2024年1月17日水曜日

レゴ熱

「これ□□ちゃんのおばあちゃんに似てない?って言われた」と、年末に近所のママ友の家で夜遅くに「大人レゴ」をしてきたという娘から、一枚の画像を見せられた。そこには灰色のもっさりした髪のおばあさんのミニフィグが写っていた。どうやら私のことらしい。 

 レゴの小さい人形であるミニフィグの存在は、娘が3、4歳のころに買ってやった「南海の勇者シリーズ」の小さなセットで初めて知ったが、当時は黄色い顔に鉤手の海賊人形にはとくに関心をもたなかった。その後、奮発して買った「お城シリーズ」に、暗い場所では光る幽霊や青い服の魔法使いがいたのは覚えている。この中世のお城のセットは可動する跳ね橋などが魅力的だったが、土台部分が大きな塊として成形されており、用途が限定され過ぎていた。幼稚園児が遊ぶには細々としたパーツが多過ぎるとも思った。

  レゴは自由に組み立ててこそ楽しいと思うのは、私自身がレゴっ子だったからだ。レゴに夢中になって遊んだのは小学校の低学年までなので、どうやら日本で1962年から67年にかけて朝日通商が販売した最初のレゴで遊んでいたようだ。レゴ社が現在と同じABS樹脂のブロックを発売し始めたのが1963年らしい! いまだにレゴに愛着があるのは、三つ子の魂というやつだろうか。当時のブロックは白、黒、赤、黄色、青、透明しかなく、大半は基本のブロックで、薄いプレートと赤いスロープ、タイヤとタイヤをはめる穴付きのブロックが数個あったくらいだった。シャッター部分が開閉される車庫や、ボッチで固定されておらずよく倒れる木もあった。ウィキによると、当時の価格で数百円から数千円と高額で、都市部のデパートなどでしか売っていなかったそうだ。裕福でなかったわが家で、母がなぜレゴを買い与えたのかはもう知る由もないが、教育熱心だったので、知育玩具として興味をもったのかもしれない。もっとも、母がレゴで一緒に遊んでくれた記憶はなく、代わりに叔父が赤いスロープを屋根瓦にするのを見て感心したりしていた。  

 レゴが知育玩具だなどと私が知ったのはずっとのちのことで、『なぜ本番でしくじるのか』(バイロック著、河出書房新社、2011年)を訳した際に、男女の空間認識能力の差が、子どものころの遊びに起因すると書かれており、その一例としてレゴが挙げられていたためだ。「アメリカで毎年売られているレゴのほとんどは男の子向けのものだが、レゴは高い玩具なので、低所得者層では男の子も女の子もあまりレゴを見たことがない」という同書の指摘に、私は意表を突かれた。数学は好きではなかったが、幾何だけはわりと得意で、立体を描くのに苦労もしなかったのは、幼いころのレゴ遊びのおかげだったのかもしれない。レゴのボッチの数や、ブロックの厚み・幅の違いは数の概念や分数を理解させるうえでも役立っていたはずだ。私がもっていた古いレゴはまったくジェンダーレスの玩具だったし、娘の時代のレゴセットは、アーサー・ランサムやC・S・ルイスの本を愛読した私には心惹かれるテーマだったが、そう言われてみれば男の子向けだったのだ。  

 子ども時代のレゴの一部は、娘に買ったレゴと一緒に巨大な箱に収納されていたが、母が誰かにあげてしまい、しばらくレゴから遠ざかることになった。のちに『エンゲルス』(ハント著、筑摩書房、2016年)を訳していたころ、ネット検索中に偶然、誰かがマルクスとエンゲルスをミニフィグで再現している画像を見つけ、とっつきにくかった彼らに親近感を覚えたことがあった。何しろ、そのヒゲが、昔娘がもっていた魔法使いのと色違いだったのだ。レゴ人形がミニフィグと呼ばれていることも、そのとき検索して初めて知り、しかも顔、髪、上半身、下半身、髭、持ち物等々、組み合わせられるパーツを売っているネットショップがあることもわかったが、飾っても仕方ないかと、このときは思いとどまった。 

 その後、赤ん坊にしてはやけに髪の多い孫が生まれ、半年も経つとまるで帽子をかぶったような、ミニフィグのかつらのような不自然な髪型になり、どうしても孫のミニフィグ人形が欲しくなった。孫用のパーツを頼んだついでに、以前から欲しかったエンゲルス分のパーツも注文したのがレゴ熱再発の始まりだった。その孫がブロックを口に入れる危険がなくなった2歳ごろに、レゴの大きめの基本パーツをまず数個だけ与え、一緒に遊べるようにと娘一家のミニフィグもつくってやった。最初はどうしてもブロックがはずせなかった孫が、できるようになってまずやったことが、ミニフィグの髪をはずして坊主にし、髪を取り替えっこする遊びだった。このミニフィグたちは、のちにアンニョン・タルの絵本『すいかのプール』を読んだあとに、すいかのなかで泳ぐことにもなった。 

