2015年1月31日土曜日

人力

 このところの円安のせいで観光地はどこも外国人で賑わっているという。「5年後の東京五輪に向け、人力車の台数を増やすか検討している」。先日、こんな記事を毎日新聞で読み、思わず苦笑してしまった。Rickshawという英単語があり、同様の乗り物がアジア各地に見られるので、中国かインドで発明されたのだろうとずっと思っていたが、人力車はどうやら日本が発祥の地らしい。まさに日本の伝統文化なのだが、発明されたのはじつは明治になってからだ。

  刀や甲冑をつくる鍛冶屋はいたのに、鉄を量産できなかったせいか、日本では車輪に鉄製の箍をはめることも、ハブを金属で補強することもなく、明治初期まで御所車のような巨大な木製の車輪が大八車にも使われていた。これではもちろん重過ぎて、人間一人の力ではとうてい引っ張れない。軽量で丈夫な車輪の製法は、幕末に馬車が導入されたときに伝わったと見られ、1865年にはフランスの技術指導で横浜に製鉄所もつくられたが、なぜか普及したのは人間が引く乗り物だった。そもそも家畜を去勢して荷を引かせる習慣がなく、牽引用に特殊な馬具を必要とする馬は、簡単な軛で間に合わせられる牛以上に利用が難しかったのだろう。畜産ですら、一部の藩で行なわれていたに過ぎない。馬車の通れるような舗装された広い道が少なく、橋もほとんどが木製で、渡し場があったことなども、江戸幕府が敢えて馬車を普及させなかった理由らしい。横浜には「馬車道」とわざわざ名づけられた通りがある。国によっては2000年以上も前から使われていた馬車が、日本では明治期の最新技術であったことが、この名称からもうかがえる。

 「散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」と明治の流行歌にうたわれた「文明開化」という言葉は、福沢諭吉が最初にcivilizationの訳語として使ったものだという。文明と対置するのは未開または野蛮なので、そう考えると江戸時代までの日本は未開の地だったことになる。そんなことを書けば、むきになって反論されそうだが、室町末期に来日したザビエルはもとより、幕末にきた外国人の目にも、日本はきわめて特異なお伽の国として映っただろう。なにしろ、独特の文化があって、秩序も保たれているが、彼らが文明国の条件として考えるじつに多くのものが、江戸以前の日本には欠如していたからだ。何よりも、日本には人力以外の動力を使おうという発想がなかった。水車にしても、明治以前に普及していた地域は限られており、大半は最も単純な下射式だ。古代ローマには水車の動力を利用した製材所があったというが、日本では江戸末期でも人力一筋だったことが北斎の絵などからもわかる。

  じつは現在、なんらかの原因で文明が崩壊したあと、人類が狩猟採集生活に戻ることなく、再び文明を再建するためにどんな知識が必要か考える本を訳している。ところが、新しい章に入るたびに、うーむ、日本ではこれも明治の新技術なのに、と考え込まざるをえない。たとえば焼成煉瓦。関東大震災で煉瓦造りの西洋建築が多数崩れたこともあって、日本では一時的なブームに終わったようだが、煉瓦は建材であるだけでなく、家庭の暖炉から高炉までつくれる炉材でもあった。金属を製錬するにも、ガラスやセメント、化学肥料といった、「文明」を支えるさまざまなものを製造するにも、高温に耐える炉がなければつくれない。日本にも5世紀なかばには登窯が、ろくろや炭焼きの技術とともに伝わったようだし、粘土製の炉で木炭と鞴を使って砂鉄から鉄をつくるたたら吹きは行なわれていたようだが、トリップハンマーのような水力機械は普及せず、もっぱら鍛冶職人の腕頼みだったためか、大きな産業に発展することはなかった。トリップハンマーは前漢末期の書物にすでに書かれていて、後漢の杜詩はこれで冶金用の高炉を改良していたと知れば、なぜその知識が海を越えてこなかった、と唸りたくもなる。なお、江戸時代の参勤交代はひたすら徒歩だった。九州などの遠方の藩は部分的に御座船も利用したが、あっても小さな横帆一枚なので、基本は櫓走、つまり人力だったようだ。

  世界の発展からひたすら取り残された禁欲生活だった感が否めないが、だからこそ外国から物資を恒常的に輸入しなくても、島国で「自国軟禁」生活をつづけられたのだろう。製鉄業は世界各地で燃料の木炭をつくるために森林を破壊してきたし、明治以降は日本も足尾銅山に始まる公害に苛まれた。いろいろ考えれば、江戸時代の人びとは日々スポーツジムに通っていたようなもので、健康的でエコロジカルかつエコノミカルだ。何をなすにも大勢の人手が必要であれば、機械を所有できる少数の人間だけが絶大な権力をもつこともなく、失業者もなく、かなり平等な社会ということにもなる。文明滅亡が150年前に戻る程度なら、むしろ歓迎する人もでてきそうだ。もっとも、最近の人力車に取りつけてある自転車のようなホイールは、かなりの「文明」でなければ製造できない。歴史のどのあたりの日本を取り戻すべきなのか、悩ましいところだ。

Illustrated London News 1872年10月12日号(雄松堂書店版より)

『百人一首 うばがゑとき』春道列樹 葛飾北斎画(岩波書店版より)

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