勤めていたころも、よく通勤電車のなかでアイデアを練り、週末になるとドイトやユザワヤへ材料探しにでかけた。娘の玩具も大半は私がつくっていた。なかには人形の家やお雛様などの自信作もあったが、衝立のようなドアとか、キルティング地でつくった14匹のねずみの家とか、いまだに笑いものにされる駄作も多々あった。セーラームーンが流行っていたころ、娘がキューティムーンロッドを欲しがったことがある。電子音の鳴るプラスチック玩具が嫌いな私は、丸い棒をピンク色に塗り、金色に塗った球をその上にボンドでつけ、スワロフスキーの大きなハートもつけてやり、このほうがはるかにいいと強引に押しつけた。確かに日の光が当たると、クリスタルガラスが部屋中に反射してなかなか幻想的だった。ところがある日、友達と一緒に神妙な顔で呪文をかけながら棒を振っていたら、先端の球が転がり落ちてしまい、おなかがよじれるほど笑って、結局、お釈迦になった。
度重なる引越しで、つくった玩具の大半は処分してしまった。多くのゴミをだして罪悪感に駆られた私は、物をつくるのはもうやめて、言葉の世界だけで満足しようと決心した。それ以来、どうしても必要なもの以外はつくらなくなっていたが、このところまたぞろ工作熱が再燃している。なるべくゴミをださないよう、軽薄短小のものに限定しているが。
先日は、東京ビッグサイトで開催されていたデザインフェスタを見てきた。7000人のアーティストが集う大規模な催しで、祭りの夜店のようなブースが2600も延々とつづき、いわゆるビーズアクセサリーから、壁画やインスタレーションまで玉石混交といった感じで並んでいた。出展者も来場者もほとんどが20代から30代で、私と同世代の人は非常に少なかった。こういう仕事で生き残れる人は、ごくわずかなのだろう。
最初は会場の様子だけのぞいてくるつもりだったのに、見だしたらおもしろくてたまらず、あちこちのブースで立ち止まっては、実演者と話し込んでしまった。恐ろしく細かい切り絵をナイフ一本で黙々とつづけるお姉さんや、ベニヤ板にポスカですいすいと絵を描く若者、小さく切った銀のワイヤーとガラスを一つひとつ溶接するジュエリー職人など、こんな手法もあるのか、と驚かされることばかりだった。ダンボールでつくった集合住宅や、針金一本でできた動くオブジェなど、なんの役にも立ちそうにない作品もあった。家族にどんな顔をされながら、こういう作品をつくりつづけてきたんだろう、と涙ぐましくなる。でも、そういった作品のほうがはるかに印象に残るから不思議だ。
ちょっと気になったのは、死人のような人形を展示するブースがかなりあったことだ。オフィーリアと『大いなる遺産』のミス・ハビシャムを合わせたような、朽ち果てる一歩手前の美醜紙一重の作品だ。こんなものを誰が誰のためにつくるのだろう? 死を見つめる芸術なのか、ネクロフィリアなのか。店番をしているのは、決まって真面目そうな30代くらいの女性だ。死体を損壊する殺人事件が多い世相を反映しているようで後味が悪い。
とはいえ、目を輝かせて自分の作品を並べる大勢の若いアーティストたちを見て、また新しいアイデアがいくつも浮かんできた。エネルギーが欲しい人は、年に二度開催されるデザインフェスタに、ぜひ足を運ばれるといい。
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