そんなこんなで記録しつづけた日没の写真は、冬至のころには真西よりはるかに南に沈む太陽があり、春分、秋分のころは富士山のやや北に、夏至になると駅前のビルの陰で見えないほど北に日没点が移動する。太陽が沈む地点の手前にある陸標———マンションや鉄塔など———の位置が地図上で確認できれば、南または北に何度ずれているか、方角がわかるだろうと考え、数キロ先に見える高層の建造物を自転車で探しにも行った。冬至の太陽が沈む方向に見えるひときわ高い鉄塔は、うちから遠く離れた米軍の深谷通信隊内にそびえる鉄塔だった。春はどんどん日没点が富士山の裾野を移動する様子を観察しつづけ、幸運にも晴天の日にダイヤモンド富士を見ることもできた。
自他ともに認める方向音痴の私がこんな苦労をして観測しつづけたのは、地図や方位磁石のない時代、古代人にとって季節ごとの太陽の昇る位置や沈む位置は重要な意味をもっていたことを知ったからだ。天照大神を祀る伊勢神宮や福知山市の皇大神社が、冬至の太陽の昇る位置からその場所が決まったという説もある。
時計のない時代には、まぶしい太陽を見つづけて南中を見届けなければ正午がわからないし、空高く昇っている天体は角度を測るのが難しい。しかも、その高度は日ごとに変わるのだから、そこから自船位置の緯度を割りだそうと思えば、その日に計測した数値に当てはまる緯度を知るための複雑な計算か、膨大な数値表が必要だ。昔の航海士の知識に追いつくのは、私にはあまりにも難しそうだが、せめて地平線に太陽が沈む位置の季節ごとの変化くらいは、誰かに教えられた既存の知識としてではなく、自分で確かめてみたいと思ったのだ。
グレゴリオ暦とグリニッジ標準時が定まり、正確な地図が描かれるようになってからまだ一世紀半も経ていないのに、それ以降に生まれた人はみな、暦と時計と地図に従って生きるようになり、自然には目を向けなくなったのかもしれない。あらゆる情報がネットで調べられる現代では、正確な時刻も、自分がいる位置も、日没時刻も、コンピューターで計算された数値として瞬時に得られる。必要なのは検索能力だけになり、自然の変化が実際はどう起きているのかも知らないまま、暦どおりに衣替えをし、冬も夏も定時に出勤し、天気予報を見て傘や上着を持参するか決める。何か肝心なものが欠けてはいないのか。
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