日常的に聞こえるこうした騒音などは、いつの間にか慣れてしまい、あまり意識にのぼらなくなるが、実際には慢性ストレスとなって体内に蓄積されているのだろう。満員電車に乗って出勤し、職場であれこれ言われ、合間に私用メールやSNSをチェックし、色も音もあふれる繁華街を歩いて、高くて買えない/買ってはいけない誘惑物に囲まれる生活をつづければ、たとえ何事もなく一日が終わったとしても、体に大きな負担がかかるに違いない。最近、誰もが苛立って見えるのは無理もない。だから、帰宅途中に人身事故で電車が十数分遅れでもすれば、それが英語で言うlast strawになる。荷を極限まで積まれたラクダは、あと藁一本でも載せれば背骨が折れるということわざだ。
ラクダも藁もいまの日本人にはピンとこないので、こういう慢性ストレスについて家族や友人に注意を喚起するときなどは、私はその状況をコップの水にたとえることにしている。水位が低ければ、数滴増えたところで別に問題はないけれど、水がコップの縁まで入っていて、表面張力ですっかり盛り上がった状態であれば、そこに最後の一滴が落ちただけで、水はあふれてしまう。誰かにちょっと何か言われたくらいで落ち込んだり、些細なことで家族に腹を立てたりするようになったら要注意だ。パソコンなどは簡単に買い替えられるものではないし、嫌な上司に異動していただくのはさらに難しいだろうが、変えられることから始めて、余計な刺激は取り込まないようにし、日頃からコップの水位を下げておく努力はしたい。
何よりも、自分がいまどんな精神状態にあるのかを客観視する、鬼太郎パパのような目が欲しい。そのための手っ取り早い方法は、自己中心になりがちな日常を抜けだして尺度を変えてみることだろう。遠くを見る、空を見上げる、 野山や海辺を歩くなどして、自分の存在が小さくなれば、かかえていた不満も悩みも相対的に小さくなる。そんなことを考えて、先週、朝五時に起きて近くの空き地までアイソン彗星を見にでかけた。北斗七星からアルクトゥルスを探し、そこからスピカを見つけて、水星とのあいだの夜空を双眼鏡で懸命に見たが、暗い星がいくつか見えるばかりだった。2日つづけて頑張ったが、横浜の住宅街では夜空が明るすぎて、双眼鏡では尾が見えなかった。光がありすぎて見えないなんて、情報過多で肝心なものが見えなくなっているいまの時代のようだと妙に納得していたら、今度はアイソンが崩壊したというニュースが。今年最高の天体ショーはお流れらしいが、残った塵くらいは見えることを期待したい。
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