私のことをレンタカーならぬ、レンタキッドと呼んでいたホストファミリーは、孫娘が訪ねてきたように歓迎してくれたらしく、ホストファーザーはカヌーや自転車、バイクで、あちこち一緒に行ってくれたそうだ。「えーっ、私のときは連れて行ってくれなかったじゃない」と、電話でつい文句を言うと、「あのころはエルパソの砂漠にいたからな。でも、射撃に行ったじゃないか」とたしなめられてしまった。そうだ、考えてみれば、熱気球や乗馬、キャンプなど、いろいろな経験をさせてもらった。
ホストマザーも、ヒューストン近辺のさまざまな鳥のサンクチュアリに娘を連れて行ってくれた。特にメキシコ湾沿いにあるガルヴェストン島に一泊二日の旅行にでかけ、湿地や浜辺の鳥をたくさん見てきたらしい。
娘が帰国してわずか数日後、ホストマザーから、ハリケーン・アイクによる高潮でガルヴェストン島は氾濫していて、住民が避難している、というメールをもらった。彼らの住むヒューストン北西の郊外は、たくさんの木が倒れて数日間停電したほかは、大きな被害はなかったらしい。アメリカ本土に上陸したときは、カテゴリー2に弱まっていたし、カトリーナのときほど死者がでていないためか、日本でもあまり報道されていなかった。
その後、忙しくてなかなか連絡が取れずにいたら、しばらくしてハリケーン・アイクの被害状況をまとめた一連の写真を送ってくれた。高床式に建てられた家が並んでいたと思われる一帯には、支柱だけがところどころ残っていた。家も船も車もお墓も、あらゆるものが吹き飛ばされて、ゴミの山と化している。顔だけかろうじて水からだして車のそばにいる老人。海となった場所に一軒だけ奇跡的に残った家。ほんの数日前、娘がホストマザーと通った道路には、ソファや木材が散乱していた。ヒューストンにあるJPモルガン・チェイス・タワーはI.M.ぺイ設計のテキサス一の高層ビルらしいが、その窓ガラスがことごとく割れている写真もあった。
ネットで調べてみると、ハリケーン・アイクは9月4日の時点で風速が時速233キロにも達し、娘が帰国した翌日の11日にはカテゴリー5.2と、記録史上最大のハリケーンに発達していたらしい。今回はアメリカとハイチで150人ほどの死者がでており、行方不明者がまだ数百人いる。ガルヴェストン島は、1900年にもカテゴリー4の巨大ハリケーンに直撃されて6000人ほどの死者がでている。その後、高さ5メートルの防波堤がつくられたが、今回のハリケーンではそれを越えて海水が流れ込んだようだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