2021年9月4日土曜日

『ショック・ドクトリン』上巻を読んで

 以前から一度読んでおこうと思いつつ、上下2巻の大作で、なかなか手がでなかったナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』(岩波書店、2011年)の、とりあえず上巻だけ目を通すことができた。翻訳の大先輩である幾島幸子さんが、村上由見子さんと共訳なさった作品であり、昨年から「コロナ・ショック・ドクトリン」などと言われだし、再び注目を集めていたのはよく知っていたが、少し前にリーディングをした衝撃的な本で言及されていたために、ようやく読んでみる気になった。下巻が読めるのはいつのことやらなので、忘れないうちにメモ程度に書いておく。  

 政治・経済分野の本は、正直言って苦手なほうだが、下訳時代に9/11以降のネオコンの台頭に関連して、プレストウィッツやエモットの本を訳したことはあったし、本書で克明に綴られる中南米の凄まじい状況も、チョムスキーの『覇権か、生存か』で苦労しつつ訳したこともある。  

 とはいえ、いずれも20年近く前のことであり、よく理解しないままに終わっていたので、ナオミ・クラインの非常に明解な説明と、読みやすい訳文のおかげで、ようやく少しばかり全体像が見えてきた気がする。1970年生まれの著者が、1973年のチリ・クーデターの背景に、アメリカの経済学者ミルトン・フリードマンと、シカゴ大学で彼の教えを受けたチリ人留学生たち「シカゴ・ボーイズ」がいたことを見事に説明してみせたのは、画期的なことではないだろうか。  

 1957年から1970年までにアメリカ政府の資金で学んだ約100人のチリ人留学生たちは、帰国するころには、「フリードマン本人よりもフリードマン主義に徹していた」という。つまり、徹底的な自由市場経済体制に国家を改造すべく目論む思想だ。しかし、チリでは1970年には経済の主要な部分を国有化する政策を打ちだしたアジェンデが政権の座に就いており、この政権を阻止すべく動いたのが、前年アメリカ大統領になったばかりのニクソンだった。それによってピノチェト将軍による軍事政権が樹立し、アジェンデ政権中枢部が殺害・拘束されただけでなく、1万人以上の市民が逮捕され、大勢の人がサッカー場で見せしめに虐殺されるなど、「抵抗は死を意味する」ことがチリ全土に示された。  

 そんな野蛮な独裁制を、なぜ自由と民主主義を標榜するアメリカが支援するのか。その理解に苦しむ現象のからくりを、本書は解き明かす。衝撃的な出来事を巧妙に利用する政策を、著者クラインは「ショック・ドクトリン」と名づけている。 「つまり、深刻な危機が到来するのを待ち受けては、市民がまだそのショックにたじろいでいる間に公共の管轄事業をこまぎれに分割して民間に売り渡し、〈改革〉を一気に定着させてしまおうという戦略だ」という。

 フリードマンの教義が前提とするのは、「自由市場は完璧な科学システムであり、個々人が自己利益に基づく願望に従って行動することによって、万人にとって最大限の利益が生み出される」という考えだ。インフレ率や失業率が上昇するのは、市場が真に自由でなく、何らかの介入やシステムを歪める要因があるからだ、というわけだ。著者は自己完結したこの教義を資本原理主義と呼ぶ。  

 資本主義と自由はイコールだと信じるフリードマンの教義は、実際には自由の国ではなかなか受け入れられず、「自由市場主義を実行に移そうという気のあるのは、自由が著しく欠如した独裁政権だけだった」。そのため、シカゴ学派の学者たちは世界中の軍事政権を跳び回ったのだという。  

 ニクソンはのちに、フリードマンの助言に従わずに賃金・価格統制プログラムを実施してインフレ率を下げ、経済を成長に転じさせ、フリードマンを激怒させたという。しかも、それを実施したのが、フリードマンの教えを受けた一人で、当時、新人官僚だったラムズフェルドだったそうだ。意思決定が複雑な民主主義国家では、外部から適切なブレーキがかかるという意味だろうか。  

 本書によると、フリードマンとシカゴ・ボーイズがピノチェト政権下のチリで実現したのは、資本主義国家ではなく、コーポラティズム国家なのだという。この用語の説明部分は何度読んでも意味がわからず、ネット上の定義もあれこれ読んでみたものの、著者の意図がいま一つ飲み込めなかったので、ネットで原文を探して自分なりに訳してみた。

「コーポラティズムはもともとムッソリーニが目指した警察国家モデルで、そこでは社会の三つの勢力である政府、財界、労働組合が同盟を組み、ナショナリズムの名のもとに秩序を保つべく三者が協力し合うものだった。ピノチェト政権のチリが世界に先駆けて実行したのはコーポラティズムの進化だった(…was an evolution of corporatism)」。この箇所が訳書では、「チリが世界に先駆けて発展させたのは、まさにこのコーポラティズムだった」となっている(上巻、119ページ)。 

「すなわち、警察国家と大企業が互助同盟を組み、第三の勢力部門である労働者にたいする総力戦をするために手を結び、それによってこの二者の同盟による国富の取り分を大幅に増加させるものだ」と、つづけば意味が通るのではないか。つまり、著者がこの言葉を従来の意味ではなく、労働組合と労働者を除外して、国家と企業だけが手を結んだ形態として使ったのだと解釈すれば、である。非正規雇用が増えて、組合幹部だけが国家と企業と結託するという意味なのか等々、いろいろ考えてしまったが、そうではなさそうだ。  

 たとえば、サッチャーはイギリス版フリードマン主義を導入して、公営住宅を安価で購入できるようにして、のちに「オーナーシップ・ソサエティ」呼ばれる政策を掲げたものの、就任3年後に支持率は25%にまで落ち込んだ。ところが、「コーポレート作戦」という、コーポラティズムを示唆する軍事作戦というショック療法に着手して、フォークランド紛争に勝利したため、支持率は59%に急上昇した。アルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスが「二人の禿頭の男が櫛をめぐって争うようなもの」と揶揄した、この紛争によって生じた混乱と愛国的熱狂に乗じ、サッチャーは強権を行使して炭鉱労働者のストライキを潰した。こうして、「民主主義国家でもそれなりのショック療法は実施できることを、サッチャーは身をもって示した」のだという。  

 レーガンとサッチャーの時代を経ると、「真のグローバルな自由市場を邪魔する者はいっさいいなくなり、制約から解き放たれた企業は自国内のみならず、国境を越えて自由に活動し、世界中に富を拡散することになった」。

 上巻にはチリのほか、インドネシア、アルゼンチン、ボリビア、南ア、さらには天安門事件や、ポーランドの「連帯」、ソ連崩壊など多岐にわたる事例に触れている。新聞やテレビで知っただけの歴史的事件が、クラインの解説を読むことで初めて、「そういうことだったのか!」と、目から鱗が落ちるようにわかってきた。ボリビアとポーランドでフリードマンに代わって暗躍した経済学者は、ジェフリー・サックスだった! 話題作となった『貧困の終焉』を読んで少しも共感しなかった理由が、いまになってよくわかる。ハイパーインフレのニュースばかりが伝わっていたアルゼンチンで諸々の恐ろしい事件が起きていたことを知ったのが、個人的には大きな衝撃だった。なにしろ、1930年代にアルゼンチンに移民したまま音信不通の遠い親戚がいるからだ。いつかまとまった時間の取れるときに、下巻を読みつつ、もう一度、上巻もおさらいしよう。

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