ガンダーラの仏像の章にはもう一つ、興味深いことが書かれていた。この像の「手のポーズは、ダルマの輪を回す印相、ダルマチャクラと呼ばれています。(中略)仏陀の指は輪のスポークの代わりとなっており、彼は信者たちにむけて『法輪を動かし始めている』」。仏教のシンボルである法輪は、いまでは舵輪のように描かれるが、もとはスポーク付の車輪そのものを表わしていたのではないか。スポーク付の車輪は紀元前二千年紀に中央アジアのステップ地帯で発明され、乗り物となって各地へ急速に伝播した。釈迦の時代のインドにも普及していただろうが、それでも当時の最新技術だったに違いない。だからこそ、シンボルマークに選ばれたのではないのか。
そんな疑問が頭から離れず、岩宮武二の特大豪華写真集『アジアの仏像』を図書館から借り、あげくのはてにアマゾンで最安値の(私にとってはそれでも恐ろしく高額の)中古品を手に入れ、暇を見つけてはページをめくって仏像の変遷を調べた。仏像のヘアスタイルは、3世紀ごろに南インドのアマラーヴァティーあたりから変わった可能性が高く、衣装も薄着になっていったようだ。法輪は調べた限りでは、紀元前3世紀のアショーカ王の石柱が最も古い。おもしろいことに、東南アジアの仏像には法輪が刻まれているものが多いが、アフガニスタンやチベットにはほとんど見られない。考えてみれば、山がちのこうした地域では車輪は無用の長物だ。車付きの乗り物が威力を発揮するには、平坦な土地に道路を建設できて、それを引く役畜がいなければならない。北伝仏教が伝播した中国、朝鮮などの古い仏像にも法輪はまずない。昨夏の空海展の土産売り場で、金剛杵やマニ車をモチーフにしたものはたくさんあったし、古代インドの武器である円盤状のチャクラムはあっても、法輪が見つからなかったのはそのためかもしれない。一方、東南アジアの歴史に転輪聖王(チャクラ・ヴァルティン)という言葉が頻繁にでてくるのは、南伝仏教だからだろう。江戸時代に盛んにつくられた庚申塔には、なぜか法輪がよく刻まれている。
やはり空海展で見た、東寺所蔵の重要文化財「蓮華虚空蔵菩薩坐像」という9世紀唐代の、孔雀に乗った不思議な菩薩像も、この本にあるクマーラ・グプタ一世の金貨(415~450 年)を見て納得した。クマーラというヒンドゥーの神さまが孔雀にまたがっていたのだ。インドの神さまなら、孔雀でもおかしくはない。ひょっとすると、この金貨を見て唐の仏師は孔雀を菩薩の乗り物に選んだのかもしれない。謎が解けていくのはじつにおもしろい。
大英博物館で見た所蔵品
ガンダーラの仏陀像(左)、
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