私が80年代に通った大学は都心にある私大で、裕福な家庭の自宅生が大半だったから、月に何度も飲み会や食事会があって、サークルの活動や合宿がつづいても、高級ブランド品に身を包み、アルバイトはほんの小遣い稼ぎ程度、という人が大方を占めていた。料理教室や茶道教室、テニススクールなどに通うのも一般的だったし、休みには誰かの別荘に泊まらせていただくといった優雅な大学生活を送っていた。
小学校から地元の公立校しか知らなかった私にしてみれば、えらい世界に入り込んでしまったわけだ。私は彼らとの付き合いの一切合切を自分で賄わなければならなかったから、家庭教師を何軒もやり、3、4年次は週に2日は終日アルバイトをし、冬のあいだはスキーの宿で居候をしたり、スキー学校で教えたりしながら、なんとかやりくりしていた。それでも、アルバイトの口はいくらでもあったし、無利子の育英会奨学金も申請すれば簡単に、特別貸与の割り増しでもらえたうえに、入学金や授業料まで頼むまでもなく免除してもらっていた。だから、自分だけが辛酸をなめた、という意識は少しもなかった。
それから四半世紀がたち、東京のはずれにある国立大学まで片道2時間をかけて通学した娘がこの春、無事に卒業した。地方からきた真面目な学生が多い地味な大学だったせいもあって、娘の学生生活は私のころとは似ても似つかぬものだった。「店飲み」などまずしない。食材と安酒を買いだしに行き、学校内や誰かのアパートで鍋を囲みながら飲むのがふつうなのだそうだ。これなら1人1000円程度の予算で、充分に楽しめる。食費を切り詰めている友人たちは、研究室で具なしスパゲティをつくり、コンビニのおにぎりや菓子パン、100円バーガーを2個だけ、といった乏しい食事で腹を満たしていた。身体は資本だから、うちの娘には毎日、見てくれはどうであれ、少なくとも栄養だけはある弁当をつくってもたせた。
私の学生時代は、多くの学生が休みを利用して長期間、海外へでかけたのに、いまの学生は国外にでることを端からあきらめているのか、関心がないのか、日本から一歩もでようとしない。スキーのようにお金のかかるスポーツも敬遠され、ゲレンデは閑古鳥が鳴いているそうだ。なにしろ、いまの若者は人生で最も自由で時間のある学生時代の多くを、リクルートスーツを着て就活に費やさなければならない。靴を何足も履きつぶして何十社をめぐっても、どこにも就職できず、絶望して電車に跳び込む学生もいるという。
0 件のコメント:
コメントを投稿