ビーズは女子供の遊びといったイメージが強いうえに、昨今のブームが去って、廃れ気味ですらある。でも、ハラッパー遺跡からカーネリアンのビーズが大量に出土するように、ビーズは大昔から人間が愛用してきた装飾品なのだ。一〇〇〇年前にカリフォルニアの海岸地帯に住んでいたチュマシュ族が、良質のチャートをドリル代わりにしてアワビに穴を開けてビーズをこしらえ、内陸部のどんぐりと交換していた、などと翻訳していると、つい貝ビーズを販売するサイトを探してしまう。海など見たこともない内陸の人びとにとって、きらきらと輝くアワビの殻は、大いに心をそそられるものだったろう。かさばらず腐らないビーズは最高の交易品だったに違いない。中米のマヤ族はケツァールの羽の青緑色に神の存在を感じていて、支配者は青緑色の翡翠のビーズを手足にはめていたという。
黒曜石からラピスラズリまで、私はいつの間にか50種類近くも2ミリビーズを溜め込んでしまった。だから当面、太めのワイヤーで周囲を補強する方法と、江崎リエさんのコメントにヒントを得て麻布に縫いつける方法で、これを使いつづけようと思っている。
その一方で、天然石ビーズから離れて、45個のドットで鳥をつくるというアイデアそのものにも立ち返ってみた。ただ単に丸を45個連ねて鳥の絵を描く。もう少し頭を小さくとか、尾を長くとか、あれこれやり直すのにパソコンに勝るものはない。文字モードの●を並べて絵を描いているうちに、布にプリントする方法を思いついた。
この布を帆布と組み合わせて、うちの安ミシンでも縫えそうな巾着をつくってみる、というのが当初の計画だったが、ブックカバーはどうだろう、と友人に提案され、早速その案にも飛びついた。折よく、私の訳書が初めて文庫本になった(ブライアン・フェイガン著『古代文明と気候大変動』)ので、いつもより多めにいただいた見本に手製のカバーをつけて、あちこちに配った。大磯のアオバト愛好会「こまたん」メンバーのパン屋さんには、アオバトの商品を置いていただけないかと、図々しくお願いしてみた。
大磯の照ヶ崎の岩場は、丹沢から飛んでくるアオバトが夏場に海水を飲む珍しい場所として知られており、飛来数は8月が最も多い。黄色にオリーブ色、それに雄は肩が小豆色のアオバトが、何十羽も朝日を浴びて飛んでくるさまは、さながら空飛ぶ焼き芋軍団だ。
パン屋のアヴィアントさんには、アオバト・グッズのコーナーがある。何年か前からうちの娘に絵の仕事を依頼してくださり、絵葉書やマグカップ、看板など、新しい企画をどんどん立てていらっしゃる。私の素人芸でも通用するかなと不安だったが、単純さがかえって受けるのか、少しずつ売れているらしい!
たとえビーズの鳥のようなちっぽけなプロジェクトでも、何もないところから新しいことを始めるのは容易ではない。努力を重ねても、結局は失敗に終わる試みのほうが多いのだろう。時の運や才能にも左右される。でも、先月訳していたハーレクインの主人公も言っていたように、成功するためには、何よりも粘り強さと辛抱強さが必要だ。もう少しだけ、粘ってみよう。
アオバト
ピンバッジ
●を並べて描いた絵
アヴィアントさんのアオバト・コーナー
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