ワインにはまるで詳しくないが、大阪日本ポルトガル協会によれば、ポルトガルのワインの歴史は紀元前5世紀にフェニキア人によって始まり、マデイラワインは17世紀から、ポートは18世紀には登場し、スペインのシェリー酒と並んで、世界3大酒精強化ワイン、つまりアルコール度を高めたワインとして知られているそうだ。ウィキペディアによると日本に最初にもたらされたワインはポートワインらしい。
この本はおもに横浜について書かれているのだが、1章だけ開国前の長崎の出島について割かれた章がある。一昨年に佐賀と長崎に旅行した際、夕方に駆け足ではあったが出島跡も見学したので、およその雰囲気はわかったが、水門や一番船船頭部屋、涼所などがどう再現されていたかは記憶にない。著者のオランダ商人デ・コーニングは、1851年に若い船長として出島に3カ月間滞在したことがあった。上陸した初日、家具一つない部屋で呆然としていたところへ、買弁が歓迎の意を込めてMoscovisch gebakなるお菓子を届けてくれた。これはマデイラケーキらしいが、オランダ語で検索するとやや異なるものがでてくる。そこへ通詞の吉雄作之烝と目付がやってきたため、携帯用フラスクに詰めたコニャックを分け合い、ちょっとした宴会を開いた。「二人の紳士が菓子数切れを食べ、コニャック数杯を飲み干したところで、作之烝は──まずは〈ジュール・ロバン・コニャック〉の名前を手帳に書き込んだあと──知り合えてよかったと述べ、それから暇乞いをした」。想像するとなんともおかしい。
「1782年創業のこの会社は今日でもコニャックを製造している」という英訳者の註を読み、私がネット検索したのは言うまでもない。作之烝もただの飲兵衛ではなく、仕事熱心だったのだと考えたい。当時と同じものかどうかはわからないが、ヤフオクにそれと思しきものがいくつか出品されていたので、木箱入りの、いかにも舶来品風のコニャックをつい購入してみた。無事に本になった暁に封を開けようと、こちらはまだ手を付けていない。
ジュール・ロバンが幕末にどれだけ輸入されていたかはわからないが、1862年9月13日付の『ジャパン・ヘラルド』紙に掲載された別のオランダ商人ヘフトの広告では、ドルフィン号で到着したばかりの「ジュール・ロバン社コニャックの積み荷」が、砂糖やボローニャ・ソーセージなどともに宣伝されていた。ついでながら、同じ紙面に10月1日・2日に開催予定の競馬の予告があるほか、乗客欄には、ランスフィールド号で上海から到着したイギリス公使館のロバートソンとサトウの名前がある。この船は薩摩藩が買って壬戌丸となった。
一読者として本書を読んだときには、調べたかった情報を手っ取り早く知ることに重きを置いてしまうので、こうした些細な事柄は読み飛ばしていた。とくにネット上で、知りたいキーワードを検索して、該当ページの前後だけを拾い読みした場合には、こうした「味わい」は得られない。本書には歴史的な「新事実」がかなり含まれており、史料としての価値がかなりあると思われる。だが、それ以外の、ページの端々に書かれていたちょっとした描写にも、別の意味の発見がある。幕末に来日した多くの外国人は、江戸湾に近づくにつれて見えてくる富士山の圧倒的な美しさに言及しているが、デ・コーニングも例外ではない。9月初旬に彼が来日した際に、すでに冠雪があったのかどうか定かではないが、彼の見事な描写は、冬に東南アジア方面から早朝に成田に着く便で帰国した際に、日本列島の上にそびえる富士山を見たときの感動を思いだす。いつか長い航海のあとに、海上から眺めてみたいものだ。
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