2010年6月30日水曜日

ラッコに会いに行く

 小学生のころ繰り返し読んだ本の一つに『いたずらラッコのロッコ』(神沢利子作、あかね書房)がある。空の大男につかまってカニと一緒にスープにされそうになり、鍋の底にある星をはがして海に戻る場面などは、長新太のとぼけた挿絵のおかげもあって、いまでも鮮明に覚えている。 
  
 ラッコが空想の動物ではなく、実在の生き物であるのを知ったのはずいぶんのちのことだった。サンシャインの水族館で水槽のなかにいるラッコを見たときは、ちょっと悲しかった。いつか広い海で海藻を巻きつけながらぷかぷかと浮かんでいるラッコを見てみたいと、心の片隅で思いつづけてきたが、もしかしたら近々その願いがかなうかもしれない。  

 四年前、高校時代のホストファミリーを訪ねたときに、今度は一緒にアラスカへ行こう、と冗談半分で言っていたことが現実になったのだ。私はレンタカーか鉄道で回れたら、と考えていたのだが、いつの間にか海岸線沿いに氷河など見ながら旅をする豪華クルーズ船に乗ることになっていた。パンフレットと料金を見て私がひるむと、ホストマザーがクルーズ代だと言って、ぽんと小切手を送ってきた。これでは親孝行というより、「80日間世界一周」のパスパルトゥーのようになりそうだ。でも、彼らだっていつまで元気でいるかわからないし、こんな機会はもう一生ないだろう。移動・宿泊・食事・観光がすべて含まれるクルーズは、アラスカのように広大な土地を回るには割安であることもわかった。次の仕事も決まっていないけれど、腹を括り、有り金をはたいて航空券を買うことにした。  

 エクソン社のパイロットをしていたホストファーザーは、たびたびアラスカへ飛んでいた。アラスカの北端にあるプルードーベイ油田からは、全長一三〇〇キロにわたるパイプラインが、北米最北の不凍港バルディーズまで延びている。一九八九年、この積出港をでたエクソンバルディーズ号がブライリーフで座礁し、四万キロリットルの原油が流れだした。メキシコ湾の事故が起きるまでは、これが最大の油汚染事故と言われ、海鳥が数十万羽、ラッコは数千頭が犠牲になった。ラッコは、凍結しないプリンスウィリアム湾の波間に浮かんでいたのだろう。皮下脂肪の少ないラッコは、毛づくろいをして空気の層をつくることで体温の低下を防いでいるが、油まみれになると凍え死んでしまう。ラッコが仰向けになっているのは、呼吸が楽だからという説と、毛皮のない鼻先と足先を海面にだすためという説を読んだが、どうなのだろう?  

 アラスカには氷河が10万あると言われる。気候変動関連の本を立てつづけに訳していた私としては、間近に氷河を見られる機会も見逃せない。プリンスウィリアム湾付近のカレッジ・フィヨルドの氷河群やコロンビア氷河は、近年いちじるしく後退しているという。  

 旅行前にこんなことを下調べしている私の心を知ってか知らでか、元エクソン社員のホストファーザーは、「アラスカは本当に広いんだ。すべてを見ることなんてできない。ただ空気を吸い込んで、チヌーク・エールを飲めば、それだけでじつに楽しめるさ」と言ってきた。そうかもしれない。バケーションもバカンスも、仕事や責務を忘れて頭を空っぽにすることなのだから、「見るべきものリスト」ばかりをチェックするのはやめよう。 クルーズ会社から送られてきた案内を読んで目が点になった。フォーマルナイト用に女性はカクテルドレス、ガウン……男性はダークスーツ、タキシード……と書かれていたのだ。「少しだけお洒落なトップを一枚もってこられる?」と、ホストマザーがすかさずメールを送ってきた。どうせテーブルからは上半身しか見えない、ということか。何もかもお見通しらしい。いったいどんな旅になるのやら。

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