2008年6月30日月曜日

庭木

 うちのアパートの隣に、木が鬱蒼と茂った家がある。毎年、この時期になると、アパートの敷地内に大きな梅の実がたくさん落ちてくる。気づいたころには腐っていることが多いが、風が吹いたあと忘れずに見に行けば、熟した実が30個くらい、ほぼ無傷で落ちている。この実に砂糖をまぶして一晩置き、でてきた汁を使って圧力鍋でさっと煮てみたら、きれいなオレンジ色になった。その酸っぱい液を水かお湯で薄めて飲むと、眠気覚ましに最適な、クエン酸たっぷりの飲み物になる。ただで手に入って得した気分なので、なおさらおいしく感じる。 

 塀越しに見えるお隣は、夏でも二階の雨戸が閉め切りで薄暗く、どことなく『秘密の花園』的な雰囲気だ。木の繁茂したこの家は、住人の愛想の悪さとあいまって、近所ではすこぶる評判が悪い。引っ越してきて早々に怒鳴り込まれたことがあるので、私もなるべくかかわらないようにしている。 

 でも、ここの庭に生えている草木は実におもしろい。塀を越えて伸びてきたガクアジサイなど、ふと見上げたら、三メートルくらいもある。梅の実のそばにニョキニョキと生えている草は、塀の下をくぐった地下茎で増えたエビネだ。今年はブドウのようなものまで垂れ下がってきている。ノブドウなら裏庭にもあるけれども、こんな大きな実はならない。エビヅルだろうか。この実が熟したら植えてみようか。でも、その前にきっと、アパートの補修・管理に毎月やってくるおじさんが、容赦なく刈り取ってしまうに違いない。おじさんは、ユキノシタでもタチツボスミレでも、ムラサキケマンでもネジバナでも、とにかくすべてむしってしまう。  

 アパートを「管理」するおじさんにとっては、草など一本も生えていない状態が望ましいのだろう。生えていてもよいのは、人手によって植えられた園芸種だけだ。それを言えば、近所のきちんとした家はどこもみなそうだ。定期的に植木屋を呼んで、木はすべて妙な坊主頭に刈り込んでもらう。玄関先にはつねに花が咲き乱れているが、花の時期が終われば抜かれて、翌日には別の花が植わっている。庭の手入れが面倒な家は、砂利を敷き詰めて草木は一切なしという状態だ。私の住むアパートや、お隣のように、潅木や蔓性の植物が伸び放題の家は、ろくに「管理」もできない、だらしない家として煙たがられる。  

 おそらく、人間が完全に支配しなければ、いつかまた自然に取り返されてしまうという、潜在的な恐怖が人の心にあるからだろう。近ごろは自然との共存などという言葉が、あちこちで聞かれるが、簡単なようでいて、なかなか難しい。うちの裏庭のように数年も放ったらかしにしておくと、狭い敷地のあちこちから木が生えてくる。ヤツデ、ヤマグワ、ネズミモチ、サンショウなど、どれも鳥が種を運んできたと思われるものだ。もちろん、人間に都合のよい場所に生えるとは限らない。でも、こうして芽生えてきた命を、可能な限り生かしてやれば、わざわざ大金を投じて植林などしなくてもすむ。副産物もばかにならない。ドクダミは干せばドクダミ茶になるし、ヤマノイモは秋になればむかごご飯を楽しめる。うちの雨どいには、『ジャックと豆の木』のようにヤマノイモが伝っている。管理のおじさんは苦々しく思っているのだろうが、私は天まで届け、とひそかに応援している。

 梅

 エビヅル

 ガクアジサイ

 ヤマノイモ  

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