この文様はインダス文明の土器などに紀元前3000年には描かれていた。ヨーロッパではアレクサンドロス大王の東方遠征後に広まり、2世紀ごろからローマ帝国の各地でモザイク模様に頻繁に用いられた。ジャワ更紗ではこのモチーフはカウンと呼ばれ、13世紀以降に取り入れられた古典的文様の一つだという。17-18世紀にインドなどから輸入され、彦根藩が所有していた古渡更紗にも「輪違手」が若干含まれている。北斎はこの輪違いらしき文様に「大イ紋高麗形」と書いているので、畳の縁につける白と黒の織物である高麗縁のつもりだったのかもしれない。円を重ねずにぴったり並べた大紋の高麗縁は、親王・大臣などに使用が限られていた。四つの円のあいだに菱形のような隙間ができ、それぞれの円の中心点を結べば正方形になるところが、輪違いに共通する模様だ。高麗時代12世紀の韓国の国宝、青磁透彫七宝文香炉には、見事な輪違いの透彫りがあるので、高麗縁にも輪違いのものがあったと思われる。『枕草子』には「高麗縁の筵青うこまやかに厚きが」と書かれており、918年に建国された高麗と平安貴族に深い関係があったことが窺える。日本ではほかに、花輪違の家紋など、中心に模様を加えることも多かった。有職文様の小葵文や、更紗のウンヤ手も、輪違いの崩れたものの可能性がある。ウンヤの意味は不明だが、よく見ると盤長結のような模様が描き込まれているので、それを指していたかもしれない。
『北斎漫画』八編の序文には、「離婁の明公輸子の巧も規矩を以てせざれば方員を成事能はず」と、『孟子』の一節が引用されている。規はぶんまわしと呼ばれたコンパス、矩は定規のことで、これらがなければ方形も円も描けないという意味だ。孟子(紀元前372-289年)は戦国時代の人なので、中国ではこの時代にはコンパスを使って正円を描いていたことになる。
いや、それどころではない。紀元前3400-2250年ごろ長江下流に栄えた良渚文化から副葬品として多数出土する璧と琮という謎の玉器が、現代人から見ても完璧な幾何学工芸品なのだ。壁(へき、bi)は直径20センチ前後の特大五円玉のような形状をしている。琮(そう、cong)のほうは高さがまちまちの四角柱で、中央に円筒状の穴が貫通しており、強いて言えば、サランラップの箱の両端をくりぬいたようなものだ。どちらも工業製品を見慣れたわれわれの目にはさほど特異な形状には感じられない。しかし、新石器時代にあったはずの良渚文化で、直線、直角、平行線どころか正円、同心円、円柱といった幾何学の知識を必要とする精巧な製品が、軟玉(ネフライト)とはいえ、硬い石から製造されていたことにはただ驚かされる。琮は長いものでは47センチ以上にもなり、その中心に上下からドリルで穴をうまく貫通させる作業は、現在の電動工具でも簡単ではないだろう。
私が璧と琮を知ったのは数年前の『100のモノが語る世界の歴史』の本と大英博物館展の図録の仕事からだったが、用途不明の翡翠の玉器ということで、頭のなかに宙ぶらりんの状態で収まっていた。一般には、戦国時代の書とされる『周礼』に、璧と琮がそれぞれ天と地を表わすと書かれたことを根拠に、祭器として説明される。だが、実用性のない祭器をつくるために、新石器時代の人がこんな高度な技術を生みだすだろうか? 中国古代史の専門家からは、『馬・車輪・言語』に毒されているとして一笑に付されるに違いないが、結論から言うと、円盤状の璧は車輪そのものか轂(ハブ)の補強材で、円筒状にくりぬかれた琮は軸受、つまり車軸を回転させるためのベアリング・ブロックだったのではないかと推測している。これらは当初、ステップのワゴン葬墓のように、天国へ行く車の代わりに墓に納められたのではないか。硬い素材による完璧な円や円筒への異様なまでのこだわりは、車輪と軸受の製造以外に思いつかない。
一つのヒントは、良渚文化を代表する装飾にある。人面の神が獣にまたがる姿を表わしたものだ。おそらくより古い形態では、神は大きな被り物をしたギョロ目の人物だが、琮に刻まれ様式化されたものは、正円の左右にわずかに線を引いた切れ長の目に、頭部には二本のバンドをはめ、巻き毛の顎髭のような枠に下部を囲まれている。少し時代が下った三星堆遺跡から出土した仮面や人物像をどことなく思わせる濃い顔だ。獣もやはり正円のびっくり眼で、その周囲には幾重にも細かい同心円や渦、線が描かれている。この「神」は西方から馬に乗ってやってきた印欧語を話す民族だったとは考えられないだろうか? 高度な技術や武器・道具をもち、おそらくは硬く丈夫な素材を求めて馬で途方もない距離を一気に移動してきた少数の異民族だ。彼らが翡翠を扱う紅山文化と遭遇し、現地民と良渚文化を築いたのではないのか? 在来民にとっては、幾何学の知識や製造技術を教え、大きな馬を操る彼らはまさに神だったのではなかろうか?
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