2011年1月31日月曜日

藤沢・江ノ島七福神めぐり

 一月なかばに、新聞記事を見て思いたち、藤沢・江ノ島歴史散歩「七福神めぐり」に行ってきた。だいぶ前に深川の七福神めぐりをして土鈴を集め、蒲鉾の板を削って娘に宝船をつくったことがあったが、藤沢の七福神はスタンプ・ラリーのように各寺社でスタンプを集めると、最後に100円で「開運干支暦手拭」が買えるというもので、いかにも商工会議所と観光協会が主催するイベントだった。肝心の七福神も、江ノ島の弁財天以外は、各寺社に祀られた多数の神仏の一つで、小さな置物が飾られているだけのところもあった。  

 それでも、湘南の冬のやわらかい日差しを浴びながら、小さい商店が並ぶ藤沢の町を地図を片手に歩くと、ちょっとした旅行者気分が味わえた。途中、真っ赤に塗られた遊行寺橋の欄干を見て、娘が中学1年の夏休みの宿題のために、旧東海道を歩いた際に同じ道を通ったことを思いだした。このコウモリ通信を書き始めて間もないころのことだ。あれからすでに10年以上の歳月がたっている。藤沢駅から南は、娘が大学受験から解放された直後に、2人で江ノ島まで行ったときにたどった境川沿いを再び歩いてみた。  

 それにしても七福神というのは、日本古来の神々から、ヒンドゥー教や道教の神々などが入り交じった不思議な信仰対象だ。宝船に乗った図は中国の八仙とそっくりだ。「福」が精神的な幸福よりも、商売繁盛とか長寿といった、財福に近い具体的なご利益であるところは、いかにも庶民的だ。七福神に限らず、日本で信仰対象となるものは得てして、合格祈願や安産、交通安全、豊作などのわかりやすいご利益のあるものか、先祖や土地の霊だろう。それぞれの願いをかなえてくれそうな神さまに、必要に応じて祈願し、その対象はお稲荷さんであったり、菅原道真や源義経のような歴史上の人物であったり、如来や菩薩であったりする。宗教は何かと問われて、答えに窮する日本人が多いのはそのためだろう。  

 でも、たとえば仏教国と言われるタイでも、街で人びとが祈りを捧げている対象はヒンドゥーの神やピー(精霊)の祠だったりするし、関帝廟も随所にある。中国風の観音菩薩の前でひれ伏して祈っている若い女性は、煩悩を捨てようとしているというよりは、恋愛成就を願っているように見える。同じような例は、一神教であるはずのキリスト教やイスラム教でも実際には見られる。カトリックではとくに、殉教者の聖遺物などが病気を治す信仰対象になっていたりするし、メキシコのグアダルーペなどでは聖母が出現したとされる地へ信者が這って詣でている。聖人信仰はイスラム教のスーフィズムにも見られ、アジアにイスラム教が広まったのは、そのためだと言われている。おそらく、土着信仰を頭ごなしに否定せずに、八百万の神に聖人を加えるかたちで徐々に布教した結果に違いない。 

 宗教的には少々怪しげなこうした信仰は、現実的かつ個人的なご利益を求めすぎるきらいはあるけれども、人びとが多様な神さまを信仰し、それによって安心を得て、結果的に多少のご利益もあるなら、結構なことではないかと最近は思う。壮大な神学体系を妄信することを強要し、勢力拡大をはかろうとして、ほかの人びとの信仰対象を否定し、暴力行為におよぶ信仰よりは、よほど平和的だ。商売繁盛だの家内安全だのを祈る人同士なら、宗教戦争にも発展しないだろう。境内のなかにところ狭しと並ぶ神さまを見ながら、八百万の神さま万歳、と言いたくなった。

 感応院

 白旗神社

 養命寺

 開運てぬぐい

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