2026年3月2日月曜日

レゴによるストレス発散

 6年ほど前、「コウモリ通信」をブログに移行するに当たって、1カ月に1本は最低投稿しようと思っていたのに、先月はあまりに多忙で、ついに一度も書く余裕がなかった。昨秋あたりから締め切りのオンパレードで、ベルトコンベアーを前にした作業員のごとく目の前の仕事を終わらせることに必死になってきた。昨日、本来の締め切りより2カ月以上遅れでようやく苦手な物理分野の本の翻訳原稿を提出した。一息つく間もなく、ようやく確定申告に取り掛かった。ところが、昨年まではマイナンバーカードを手動で入力する抜け道があったはずなのに、今年のe-tax画面ではどうにも見つからず、マイナポータルとやらを使用せざるをえなくなり、昨夜はそれを使って本人確認ができるまでにやたら手間取って終わってしまった。今朝、多少は頭の冴えた状態で、数年分の自分の乱筆メモとネット情報を頼りに難関の入力作業に取り組んだが、今年も同じところを何度もぐるぐる回るはめになった。それでも何とか迷路を抜けだしたのは、この先もいろいろ詰まっており、少しでも自由時間を確保したいからだ。  

 本来ならば、この数カ月間、少なくとも私のささやかなストレス発散の場となってくれたレゴについて、何かしらまとまったことを書きたかったのだが、頭が疲れ過ぎているので、取り敢えずひな祭りに関係するものだけ少しばかり書いておく。何しろ、今日は3月3日なので。  

 自分でもなぜこれほどお雛さまにこだわるのか不思議だが、たぶんそこに凝縮された職人のわざに惹かれるからであり、またこの数年、公家社会についていろいろ調べたためでもあるかもしれない。子どものころ家にあった古い段飾りのうち、私が何よりも好きだったのは、さほど大きくない木箱にすべてが収まっていて、箱そのものも使って七段飾りを魔法のようにつくれる仕組みだった。後年、何種類ものお雛さまをつくったが、そのたびに階段作りにいちばん工夫を凝らした。そのためか、フェイスブックのタイムラインに流れてくるさまざまなレゴサイトの投稿で、わずかなピースでつくった階段や、1×1の細かいピースを積み重ねた香水やお酒のボトル作品を見た瞬間から、頭のなかに小さな雛壇が浮かんでいた。  

 実際につくってみると、袖や裾などを側面につけると、たとえ1×1を基本としたものでもスペースが足らず、階段は当初予定した二倍の幅でつくらざるをえず、いろいろ失敗はあったが、おおむね頭に描いたとおりに、欄干と階のあるミニチュア段飾りが出来上がった。昨年3月に書いたように、「平等」の本を訳しながら、階段づくり励んでいる自分に苦笑せざるをえなかったが、「殿上人」の意味を知るうえでは階は欠かせない。  

 出来上がった段飾りを見せると、孫は「仕丁がいないから嫌」と言うし、姉は「うちのお雛さまでいちばん好きだったのは御殿だった」と言う。いまは姉宅にある昭和初めのうちの段飾りには、「源氏枠」という屋根のない「御殿飾り」が最上段にある。ネット情報による天保期ごろに始まり、その後、檜皮葺などの屋根がついた形に移行したらしく、実際、伯母の1歳時の写真と思われるものには、この段飾りの横に、屋根のついた別のセットも写っていた。どこで制作されたものなのか、調べてみたら面白そうだが、御簾のある御殿らしき頭上の飾りくらいなら、レゴで簡単につくれる。というわけで、まずそれを付け加えることにした。  

 階があると、地下人以下と思われる仕丁は、その下の砂利敷きにいたはずだ。階があると、その両側に並べざるをえないが、仕丁は3人が定番で、「十五人飾り」がフルセットらしい。そのうちの1人は下足番なので、その人を階の脇に置いて、あとの2人を両脇にするか、などと考え、仕丁も加えることにした。それによって本来、庭にあるはずの桜・橘も下に降りて、何とか五段飾りに見えるようになる点が何よりも重要だった。日本文化の奇数へのこだわりは、日本庭園の本で何度も読んでいたからだ。ちなみに、孫は、私が青いタイシルクの端切れでつくった布製の仕丁がツルツルしているため、赤ん坊のころから気に入っていた。私自身も子どものころから、足が見えて、血色のよい仕丁には親しみを覚えていた。よって、レゴでもクリップで足をつけてやった。  

 こうして入れ替えると、右大臣・左大臣の段が寂しくなるので、最後に菱餅も加えてみた。平安時代には三公として太政大臣に次ぐ地位にあったはずの大臣たちが、なぜ弓矢までもち番兵のような恰好をしているのか長年、疑問だった。今回、ちらりと調べてみた限りだが、実際にはこの2人は実際の大臣ではないとする記述も散見され、階の下に置かれているお雛さまの画像も見つかった。江戸時代には関白が朝廷を仕切るようになり、三公は位ばかり高く、実権のない役職であったことの名残なのかもしれない。 あとになって、ライトヌガー(いわゆる肌色)の1×1のオープンスタッドならあることに気づき、左大臣と仕丁のうちの2 人は赤い顔にした。レゴのピンクは、素敵な色がないので、この淡い色をもっぱら使い、御殿の桜はヤマザクラなので、中心部分が濃いオレンジ色なるようにして白い花にした。ヤマザクラの芽吹いたばかりの葉は、実際そのような色をしている。  

 段飾りとほぼ同時に、レゴで牛車もつくっていた。うちのお雛さまには残念ながら牛車はなく、娘にはフィルムケースの蓋を車輪にした牛車をつくってやったことがある。レゴでは、あの巨大な車輪をうまく再現できず、ずっと諦めていたのだが、馬車用の車輪を丸いプレートにバーで取りつけることを思いついたのだ。それでも、覗き窓のようなものを引き戸にするアイデアがなかなか浮かばず、溝付きブロックが使えることがわかってようやく乗りだすことができた。牛は、ネット上で見た黒い雄牛のアイデアを基本に、黒毛和牛のようなものを適当につくった。牛車のなかには、ちゃんと長い黒髪にミニフィグも乗っているが、簾はうまく上にめくれないので、出入りするときは取り外すしかない。  

 この数カ月、実際にはこのほかにも自作レゴが随分と増え、娘が使っていた机の上を占領するようになっている。飽きるまでもうしばらく飾って、いずれはバラバラにしてまた何かをつくり直すつもりだ。レゴのいいところは、完成しないところかもしれない。

 改良版がこちら

 当初の段飾り

 側面から見たところ

レゴの牛車ともに。後ろにあるのは、曽祖父から母がもらった内裏雛。木箱に「寶印けし親王」と書かれており、芥子親王は15-20cmほどの小さい雛人形のことらしい。宝印は久月の可能性もありそうだ。