2014年3月31日月曜日

ウィリアム・ウィリス医師の報告書

 東京の下町は、関東大震災と空襲で二度焼け野原になっているので、多くの人が過去の記憶を失っている。母方の祖父の家も震災で全焼し、焼け跡には金槌が一本しか残らなかったという。そのため、震災前に早死にした曾祖父については、断片的に伝え聞いたことしかわからない。さらに先代にいたっては、門倉伝次郎信敏という名前と上田藩の馬医だったことしか伝えられていない。  

 気まぐれにその名前をネットで検索してみたら、驚くような記事を見つけた。「上田で、ヨーロッパの服装をきちんと着こなした老紳士に会った。彼は騎兵教練を教えたアプリン大尉(英国公使館付陸軍騎馬護衛隊長)のかつての教え子で、大尉が日本を去る時、その鞍を買った。それはきちんと保存され、私が見た時は見事な日本馬にとりつけてあった。その老紳士は松平備後守の家臣で、名は門倉伝次郎という」。『ある英人医師の幕末維新』(ヒュー・コータッツィ著、中須賀哲郎訳)からの抜粋で、幕末にイギリス公使館付医官として来日したウィリアム・ウィリスが、負傷兵を治療するため1868年の北越・会津戦争に従軍した際の報告書の一部だった。念のため原書を当たってみると、案の定、最後の一文がすっぽり抜けていた。ウィリスのこの報告書はイギリスの「青書」に掲載されていて、昭和初期から日本でも研究されていたので、訳者がいい加減に付け加えたとは思えなかった。しかし、松平備後守なら加賀の大聖寺藩主で、上田藩主を指すなら松平伊賀守なので、なんとも謎な一文だった。  

 いろいろ調べてみると、ウィリスとアプリンは東禅寺事件や生麦事件など多数の事件に遭遇しており、アプリンは確かに1868年には帰国していることがわかった。江戸時代には馬の乗り方も西洋とまるで違っていたそうなので、西洋の鞍は貴重なものだったのだろう。さらに上田女子短期大学の大橋敦夫教授の「信州洋学史研究序説」には、門倉伝次郎についてこう書いてあった!「佐久間象山・伊東玄朴らに師事。蘭書ネッテントを訳し、『西洋馬術規範』として出版」。好奇心が勝り、図々しくも大橋教授に問い合わせてみたところ、訳書のほうはある時期に売りたてられ、所在不明になっているけれど、佐賀大学の青木歳幸教授の『上田市誌』に関連の記述があるとして、ご親切にコピーまで同封してくださった。そこには、「横浜で英国騎兵士官アプリンに就いて西洋馬術を修めました。伝次郎の指導で、慶応年間の長州戦争のとき、上田藩の騎兵は西洋式で出陣しました」とあった。ウィリスの報告書と一致する内容だ。 『象山全集』にでていた佐久間象山の門人帳を調べてみると、嘉永四年(1851年)に小林虎三郎や吉田大二郎(松蔭)につづいて、「松平伊賀守様御家来八月十五日、門倉傳次郎」の名前があった。嘉永三年には山本覚馬、勝麟太郎(海舟)、六年には坂本龍馬が入門している。『在村蘭学の研究』(青木歳幸著)によれば、医学関係ではなく、砲術関係者だったらしい。  

 もう一人の伊東玄朴はシーボルト事件で地図を手渡した当人で、佐賀藩がその才能を惜しんだため連座を免れ、のちに日本の医学に大きな貢献をした人だった。玄朴の門人帳を複数の書で確認してみたが、伝次郎さんの名前は見つからなかった。ただし、国会図書館には、杉田玄端が「門倉傳二郎」に宛てた書簡があるので、何かしらの医学・獣医学を学んだ可能性はある。この巻物は達筆すぎて、私には象形文字と同じくらい、さっぱり読めなかった。 

 上田藩の1865年の分限帳という藩士のリストも「信州デジくら」で見つけ、毛筆のリストを一枚一枚めくったところ、伝次郎さんのほかに「伝次郎伜 門倉庄次郎」と、私には読める謎の人物も発見した。上田市立博物館発行の『上田藩の人物と文化』を古本屋から取り寄せてみたところ、1839年の分限帳には「五両三人、門倉伝次郎(25歳)、御馬乗、宗(吽寺)」と書かれていた。計算すると幕末には54歳になっているので、ウィリスに「老紳士」と書かれても仕方ない。でも、伝次郎さんの息子とされてきた私の曾祖父は1870年前後の生まれのはずだ。本当は庄次郎さんの息子だったのか、伝次郎さんが若い後妻をもらったのか、これまた謎だ。同じ39年の分限帳には中小姓として「十石三人、門倉門蔵(54歳)、御馬役」という人物もいた! 門蔵さんは1813年のリストにも登場する。祖先は馬医だと伝えられてきたが、むしろ馬乗りだったのか。ささやかな俸禄で、親の名付けセンスが疑われるこの御馬役が、とりあえずは情報化社会のおかげでたどり着いた、私の最も古いご先祖さまのようだ。

『ある英人医師の幕末維新』(ヒュー・コータッツィ著、中須賀哲郎訳)

Dr. Willis in Japan, 1862-1877: A British Medical Pioneer, Hugh Cortazzi, Athlone Pr

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