2021年12月14日火曜日

ブリジェンス追記

 昨日、たまたま別件で検索中にたいへん詳しい面白いサイトを見つけ、ついあれこれ読んでしまった。建築史家の泉田英雄氏のサイトと思われる。『埋もれた歴史』を書いた際に、私もイギリスの公使館や領事館について少しばかり調べたのだが、このサイトには明治以降のものを中心に、建築学的な観点からかなり詳しい経緯が綴られていた。  

 目下多忙なので、このサイトから判明した新たな事実をメモだけしておく。まずは、御殿山に建設され、高杉晋作らに焼き討ちされた公使館の設計者はラザフォード・オールコック自身だった!  

 横浜の山手に1867年に建設された公使館は、ブリジェンスの設計で始まったものの、工兵クロスマン少佐(Major William Crossman)が極東に派遣されたあと、その機能に相応しいように設計変更されたのだという。  

 さらに、現在の横浜開港資料館の場所に1870年に建設された領事館では、新たな図面が作成されたのだそうだ! 不恰好と不評だったこの領事館は、ブリジェンスのその他の建築物と似ていないと思ったが、そういうわけだったのか。泉田氏の説明を引用させてもらうと、「構造は木造軸組に石貼り(Stone Casing)で、長方形平面の三つのコーナーに塔屋が備えられ、特異な外観をしている。政情不安な時期にあって、監視塔が必要であったのだと思われる」。そうだったのだ、あの奇妙な塔は、クロスマンの発案だったのだ。  

 そこで思いだしたのが、『ジャパンパンチ』のワーグマンの滑稽な記事だ(1869年8月号)。見張る必要のあった方角だけ機能面重視で塔を設けていたのだ。以下、手書き文字を和紙に木版刷りしたものを読み取った限りだが、こんな内容である。後半部分はとくに、どういう構文なのかさっぱりわからないので、かなり推測混じりだ。正確に読み取れる方がいらしたら、ぜひご教示いただきたい。

 “Illustrious Sir” said a distinguished military officer to General Punch when will your next “heaven inspired” number appear
 “Sir” replied Punch Sama “when you have added the fourth tower to your Consulate building” 
Punch Sama is however merciful and having administered this well merited rebuke should condemn the Public to wait until the arrival of the Japanese Kalends he repents and produces his new and ever fresh Punch. 
 
「高名なお方」と、威厳のある将校がパンチ将軍に言った。「『天の啓示』による次の数字はいつ現われるのでしょうか?」〔八卦のことか〕 
「士官殿」とパンチ様は答えた。「貴国の領事館に四つ目の塔が付け足されたらだ」 
しかし、パンチ様は慈悲深く、この当然なる批難によって、大衆が糾弾する事態になるのを、彼が悔い改めつねに新鮮で新しいパンチを生みだす日本の朔日〔新暦のことか〕がめぐってくるまで待つように処置した。  

 日本の彫り師がカンマやピリオド、クォーテーションマークなどを見落としていたりするのかもしれない。後半部分のパンチが、『ジャパンパンチ』の新号という単純な意味なのか、日本でしょっちょう年号が変わっていたことへの揶揄なのかも不明だ。『ジャパンパンチ』を老後の楽しみで翻訳してみたいと、ひそかに思っているのだが、多くの人のお知恵を借りなければ難しそうだ。

『復刻版ジャパンパンチ』2巻(雄松堂)より、
 1869年8月号

『Far East』1871年7月17日号

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