今年の前半は、以前にも書いたように、時間と時計に関する面白い本を訳しており、少し前に訳者あとがきを書きながら改めて明治初めまで、日本で使われていた不定時法について少しばかり調べてみた。高緯度の地域ほどではないにしろ、冬と夏では日の出、日の入り時刻に数時間のずれがある日本では、年間を通して空が白んできたら起床できるように時間のほうを変えていたというのは、何やら逆転の発想のようで、とても新鮮だった。
時間を変えるのは年間24回、二十四節気に合わせていて、その点では太陽暦であったことなどを知ると、実際に試してみたくなる。巧妙な仕組みになっていた和時計を1台欲しいところだが、うちは東向きでもあるので、取り敢えずは日々の日の出時刻の変化を1年間おおよそ(起きられる限り)追ってみようと思い立ち、冬至の少し前から始めてみた。
街灯や門灯の明かりが入るので、真夜中でも完全な暗闇ではないが、夜明け前にほんの少し空が明るくなると、ものが見えるようになる。最初の光はカーテンの上の隙間から射し込むので、欄間が高い位置にあったのはそのためでもあったのではないだろうか。つまり目覚まし代わりとして。電気のない時代であれば、日の出前のこの30分ほどの時間、明け六つは、とても貴重だったに違いない。
私がいつも利用させていただいているKe!sanサイトによると、冬至の明け六つは6時11分だが、春分・秋分は4時54分、夏至は3時49分と変化していた。横浜の冬至の日の出時刻は6時47分だったが、やや内陸部に住んでいるので、うちの近所の小高いところから実際に太陽が見えたのはその7分後ほどだった。周囲に民家が密集するうちのアパートでは40分ほどあとでなければ太陽は見えない。
冬至前の12月18日には、横浜の日の出時刻は6時45分だったので、そこから少しずつ遅くなったわけだが、実際には日の出時刻は冬至後もどんどん遅くなり、いちばん遅いのは1月7日ごろらしい! これは地軸が傾いているからだという。かたや日の入り時刻はいちばん早いのが12月6日ごろで、冬至のころには実際にはどんどん日が暮れるのが遅くなっていたのだ。確かに晩秋にいちばん日暮れが早く感じるし、クリスマスを過ぎるとすでにだいぶ日が長くなったような気がする。ただし、日の出・日の入りで厳密に計算すると、冬至の日はいちばん昼の時間が短くなるそうだ。そんなことも知らずに、ただ柚のお風呂に入って満足していたのかと思うと情けない。
冬至の日の出を見に行った朝、周囲の色がどんどん鮮やかになるにつれて、近くの木で眠っていたらしいヒヨドリが一羽、また一羽とけたたましい声をあげて飛び立っていった。
「たいようがでるまえに、さいごの ねぼすけも とびたった」という、娘の新しい絵本『ハクセキレイのよる』(福音館 ちいさなかがくのとも 2月号)の最後の一文がふと浮かんだ。冬季には街路樹などをねぐらとするハクセキレイの一夜を追っただけの静かな物語だが、小さな読者が自分の知らない夜の時間の話にどんな反応を示すのか楽しみだ。月刊誌なので店頭に並ぶ期間は短いため、ご興味のある方は早めに探してみてほしい。
福音館、ちいさなかがくのとも2022年2月号
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