10年ほど前、ヒラリー・クリントンがこんなアフリカのことわざを引用して、保守派からさんざん叩かれたことがある。子供を育てるのはそれぞれの家の責任、という理由からだ。泣き言を言わず、福祉に頼らず、自力で成功を勝ち取ることを美徳とするアメリカ社会を考えれば、当然のことだろう。
当時、幼い娘を抱えながら深夜残業を繰り返し、心身ともにくたびれはてた私は、長年勤めた会社を辞めて失業中だった。産後8週間から会社復帰し、私の母をはじめ、ベビーシッターをしてくれた高校生たちや、娘を預かって夕食、入浴まで面倒を見てくれた隣人に助けられながらどうにかそこまでやってきたものの、子供の寝顔しか見られない日がつづき、喘息の発作で苦しむときもそばにいてやれない現実に、行き場のない怒りを感じていた。家庭を顧みずに仕事をする人間以外は、会社にとって結局、お荷物でしかない。病院の小児ベッドで添い寝をした翌朝も、家に寄って着替えだけしてまた出勤した。時間をやりくりして見舞いに行ってくれた母から、点滴で動けない娘はトイレが間に合わなかったらしく、冷たいままベッドで寝かされていたとあとから聞かされ、我慢の限界に達した。
誰にも迷惑をかけまいとして、1人でしゃかりきになって子育てをしてもどうにもならない。誰もが同じ条件のもとに生まれるのなら、自助努力しろと突き放されても仕方ない。でも、普通の人が当然のように与えられるものすらなく、生まれる子供もいる。娘だって、好き好んでこんな境遇に生まれたわけではない。そのハンディは埋め合わせてやらなければならない。私がつまらないプライドを捨てて、多くの人の好意を素直に受ければ、そのほうが結果的に周囲の特定の人たちへの負担が減り、娘はもちろん、誰もが幸せになれる。つまるところ、子供は生物学的な親の所有物ではなく、天からの授かりものであり、生まれた瞬間から親とは別個の存在であって、「村」の一員なのだから。失業保険で暮らし、この先どうなるかわからない不安な時期に聞いたこの言葉に、私はどれだけ救われただろう。
私と娘はこれまであまりにも多くの人にお世話になってきたため、いったいどの方角なら足を向けて寝られるのかわからないほどだ。娘の成長に合わせて、着なくなったブランド子供服をダンボールで送りつづけてくれた友人もいた。今晩のおかずから、田舎からの野菜のおすそ分けまで、たくさんの差し入れもいただいた。いつも「どっかへ行きたい病」の娘を、休みが取れない私に代わってドライブや旅行に連れだしてくれた人も、宿を提供してくれた人も大勢いた。パソコンやスコープなどの貴重品も無償で貸与してもらっている。わが家のオンボロPCがなんとか動きつづけているのも、故障するたびに時間の都合をつけて駆けつけ、カンフル剤注入やら臓器移植を試みてくれる奇特な友人がいるからだ。
そうやって大勢の人の善意に支えられて育った娘が、今年、めでたく成人式を迎えた。このきれいな振袖は、娘が近所の川で知り合った鳥仲間が、大切なお着物なのに、ご好意で貸して下さったものだ。写真は中学・高校時代の親友とお姉さんが早朝にもかかわらず撮りにきてくれた。娘が頭に挿している髪飾りの羽は、鳥の羽を収集している娘のために、友人たちが各地で拾い集めてくれたものから選んだ。これぞまさしく、Fine feathers make fine birds、馬子にも衣装。
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