2024年8月3日土曜日

『この身体がつくってきた文明の本質』

 昨秋から取り組んだルイス・ダートネルの新刊『この身体がつくってきた文明の本質』(原題:Being Human: How Our Biology Shaped World History、河出書房新社)の見本が本日届いた。これまでたびたび、仕事で出合った本に影響されて暮らし方を変えたことに言及してきたが、今回の本でも私の生活にささやかながら、重要な変化があった。  

 著者ダートネルはまだ40代前半の宇宙生物学者で、1作目の『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』(2015年)は、文明崩壊後の未来という奇抜な想定が多くの人の心をつかんだらしく、日本でも大ヒット作となった。その点、2作目の『世界の起源:人類を決定づけた地球の歴史』(2019年)は地質学が中心であったためか、気候科学の本を多く訳してきた私にはたいへん興味深い作品だったが、読者層は限定的だったようだ。  

 3作目の本作は、著者本来の生物学が切り口であるうえに、著者自身も多少は年齢を重ねたこともあって、安定した筆致で、歴史家が語らない世界の歴史の裏事情を次々と明らかにする。人間はヒトという動物であり、身体上のさまざまな特徴と制約がおのずと歴史にも反映されてきたという、考えてみれば当然なのに、誰も注目してこなかった事実を本書は教えてくれる。  

 検討するテーマは人口問題から認知バイアスまで多岐にわたるが、個人的にとくに面白かったのは、植民地に関連する多くの問題と、それらの地からの産物である嗜好品や薬物に関する章、および大航海時代の水事情だった。イギリス人はよくも悪くも、数百年にわたる帝国主義の歴史のうえにいまの生活が成り立っていることをよく認識しており、このところグローバルサウス(南半球を中心とする発展途上国)の問題にかかわることの多かった私には、今回の作品は大いに参考になった。前2作ではほとんど政治色のない、いかにも科学者的な著者だと思っていたが、昨今の若者世代の意識変化も反映するのか、今回はずいぶん突っ込んだ分析もしていた。  

 一口に植民地と言っても、実際には大きく2種類に分けられていた事実を、私は本書から初めて知った。人口が増え過ぎて、本国では成功できる望みのない次男以下や貧困者が移住するためのsettler colony(入植植民地)と、ヨーロッパ人が移り住める環境ではないが、資源は豊富なextractive colony(収奪的植民地)である。いろいろ調べたが、どちらも定訳はまだないようだった。両者を分けたのが風土病であり、シュヴァイツァーの研究と活動によって、その敷居がある程度は取り払われたことなどを知ると、複雑な思いになった。 

「気分を変える」と題された章では、おおむね後者タイプの植民地が輸出用に産出するアルカロイドを含む嗜好品や薬物がテーマとなっていた。例外はアメリカ南部で栽培され、放棄される寸前にあったジェイムズタウンを救ったタバコくらいだ。タバコがアメリカ経済にどれほど大きな位置を占めていたかを再認識させられると、タバコ産業と広告産業の癒着について『気候変動と環境危機』でナオミ・オレスケスやビル・マッキベンが指摘していたことが痛烈な意味をもつことに気づかされた。  

 個人的に衝撃を受けたのは、カフェインに関する問題だった。目覚めているあいだ脳内に蓄積するアデノシンが、12時間から16時間起きていると強い衝動で眠りに誘うのに、カフェインを摂取するとその信号が妨害されるのだという。この原稿を書いているいまは夜の9時過ぎで、まさしくそのような時間帯であり、私はあくびをしながら執筆中だ。そういった仕組みがわかると、カフェインを摂りながら、日々それに抵抗する生活をすることに疑問が湧いてきた。  

