日本のマスコミの報道は、タイに進出した日系企業の被災状況ばかりに集中している。タイで生産すれば安い、ということにしか関心のない企業人は、思わぬ痛手を受ければそそくさと引き揚げてしまうのだろうか。外国企業を多数誘致し、高層ビルから都市交通網まで海外の技術を使って建設し、高級な外車を乗り回し、海外ブランド品で身を固めてきたタイのエリートたちは、豪邸にじわじわと迫る泥水にどう対処するのだろうか。
大河の流域で暮らすことがつねに危険と隣り合わせだということを私たちは忘れている。川の水は大量の土砂やシルトを運び、それが堆積すれば川床は高くなり、蛇行するようになる。集中豪雨などで短期間に流量が急増すれば、川はより低い場所を求めて流れを勝手に変えていく。人間は定住地を築くために川に堤防を築いて川筋を固定しようとするけれど、水の流れは地表面だけでなく、実際には地下でも起きている。堤防を超えて水があふれれば、あるいは堤防そのものが崩れれば、頭上高くから水が押し寄せる事態になる。あふれた場所の多くが市街地や工場になれば、水は地面に浸透せずにすべて排水溝へ流れる。
バンコクは海抜が一メートル以下の地域も多く、高い場所でも二、三メートルしかない。かつて国際貿易都市として栄え、今回は多数の日系企業の工場が冠水したアユタヤも、海岸から九〇キロ近く内陸にあるのに、海抜は四メートルほどしかない。十七世紀にチャオプラヤー川をさかのぼってアユタヤを訪れたフランスのイエズス会士ギー・タシャールはこう書いている。「シアム〔アユタヤ〕まで数日の距離にあるこの地は非常に低い土地だ。一年の半分はすべて冠水している。数ヵ月は降りつづく雨が〔チャオプラヤー〕川を氾濫させ、大洪水を引き起こし、おかげでこの土地は肥沃になっている(中略)。それがこの洪水のもう一つの好都合な点で、どこへでも、農地のなかへも船で行かれるのだ。そのため、あらゆるところに多数の船があり、この王国の中心地には人よりも船のほうが多い。なかにはかなり大型で、上に家が載っている船もあり、一家全員がそこに住んでいる。こうした船が出合う機会のある場所では、何隻もが一緒に集まって、水上村のようなものをつくっている」。ペルシャ人はアユタヤを「船と運河の都市」と呼んでいた。運河はもともとこの氾濫原を干拓するための排水路としてつくられたのだ。
二十世紀以降、タイでは人口が急増し、運河は道路に変わり、高床式の住宅も地方にしか見られなくなった。今日のバンコクはニューヨークや東京となんら変わりない大都会に変貌しているが、タイが熱帯の国である現実は変わらない。温暖化が進めば、モンスーンの豪雨がさらに激しくなる可能性も充分にある。タイを利用する外国企業も、お金で見かけの繁栄を買うタイのエリートも、もっと自分たちの置かれた環境をよく知らなければ、何を築いたところで足元から崩れていくだろう。同じことはどこの国にも言える。
0 件のコメント:
コメントを投稿