 最近のレゴには、女の子用を意識したと一目でわかるピンク、紫、水色が多用されたお城やお店のセットなどがあるが、食指が動かない。ミニフィグも「肌色」のものが増え、さらには茶色の肌のものも登場し、体型も変化して普通の人形と変わらないシリーズもある。でも、ミニフィグは不恰好な黄色で、いろいろ組み合わせて楽しめるほうが、レゴらしくていいと私などは思う。 

 娘は私ほどレゴにはまることはなかったが、年末の「大人レゴ」で近年増えた新しいパーツの面白さに気づいたらしく、最近出たばかりの「鳥のおうち」セットを孫に買い与えていた。鉤手付きのパーツに横棒付きのパーツを差し込むと蝶番のようになって羽が動かせたりする鳥が5羽もついているセットだ。娘が仕事をするあいだに孫とそれを組み立てる係が私に回ってきたが、2羽つくったあとは孫が一人でつくれるようになっていた。出来上がった鳥たちは足の角度も変えられ、目も若干動いて表情が出せ、なかなかよくできていた。

 だが、5羽の1羽はカーディナルに似ていたが、残りは何かわからなかった。鳥となると、種を特定しないと気の済まない娘が、それらの鳥をつくり替えたいと言いだし、そのお役目も私に回ってきた。驚いたことに、孫はすでに複雑なパーツの違いを見分けており、左右に目をつけるのに使うブロックは、普通のタイプとは異なり両側にボッチがあることなどに気づいていた。まずは色を少し変えれば何とかなる種を孫と一緒に考え、メジロとコマドリをつくるために違う色のパーツを探すはずだったのだが、そのうち尾を長くすればサンコウチョウになるかなど、いろいろ欲が出てきた。 

 レゴ・パーツ専門店のサイトで膨大な種類のパーツの見分け方がわかってくると、いや、カワセミもつくれるかもしれない、サンコウチョウのアイリングにはこの丸いパーツが使えそうだ等々エスカレートし、単価8円から数十円の注文するのも気の毒な諸々のパーツを、120点以上もポチっていた。例のおばあさんミニフィグ用の灰色の髪とボディも注文した。週末だというのに、ネットショップからはすぐに発送連絡がきて、日曜にも配達されるゆうパケットで、それらのパーツが正確に注文どおりに届いた。単価の非常に安い膨大な種類のパーツの綿密な在庫管理をしながら、それぞれを1個、2個と注文する私のような迷惑な客のリストにもとづいてそれらを選び、数をかぞえて、合っているかどうか確認し、梱包して発送する……。ちゃんと商売になっているのか、従業員はうんざりしていないのか、つい気になってしまった。 

 現物のパーツがないまま、雑なスケッチと頭のなかで組み立てて注文したカワセミは猫背になり過ぎて、大きなランドセルを背負った小学1年生みたいになったが、それはそれでかわいい。画面上で見た色がイメージと違っていたり、目立たない部分のパーツを注文し忘れていたり、個数を間違ったり、あるいは別のパーツを思いついたりで、結局、どの鳥ももう一度、あれこれやり直しが必要になり、再度、パーツを大量注文することになった。

 肝心の孫は、大人主導で完璧なメジロやコマドリをつくることには興味を失い、好き勝手にパーツを組み合わせて遊び始め、一方の娘は「尾羽が長過ぎる」とか、「この部分は黄色がいいんだよね」と、細かい注文をあれこれつけ、諸々のリクエストをまとめている私に向かって「結局、最後までやっているのはえりば(私のあだ名)だね」とからかう始末。工作好きの私は昔から、娘に「つくって〜、つくって〜」と言われて、よく乗せられていたが、今回もまんまと罠にかかってしまったようだ。 

 まあ、このところずっと、締切りが迫るなかで翻訳マシンと化して溜まっていたストレスは、レゴ鳥づくりでいくらか解消されたかもしれない。ただし、これ以上はまると本業に差し障るので、そろそろ終わりにしなければ。

レゴ鳥たち。まだつくり変えたい部分があちこちにあるけれど、一応それらしく見えてきたか。サンコウチョウ、メジロ、コマドリ、カワセミ、エナガ(赤い鳥はもともとのセットのもの)

いつのまにか増えているミニフィグたちと、孫がつくったダイサギ!

最初に組み合わせてつくったミニフィグ

自費出版した折にも、表紙に使わせてもらった写真の松平忠礼のミニフィグを馬とともに記念に買った。横に立つ私の高祖父はヒゲを外したエンゲルスで代用

すいかのプール!

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