それからというもの、くる日もくる日も机に向かい、日替わりで絵師と彫師と擦師を兼業するという、娘にとって地獄のような日々が始まった。うちにはもちろんプレス機はないので、ひたすらバレンで擦るしかないが、娘は私よりはるかに骨細で、体重も軽いのでプレス効果は乏しい。『Magnificent Birds』と題された本の表紙と裏表紙には、日本人アーティストを起用したからか、タンチョウが選ばれた。BBCの日本紹介番組でもタンチョウは大きく取りあげられ、イギリス人観光客にとって憧れの鳥なのだそうだが、家にこもって、背中を丸めて日々リノリウム板と格闘する娘の姿こそが、何やら『鶴の恩返し』のようで、「決して見てはいけない」やせ細った鶴を思わせた。
それにしてもなんでタンチョウなんだろう。シマフクロウのほうがよかったんじゃないか。壁にずらりと貼った試し擦りをぼんやりと眺めているうちに、ふと脳裏に浮かんだものがあった。幕末から明治にかけて、チャールズ・ワーグマンが発行した『ジャパン・パンチ』の表紙画だ。「パンチの守」という鼻の大きな架空の人物の両脇に二羽のタンチョウが侍る少々奇妙な絵が、毎号の表紙に使われていた。ワーグマンはタンチョウをただ日本の工芸品から写したのだろうか。釧路まで行ったとは思えないが、横浜近辺で目撃したのだろうか。広重の「名所江戸百景」の三河島にはタンチョウらしき鶴が描かれている。幕末に来日して克明な日記を残したフランシス・ホールは、1860年1月に江戸へ戻るハリス公使を送って六郷の渡しまで行った際に、「背の高い青と白の鶴が闊歩」と書いた。いまはほぼ九州にしか飛来しないマナヅルだろうか。
この年11月下旬に、マイケル・モスというイギリス人が狩猟にでかけて雁を仕留めて帰る途中、神奈川湊の近くで役人に咎められ、乱闘になった末に銃が「暴発」して役人の一人が負傷し、モスが奉行所に連行された事件についても、F・ホールは日記に詳述している。モスを救出するために、ヴァイス英領事が武装した横浜の居留民を引き連れて奉行所に押しかけ、プロイセン海兵隊も協力して威嚇し、後日、外国人の逮捕をめぐる規定が設けられたことなどから、治外法権・領事裁判権の問題でよく取りあげられる「モス事件」である。幕末の混乱期には狩猟を生来の権利と主張するイギリス人と多くのトラブルがあった。ヴァイス領事のもとで働いていた横浜の古老も、ある異人が「馬丁を連れて鉄砲打ちに出かけまして、鶴を一羽打って来て、私に料理しろと申しますから、これは禁制の鳥だから、私には手をつけることが出来ぬと断りましたが、異人は、戸部の奉行所へ喚出されて一応のお調べを受けた」と語った(『横浜どんたく』に再録)。ホールが日記に書いたことはもちろん誰かから聞いた話だ。実際にはモスがナベヅルか何かを撃ち、そのせいで役人に見咎められた可能性もなきにしもあらずだ。その事件を古老がやや記憶違いしたのではないか。
ワーグマンの「パンチの守」はワーグマン自身だと一般には解釈され、後年には確かにそうだったと思うが、もともとはパンチという渾名で知られ、やはり大きな鼻で『ジャパン・パンチ』に描かれていたヴァイス領事や、鶴を保護した神奈川奉行がモデルだったかもしれない。イギリスの絵本の担当者は誰もそんな歴史的背景は考慮していなかっただろうが、世界のすごい鳥の絵本の表紙をタンチョウが飾ったことには、大きな意味があったような気がしてきた。(後日、ワーグマンの表紙絵をよくよく見たら、タンチョウではなく、コウノトリであることに気づいた!)
ホールが六郷で鶴を見た翌々日は安政7年の元旦だった。「真夜中に寺の鐘が鳴りだし、朝まで間隔を置いて聞こえていた。日本人は少なくとも神奈川では、新年に中国人がやるような派手なお祭り騒ぎをしない。昨晩は各家の戸口に大きな提灯が下げられ、通りが明るく輝いていた」と、ホールは日記に書いた。当時、彼は神奈川の宗興寺にシモンズ医師とともに住んでいたと思われるが、彼が聞いたのはどこの鐘だったのだろうか。線路を挟んだ向こうにアメリカ領事館が置かれていた本覚寺があり、境内にはいまも鐘楼がある。
じつは、すごい鳥の絵本の仕事が終わった途端、娘は数年前から取り組んできた『じょやのかね』の残りの制作作業に移り、そこからまたひたすら彫っては擦る日々が始まった。ふだん生物や自然を描くことの多い娘にしては珍しく、今度は人間が主人公でお寺が舞台、しかも人一倍、色にこだわりがあるのに、この本は白黒とあって、頭の切り替えがなかなかできなかったようだ。モデルにしたのは船橋のお寺で、娘が小学生のころ、たまたま新聞か広報で除夜の鐘が撞けるお寺が近くにあると知って、毎年詣でるようになったところだ。寒いなか静まり返った暗い夜道を歩いたあとに、赤々と燃える篝火と湯気の立つ甘酒とお腹に染み渡る鐘の音で迎えてくれたお寺は、子供心に強い印象を残したようだ。この本は、初めて真夜中まで起きて、古い年が終わって新しい年がくる魔法の瞬間を見届けようとした幼い日の体験を描いたものでもある。
『じょやのかね』は福音館書店から刊行される。
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