お正月を挟んでそれだけ日数が経ったにもかかわらず、私はまだ終わる気配の見えない本と格闘している。こんなときはよく「オワラングゼーブ帝だ!」などと、娘と冗談を言い合っていた。当時もこのムガル皇帝(アウラングゼーブ)の日本語表記はひどいと思ったが、ヒンディー語読みだとオーランジェブであることをグーグル翻訳の音声機能で知った。全然違うじゃない!
現在の仕事はベンガル語がたくさんでてくるため、私はそのたびにベンガル文字のアンチョコ表と見比べながら、音声を何度も聞き直している。そんなことに膨大な時間を費やしたところで、気づいてくれる人はまずいないのだろうが、ベンガル語の総話者数は3億人近くで世界第7位であり、1億3000万人のドイツ語話者数よりも、2億人以上のフランス語話者よりもはるかに多いことを考えると、適当にローマ字読みするわけにもいかない。
年始には何年ぶりかで母方の叔父の家を訪ね、いとこたちも家族を連れてきていたので、つかの間、親族が大勢集まった昔の祖父母宅でのお正月の光景が甦ったようだった。いま訳している本に、子供時代にいかに拡大家族や家族ぐるみの友人たちに囲まれて育ち、そのなかでどれだけ多くを学んだかが綴られている。その成育環境があってこその人なのだと思い知らされたところなので、核家族化したうえに、コロナ禍で家族以外の人との接触が極端に制限されたこの数年間がおよぼす悪影響を嘆かずにはいられない。年始に予定されていた、父方の初めての(!)いとこ会は、オミクロン核の急速な広まりによって、残念ながら延期となった。
相変わらず先行き不透明なままだが、そのなかでも時は刻々と過ぎてゆく。大事な成長期を多くの制限のもとで過ごす子供たちが不憫だ。関東で4年ぶりの大雪となった翌日、すでに残りわずかになった雪で元気に橇遊びをする近所の小学生たちを見て、少しだけ安心した。
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