2025年7月14日月曜日

『西洋の敗北:日本と世界に何が起きるのか』を読んで

 平等をテーマとする大部の校正がようやく始まったところに、タイミング悪く、図書館で長らくリクエスト待ちしていた本がまた回ってきてしまった。いま話題のエマニュエル・トッドの『西洋の敗北』(大野舞訳、文藝春秋、2024年)で、私のところに届いた図書館の本は、2025年3月の第8刷だった! 昨年11月に佐藤優の書評を読み、すぐにリクエストを入れたのにすでに200人以上待ちという凄まじい状況で、それを半年以上待ったからには読まねばと、読書時間をひねり出して目を通したので、備忘録を兼ねて書いておく。 

  トッドの著作は、はるか昔に『新ヨーロッパ大全』をやはり図書館で借りて読んで以来だ。イングランドやフランス、デンマークは平等主義的、個人主義的な絶対核家族型、日本やドイツは権威主義的な直系家族型などと、世界の民族を家族構成から分析したトッドの手法は斬新な視点を与えてはくれたが、上下2冊の大部のなかで繰り返しその類型がもちだされ、最後のほうは辟易した記憶がある。確かに、長子相続にたいする次男以下不満が、明治維新の原動力の一つではないかとこの数年とみに思うし、戦後、民法が改正されて子ども間で等分に相続することになっても、「長男の嫁」という言葉は、おおむね老親の介護や盆暮の義務などの否定的な意味ながら残りつづけ、二世帯住宅が決してなくならないことを考えれば、「直系家族型」は日本社会の本質的な側面を表わしているのだろう。とはいえ、世の中の雑多な人びとをいくつかの家族構造に分類して理解しようとする手法は、7つの性格タイプに人を当てはめるような性格診断と同じくらい、私にはどうも胡散臭く思えた。

   以来、新聞などでときおり彼の論評などを読むことはあり、ウクライナ戦争について彼が一般とは違う冷静な意見を発していることはそれなりに承知していても、『第三次世界大戦はもう始まっている』(文藝春秋、2022年)や『問題はむしろロシアよりも、アメリカだ』(池上彰との対談、朝日新聞、2023年)にも食指は動かなかった。それにもかかわらず今作に興味をもったのは、この10年ほど、アメリカは言うにおよばず、ヨーロッパの衰退を感じることが非常に増えたためだ。 

  従来の家族構成分類に加えて、宗教の崩壊が自身の分析モデルの中心にあると書く著者は、今作では宗教が「活動的状態」から「ゾンビ状態」に移行し、やがて「宗教のゼロ状態」になるという具合に時代ごとの分類も加えているので、なおさらややこしい。しかも、文脈によって微妙にその年代がずれているようでもあり、気になった。ちなみに、「ゼロ状態」になれば、社会が個人単位に解体され、国家機関が特別な重要性を担うようになる。いずれ宗教の絶対的虚無状態のなかで国民国家は解体され、グローバル化が勝利するのだともいう。

   原書が執筆されたのは2023年夏のあいだで、その年10月に始まったイスラエルとハマースのあいだの戦争に関する追記と、日本語版に寄せた2024年7月のあとがきはあるが、基本的にはウクライナとロシアの戦争にたいする分析を軸に、それを取り巻くアメリカとヨーロッパ諸国の近い未来の敗北を予測している。著者は大国に限定した場合の広義の西洋になぜか日本を含めており、日本がその他西洋諸国と運命を共にするのかについては、この先の進路しだいと言葉を濁している。

  2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻直後に西欧諸国で言論の自由がなくなった事態に、私も非常に危機感を覚えた一人だったが、本書の日本語版刊行に際して書かれた序文に、フランスでも「およそ八カ月間、沈黙を保たなければならなかった」とトッドが書いていることは多くを語る。 

