2023年12月31日日曜日

除夜の鐘

 横浜に住むようになって20年あまりになるが、毎年暮れから正月にかけて、船橋の母のところで過ごしていたので、横浜でお正月を迎えるのはじつは初めてだ。娘のなりさが絵本『じょやのかね』(福音館)で描いたお寺で孫に除夜の鐘を撞く機会をとうとう与えてやれなかったというのが、昨春、船橋の借家を退去するに当たって大きな心残りとなっていた。年末が近づき、諦めきれずに調べてみたら、自転車で行ける範囲に、除夜の鐘を撞くことのできるお寺がそれなりにあることがわかった。  

 うちの近所の品濃町は旗本の新見氏の知行地だったところで、近くの白旗神社の由緒書きにも、新見家の何人かの当主がかつて神社の脇に埋葬されていたと書かれている。昭和になって東戸塚一帯が開発された際にお墓は移設されたそうで、自治会の街歩きニュースか何かを見て、その共同墓地も訪ねてみたこともある。10代目の新見正興は立ち居振る舞いが立派な美男だという理由で遣米使節団の正使に抜擢され、村垣範正や小栗忠順とパウアタン号に乗って太平洋を横断して、日米修好通商条約の批准書を交換した人としてよく知られる。正興は明治に入ってまもなく病死し、あとに残された娘たちは柳橋の芸者として売られたと言われる。そのうちの一人が公家の柳原前光に妾として囲われ、二人のあいだに生まれた娘が歌人で、大正三美人の一人、柳原白蓮となった。  

 江戸住まいだった正興の墓所は中野区の願正寺にあるそうだが、新見家祖先の位牌は近所の北天院が預かっているという。このお寺は何度か訪ねたことがあり、境内の奥にシュロの幹を撞木にした梵鐘があるのを知っていたので、せっかくならそこに行こうということになり、大晦日の晩に、すっかり寝入っている5歳児を揺り起こして出かけた。静まり返った街に、すでに鐘の音が聞こえてくるなか、自転車を漕いだ。  

 山寺と呼べるようなお寺の長い石段には明かりが灯って幻想的な雰囲気になっており、雲間から顔を出す月の下に近所の檀家さんと思われる人たちがちらほら集まり、ご住職がお経をあげていた。お経が終わると、一人ずつ順番に鐘を撞き、終わると数を数えるためか、銀杏を筒のなかに入れて交代する。孫は間近に聞く鐘の音に怯え気味だったが、娘と一緒に上手に撞いていた。私は勢いをつけ過ぎて、やたら大きい近所迷惑な音になってしまった。甘酒は熱々に温めた缶入りのものが振る舞われ、飲んでいるうちに幸せな気分になった。そのころには近所の人たちが次々に列に並んでおり、小学生もそれなりに見られた。  

 頑張って夜中に自転車を漕いだ甲斐は十分にあった。遠くから別のお寺の、違う音色の鐘も聞こえるなか、「かねのおとが だんだんとおざかる」と、孫が絵本のなかの一節をつぶやいていた。こうして平和に大晦日が迎えられることのありがたさを噛み締めた。

 近所にある新見氏の墓所
(2022年10月撮影)

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