十数年前、会社勤めに嫌気がさしていたころ、ある日、私は昼休みに会社を抜けだして、秋葉原のニッピンへ行き、二~三人用の軽量小型のテントを衝動買いした。キャンプ用品さえあれば、夏の旅行はお金をかけずに済む、という打算もあったが、身一つで山から山へ渡り歩ける解放感が何よりも魅力的だった。登山の経験も知識もないに等しく、ただガイドブックを適当に読んでは、無謀な計画を立てた。だから、何度も道に迷い、日暮れて暗くなった森を歩いたり、めまいのするような岩場をよじ登ったり、土砂降りのなかを川と化した道を歩くはめになったりした。
あのころは、テントからホワイトガソリンを入れるストーブまで、重いものはすべて私が背負っていた。それがいまやもう立場がすっかり逆転していた。私よりずっと用意周到で冷静な娘は、地形図を読み、高度計を見ながら、現在位置を確かめ、しっかりと行程管理をしてくれる。おかげで、なんとか無事に最初のキャンプ地である南御室小屋に、まだ明るい時間に着くことができた。
同行した姉は小屋に泊まり、姪と娘と私の三人はテントで寝ることにした。荷物を大きなゴミ袋に入れて、テントの外のフライシートの下に置けば寝られるはずだと踏んだが、やはり甘かった。昔は三人で充分に寝られたはずのテントなのに、図体の大きくなった姪と娘にはさまれて、私は身動きもできない。ただでさえ脚も腰も限界にきているのに、これでは翌日歩けなくなってしまう。わずかな隙間で筋肉をもみほぐしながら、身体の向きを無理やり変え、最終的には頭と足を互い違いにして寝てもみたが、結局、一睡もできずに朝を迎えた。
それでも、マッサージが効いたのか、翌朝は身体が軽くなっていた。天気も最高で、薬師岳、観音岳、地蔵岳と歩くあいだ、富士山や北岳や、遠くの槍ヶ岳まで見渡せ、気分も最高だった。
問題が生じたのは下山途中だった。予定より遅れ気味だったので、途中の小屋で泊まることも検討したが、どうしても温泉に入りたいと姉が執着したため、とにかく頑張って下山することにした。ところが、そこからの長い長い下りで、私の脚はついに限界にきた。膝が笑うどころか、もう足が前にでない。荷物からコッヘルや食料も抜いてさらに軽くしてもらい、とにかく生きて下山することだけを考え、右、左と足を前にだすことに専念した。日も暮れ始め、誰もが疲労のあまり無口になっていた。青木鉱泉の旅館の風流な建物が見えたころには、六時を回っていた。中庭の長椅子にへたり込んだ私たち一行を見かねて、旅館の人たちは指定のキャンプ地ではなく、庭にテントを張らせてくれた。温泉に浸かって痛む手足を伸ばしたときは、まさに極楽だった。その晩は、若者にテントを譲って、おばさんは旅館のマットレス付きの清潔な布団で身体を伸ばして寝ることにした。毎日もっと歩かないと、いつか本当に歩けなくなってしまう、と危機感を覚えた山行だった。
南御室小屋で
稜線歩き 遠くに富士山が見える
地蔵岳オベリスク
タカネビランジ
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