 ロシアとウクライナ問題で彼が指摘していることは、侵攻当初にマイダン革命のころのBBCの動画や、本書でも言及されているジョン・ミアシャイマーの動画、プーチンを悪魔化するなと訴えるフランスのジャーナリストの動画などをかなり視聴した私には、さほど目新しいものではなかった。それでも、人口統計学者でもあり、各国の統計に詳しいトッドならではと思う指摘はいくつもあった。たとえば、ロシアが2020年に近年で初めて農産物の純輸出国になったこと、ロシアの工学専攻率は23.4%にたいし、アメリカは7.2%、イギリスは8.9%、ドイツは24.2%(2020年)で、ロシアが多くの技術者を輩出しており、ゆえに製造業が健在であること、ロシアの女性一人当たりの出生率は1.5人であり、動員可能な男性人口が40%も縮小しているのに、国土は1700万平方キロもあり、「ロシアにとっては、新たな領土の征服などもってのほか」であり、ゆえにウクライナを倒したあとヨーロッパを侵略するというのは「単なる幻想かプロパガンダ以外の何物でもない」ことなどだ。 

 ついでながら、ルイス・ダートネルが『この身体がつくってきた文明の本質』(河出書房新社、2024年)でロシアの人口ピラミッドを提示しており、第2次世界大戦の大きな爪痕がほぼ25年おきにいちじるしく人口の少ない世代となって現われているため、10代後半から30歳以下の人口が極端に少ないことを指摘していた。ソ連の一員であったウクライナにも、同じことが言えるはずだ。 

 ウクライナについては、独立時の大都市はキーウを除けば、ロシア語話者が多かった南部と東部オデーサ、ドニプロ、ハルキウしかなく、西部にはある程度の規模のリヴィウがあるのみという。ウクライナの航空産業、軍事産業などの最先端産業は東部に位置し、ロシアと結びついていたが、ロシア語話者の中流階級は、ウクライナ語話者のナショナリストの敵意の対象となるなかでロシアへ移住してしまい、1989年から2010年にかけて人口の20%を失った東部の町が多いそうだ。 ナショナリズムの活発な西部は歴史的に長年ポーランド貴族に支配され、ウクライナ人は農奴として扱われていた土地で、確かに「ネオナチ」の拠点ではあったが、トッドによれば、それ以上に、侵攻前からウクライナ全土に広がっていた「ロシア嫌い」こそ解明が必要な現象という。

 フランス語で原書を読めるほどのフランス語能力がないので、確認していないが、「ロシア嫌い」は日本では「反露」と訳されることが多いrussophobieの訳語のはずだ。通常は高所恐怖症のように、「恐怖症」と訳されるフォビアという言葉は、ゼノフォビアやイスラムフォビアを含め、「〜嫌い」「反〜」と訳され、いまは意味的にも敵対心、反感を表わすようだが、語源的にはもっと心理的、歴史的な恐怖心があると思う。 

 ウクライナ社会では「〈ロシアに対するルサンチマン〉が最終的には指針となり、展望となり」、この戦争こそが、ウクライナにとっての「生きる意味」になり「生きる手段」となりうるとし、ウクライナは真の「国家」ではなく「ワシントンからの資金に依存する軍・警察組織」でしかないといった説明を読むと、「ロシア嫌い」にかろうじて国としてのアイデンティティを見出している、末期状態を感じさせた。アンチにしろ、フォビアにしろ、自分ではないもの、敵との区別や抵抗が自分の存在理由になるのは、哀れな状況だ。  

 トッド自身はカトリックの家庭出身らしいが、彼自身の宗教観は本書ではいま一つわからなかった。ただし、西洋の発展の中心と根源にある特殊な宗教、プロテスタント諸派に関しては面白い言及がいろいろあった。プロテスタントの教会はすべての国民が土着語で聖書を読むことを求めたため、大衆の識字化が進んだほか、「国民」も早くから誕生していた。「ある者は選ばれ、ある者は地獄に落ちる」とするカルヴァン派の予定説は、キリスト教本来の「人間はみな平等」という概念に戻ることはなく、トッドは「黒人排除こそがアメリカの自由民主主義を定義し、機能させていた」とし、「共産主義的普遍主義に道徳面で太刀打ちするために必要」となった「黒人の解放は、予期せぬ負の結果の一つとして、アメリカ民主主義の混乱をもたらした」などと書く。「共産主義は、正教会後のロシアの〈宗教〉となり、社会を結束させる集団的信念になっていた」という指摘も興味深い。 

