日本の神話はこれまで私が敬遠していた世界だった。子供のころ松谷みよ子の本で、一連の神話を読んだのが最後だろう。神道と右翼がやたら結びついていることへの抵抗もあるが、古代の名前の読みにくさや、神話にありがちな矛盾だらけの突拍子もなさも、私が苦手とするものだ。しかし、「人は、実在しなかった人物やその事績を、長きにわたり、これほどの熱意をもって守り伝えることはするまい」という本書の序文につられて一気に読んだあげくに、たびたび引用されていた『出雲国風土記』まで図書館で借りて斜め読みしてみた。
本書のなかで、きっこは大胆な仮説をいくつも提示している。その一つは、八岐大蛇と国譲りの話が、実際には一つの連続した出来事ではないかという推理だ。出雲の地を治めていた大穴持命、つまり大国主命を、よそからきた(新羅と推測している)スサノオが酒を飲ませて斬り殺し、その妻であった櫛名田姫を奪って妻とした。しかし、それでは体裁が悪いので、八岐大蛇を退治したことにし、櫛名田姫を前面に立てるかたちで、事実上は自分が出雲を支配した。「出雲大社に大国主命が住まうとは、すなわち、〈死んで祀られた〉ことを意味する」。「櫛名田姫は、これ以上、国が荒れ、民人の命が失われることを良しとせず、新羅系渡来氏族との和睦を図ることとした」
櫛名田姫というのは、本来は『日本書記』にあるように「奇稲田姫」で、「霊妙なる実り多き田」という意味なのだそうだ。となると、「記・紀」にある櫛名田姫を櫛に変えて頭に差したエピソードは、のちに同じ音の「櫛」表記が定着して追加されたのだろうか。『出雲国風土記』にはスサノオがサセの木の葉を頭に刺して踊るという記述が見られる。出土している最古の横櫛は4 世紀末ごろで、呪力があると考えられていたそうだ。神話を彩るには都合がよさそうだ。
本書は1994〜96年に出雲の荒神谷遺跡などから300 本を超える銅剣と総数45個の銅鐸、銅矛16本が出土したことにも触れている。国内でこれほど大量の青銅器が一度に出土した例はほかにない。いずれも紀元前2世紀後半から紀元1世紀前半に製造されているそうだ。青銅器は一般に銅と錫の合金だが、インダス以東のアジア地域のものは鉛も含まれていることを、ネット検索で知った。錫の産地は非常に限られているし、鉛は同位体分析で産地が特定しやすい。『古事記』がつくられた712年は和銅5年。これは秩父市から日本で初めて銅が産出したことを記念した年号だ。733年完成の『出雲国風土記』にも金属に関する記述と言えば、飯石郡の飯石小川と波多小川に「有鉄」、大穴持命の本拠地の仁多郡に「以上諸郷所出鉄」と、砂鉄が産出する旨が記されているだけだ。荻原千鶴氏の解説によれば、中国山地では遅くとも6世紀には製鉄が行なわれていた形跡はあるそうだ。偶然ネットで見つけた阿部真司氏の「スサノヲの命の原像を求めて」という論文は、スサノオが産鉄集団のトップだった可能性を示唆し、『風土記』の飯石郡熊谷郷にでてくる久志伊奈大美等与麻奴良比売命(クシイナダミトヨマヌラヒメ)の名の「マヌラ」は、鍛冶の女神を意味するかもしれないと述べている。大量の銅剣や銅矛、銅鐸はどこからきたのか。所持していたのは誰だったのか。八岐大蛇からでてきた草薙の剣や、それに当たって刃が欠けてしまった十束剣は、鉄器の生産の始まりを暗示していたのか。本書を読んだおかげで、「神代」の出来事がおもしろくなってきた。
ついでながら、『出雲国風土記』は本草学の本かと思うほど植物には詳しく、動物に関しても、仁多郡には「鳥獣は、タカ、ハヤブサ、ハト、ヤマドリ、キジ、クマ、オオカミ、イノシシ、シカ、キツネ、ウサギ、サル、ムササビがいる」といった具合にそれなりに書かれている。タカ、ハヤブサの記述が多く、鷹狩りが盛んだったのは間違いない。狼は10郡中6郡に出没したらしい。タヌキ、カラス、スズメに関する記述はなく、なぜかムササビは頻出する。
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