間があれば、仕事をする癖をつけなさい」と、先生はおっしゃっていたが、ご本人もいかにも仕事中毒の人だった。長時間、座りつづける翻訳業が身体によいはずがない。晩年はまず目や腰を悪くされ、入退院を繰り返されていた。「倒れるまで仕事をつづける」と、先生は口癖のように言われていたから、のんびり気ままな余生を送られるつもりなど毛頭なかったのかもしれない。延命治療は拒否なさっていたそうで、それもいかにも鈴木先生らしい。遺された膨大な数の訳書は、これからも多くの人に読みつがれるだろう。 

  鈴木先生、たいへんお世話になりました。どうぞこれからは安らかにお眠りください。

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