 1957年のスプートニクの衝撃から科学面でソ連と対決しなければならなかったWASPエリートたちは、ハーヴァード、プリンストン、イェールという三大名門大学へのユダヤ人入学者数を限定する「ヌメルス・クラウズス」制度を実質的に廃止されたとも述べている。このあたりは、ちょうどマイケル・サンデルの『実力も運のうち:能力主義は正義か?』で、マンハッタン計画の科学顧問だったコナントがSATを導入した経緯などを読んだばかりだったので、フムフムそういうことかと思いながら読んだ。  

 アメリカの「WASPの終焉」、「ユダヤ系知性の消滅?」といった小見出しで述べた状況や、東欧について書いた章に関連して、トッドは自身の出自についても言及しており、曽祖父がブダペスト出身のユダヤ人で、ブルターニュ人でもあり、イギリス系でもあるとする。そのことと多少関連するのか、彼の同性婚にたいする見解、とくにトランスジェンダーへの姿勢はかなり一方的だ。フェミニズムに関する近著、Où en sont-elles?もあり、ウクライナ戦争絡みで非常に好戦的な姿勢を見せた女性たちについて書いたものと思われる。大野舞訳で文芸春秋より近刊と書かれていたが、こちらはまだ刊行されていないようだ。ウィキペディアによると、トッドはポール・ニザンの孫で、父親はジャーナリスト、息子は歴史家で、最初の歴史書は一家の友人であったル・ロワ・ラデュリからもらったとのこと。 

 トッドのいくつかの主張にはほかにも疑問が残るものがあった。2012年開通と2021年に竣工した天然ガスパイプライン・ノルドストリーム1と2の破壊工作について、攻撃はアメリカによって決定され、ノルウェー人の協力を得て実行されたとするアメリカの著名ジャーナリスト、シーモア・ハーシュの見解を「唯一真実味のある説明」だとして受け入れているところなどだ。ただ、これだけの内容の本を数カ月で書き上げるのは超人技と思うので、自身の思い込みから抜けだせない部分や、読者におもねった部分なども、当然ながらあるのだろう。「西洋」の分析のなかで、自国のフランスにたいする批判が少ないのは、『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧』(2016年、文春新書)であらかた述べてしまったからなのか。 

 「〈国家ゼロ〉に突き進む英国」という章は、翻訳の仕事や娘の留学を通じて、この20年余りの変遷をそれなりに見てきたので、興味深く読んだ。2016年のブレグジットは国民の復活ではなく、国民の崩壊の帰結であり、それによってイギリスはアメリカを選んで、みずからの独立を失いつつあるのだという。この章には「亡びよ、ブリタニア!」という強烈な副題がついている。原文はRule, BritanniaをもじったCroule Britanniaらしく、カンマがないのは気なるが、ChatGPTによれば、なくとも命令形と解釈してよいらしい。

 アメリカの国家安全保障局(NSA)がインターネットの普及とともに西洋のエリートたちを監視下に置いたという指摘や、そのもとコンピューター技術者であったエドワード・スノーデンがロシアに亡命したことが、アメリカ人がプーチンを許せない理由の一つだろうという推測もなるほどと思った。ウクライナが必要とする兵器をアメリカが生産できずにいる理由などは、アメリカの工業の衰退ぶりを明らかにし、GDPからは見えない経済の実体を明らかにする。アメリカは「世界通貨を最小限のコスト、あるいはコストゼロで生産できてしまうため、信用創造以外のすべての経済活動は採算の合わない、魅力的はないものになってしまう」とも書く。

 集中できない状態で読むには複雑極まりない本で、一読した程度では半分わかった程度でしかない。終章に時系列で追ったまとめがあり、一応の頭の整理にはなる。ブレジンスキーが1997年刊行の著書で「共産主義の崩壊によってアメリカが用なしになれば、日本、そしてドイツという二つの極がロシアと手を結ぶ可能性がある」と恐れていたこと、2004年のウクライナのオレンジ革命はアメリカが中心的役割をはたしたが、2013年末からのマイダン革命はドイツに率いられたEUが裏で操作していた、といった指摘が印象に残った。再読したくなるころには、古本の値段も下がるだろうから、そうなったら入手してみよう。

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