 とはいえ、コーヒーは仕事の必需品なので、まずは量を減らすことにして、惰性で何杯も飲むのをやめ、いまから飲むぞと自覚するようにした。コーヒータイムは午前のみにし、かつ母宅から引き上げてきた手動のミルで豆を挽く面倒臭さを加え、手軽な粉を利用するのはやめた。コーヒーの原産地がエチオピアで、モカが原種に近いことも本書でようやく知ったので、近所のカルディで「フローラル・モカ」という豆も一度だけ試しに買ってみた。ドリップするのを待つあいだに、ぼんやりと袋の裏側を眺めていたら、その少し前に訳したコーヒー発見の逸話に登場するヤギ遣いの名前が「カルディ」だと書かれていて、拍子抜けしてしまった。コーヒーは相変わらず一定量飲んでいるが、チョコレートはカカオ豆が高騰していることもあって買わなくなったので、カフェインの摂取量は多少減ったはずだ。 

 訳し終えた2月にタイに旅行した際、友人が偶然にもウタイタニー県サケークラン川沿いの街のナイトマーケットで、阿片窟跡を利用した展示館に連れて行ってくれた。一見して中国人経営だったとわかる建物のなかに横になってアヘンを吸う人形などが置かれており、当時の雰囲気が再現されていた。アヘンは痛み止めや咳止めとして遅くとも江戸時代には日本でも服用されていたが、吸引した場合には依存性が高くなるそうで、その習慣をもち込ませずに済んだのは、アメリカ総領事ハリスのおかげだったと思われる。中国やタイが20世紀なかばになるまでアヘンを使用禁止にできずに苦しんだことを考えれば、日本は幸運だった。もっとも、ハリス自身は日本滞在中に重病になった際にアヘンをタバコと混ぜたものを薬用で吸引していた。オピオイド薬は実際にはいまでも多くの人を中毒にしている。最近、薬局で風邪薬を買うときに、あれこれ質問されるようになった背景には、依存症にたいする懸念があるらしい。 

 本書ではアルコールに関しても、あれこれ論じられている。日本は一年中、雨が適度に降るため、飲み水にはあまり苦労しない。だが、世界の大半の地域では飲み水は簡単には手に入らない。アルコール飲料はそのために発達したと言っても過言ではないだろう。きれいな飲み水が得られることと、日本人に下戸遺伝子が多く見られることには何かしら関連があるのではないだろうか。つまり、日本では下戸でも生き延びられたのだと。 大航海時代には飲料水は文字どおり命綱となり、水の代わりにビールやワインが積まれ、それすら劣化するため、生ホップを加えたインドのペールエール、IPAが誕生した、などという脚注を訳すたびに、あれこれ飲んでみたくなり、酒類の売り場をうろつき、ラム酒やジンなどを購入することにもなった。壊血病についても多くのページが割かれていたので、レモンの輪切りも添えてみた。 

 本書ではもちろん、霊長類としてのヒトに関するもっと根源的なテーマも追究されている。何がヒトを、その他の動物とは異なる存在にしたのか、という問いだ。近縁のチンパンジーやボノボ、ゴリラなどと比較して、ヒトで際立っていたのは「協力」なのだと、ニコラ・ライハニの説を引いた箇所を最初に訳したときは、何やら意外な気がしたが、現在取り組み中のまるで別分野の本でも、この「協力」というキーワードがたびたび出てくる。どうも世の中はその正反対の方向に進んでいるような気がするが、それは取りも直さず、人間が人間であることをやめつつあるという意味なのだろうか。 本書に掲載されたロシアの人口ピラミッドは非常に衝撃的なものだった。

 生物学という一風変わったレンズを通して人類の歴史を振り返ることで、人間とは何なのか、人類は今後どの方向へ進もうとしているのかを考えさせる一冊だと思う。何しろ今回のテーマはいちばんな身近な「人間」なので、従来のダートネル・ファンだけでなく、誰にでも広く一読をお勧めしたい作品である。

 発売は8月20日です。下旬に書店で見かけたら、ぜひお手に取ってみてください。

(左)原書、
(右)『この身体がつくってきた文明の本質』、ルイス・ダートネル著、河出書房新社

  カルディで買ったモカの豆

 タイのウタイタニー県にある阿片窟の展示館


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