なかでも先日、初校を終えたばかりのエンゲルスは500ページ近くあって、内容が内容なうえに、厄介なことが二つもあり難儀した。原書がイギリス版とアメリカ版で2割近く異なっていたのだ。半年もかけてイギリス版で最後まで訳したあとで、アメリカ版のほうが読みやすく編集し直されていることがわかったときは呆然とした。仕方なく、膨大な変更箇所を拾いだし、削除、追加、順序の入れ替えなどをして、なんとかアメリカ版に合わせた。ところが、初校で一文一文つけ合わせると、まだまだ見落としが随所にあり、その都度、双方の版の変更箇所を確認することに。細かい字の原書二冊とゲラを見くらべているうちに、自分がどこを読んでいるのかわからなくなることもしばしばだ。
もう一つの難題は、各章に100前後の註が付いていて、その7割くらいが『Marx-Engels Collected Works』という全50巻の英訳版の引用だったことだ。日本には大月書店の『マルクス=エンゲルス全集』という、32年もの年月をかけて翻訳された53巻ものの全集がある。いまはありがたいことに年会費を払えばネット上でも読めるのだが、英版とは編集が異なり、ページ数はもとより、収録されている巻数も違い、文字検索ができない。いつ、どこで、誰が書いたのかもわからない引用文の全文をまずはネット上で検索し、それに相当する論文や手紙と該当ページを53巻のなかから探しだす、気の遠くなるようなパズルに1カ月は費やしたと思うが、校正中に追加でまたもや調べている。
どう考えても仕事としては最悪なのだが、このエンゲルスの伝記、信じられないだろうけれど、驚くほどおもしろいのだ。著者は、執筆当時はロンドン大学で歴史を教えていたが、現在はイギリスの労働党の若手下院議員であり、幹部でもあるハンサム・ガイのトリストラム・ハント氏。マルクスとエンゲルスというと、もじゃもじゃペーターのような晩年のむさ苦しいイメージが定着しているが、黒イノシシとかムーア人と呼ばれていたマルクスにたいし、エンゲルスは実際にはかなりの伊達男で、若いころは相当な女たらしだった。膨大な著作物や手紙が残されているおかげで、この本では150年前の話とはとうてい思えないほど、人物が生き生きと描写されているだけでなく、20世紀を通してマルクスとエンゲルスの思想がどれだけ誤解され、曲解されてきたかがわかり、目から鱗が数十枚は落ちた気がする。おまけに、なんともユーモラスで、校正中も再び読んで一人でニヤニヤしたり、吹き出したりしてしまった。
イギリスに亡命中のマルクスが『資本論』を書きあげるあいだ、エンゲルスが17年にわたって自分を犠牲にし、彼の生活を支えつづけた事実がどれだけ知られているかはわからない。わずか数ポンドでも送って欲しいとマルクスはたびたびエンゲルスに懇願するのだが、わが家も似たり寄ったりで、苦笑せざるをえなかった。海外や他業界の常識から考えれば異様な慣行と思うのだが、日本の出版業界では本が刊行されてから数カ月後にようやく印税が支払われるのが一般的で、その間の労働は刊行されなければ何年間でも未払いとなりうる。翻訳者とて霞を食って生きているわけではない。そのうえ年収がこうも不安定だと、収入のない年に腹が立つほど高額の税金や保険料を納めなければならない。今回はたまりかねて直訴し、特別に一部前払い金をいただいた。マルクスは天才であっても自己管理能力に乏しく、恐ろしく遅筆だったそうで、エンゲルスは大量の資料を提供し、理論形成を手伝っただけでなく、「肝心なことは、これが執筆され、出版されることだ。君が考えている弱点など、あのロバどもには絶対に見つからない」などと、17年間、叱咤激励をつづけた。そう、なんであれとにかく出版されることだ!と、私も内心思いつづけた。
『共産主義者宣言』は意外なことに、出版時には世論から「沈黙の申し合わせ」に遭ったようだが、これだけ膨大な年月をかけて執筆された『資本論』も同じ運命をたどりかけ、エンゲルスは「熟練の広報担当者のような狡猾さで」宣伝工作に走る。「注目を集めるうえでの最善の策は、〈この本を非難させること〉であり、報道上で嵐を巻き起こすことだ」と考えたのだ。「現代の数々のメディア操作も本の売り込み術も、マルクスの最も有能な宣伝係によって始められた」らしい。私の2年越しの労作が鳴かず飛ばずにならないよう、なんとか3月に無事に刊行できたら、エンゲルスに倣って宣伝工作でもしたい気分だ。
書き込みだらけになってしまった原書
英版(左)と米版(右)
0 件のコメント:
コメントを投稿