2022年11月16日水曜日

『気候変動と環境危機』その1

 すでに2回にわたって関連記事を書いたが、12月初めに刊行予定のグレタ・トゥーンベリ編著の大作『気候変動と環境危機:私たちにできること』(原題:The Climate Book、河出書房新社)がいったいどんな本なのか、もう少し内容を紹介しておきたい。この本は、気候科学はもちろんのこと、林野火災やプラスチック汚染などの環境問題も広く網羅し、人類がかかえる大難題を技術の力で乗り越えようとする地球工学などの実態にも言及しており、じつに多岐にわたる広い分野にまたがるものだが、それだけでは終わらない。これは科学面だけでなく、倫理・政治・経済にも深く突っ込んだ作品なのだ。

 私はこれまで翻訳の仕事を通じて気候科学や農業、水の問題などにはかなりかかわってきたほうだと思うが、「気候正義」という言葉を、グレタ当人を含め、多くの寄稿者が使用していることには、当初だいぶ戸惑いを覚えた。道徳や倫理問題は、私の得意な分野ではない。正直言えば、何であれ正義を振りかざされると、私はげんなりしてしまうほうだ。だが、幸か不幸か、同時並行して校正作業に取り組んでいた作品が、『アマルティア・セン回顧録』(上下2巻、勁草書房、12月下旬刊予定)だった。これは私の苦手な倫理問題をじつに明解に説明してくれた傑作だったため、まるで異なる分野の双方の仕事を行き来しながら、これまではとは違う観点から気候問題を考えるまたとない機会となった。科学面と倫理面は、どちらも非常に入り組んだ問題なので、この紹介記事は前後2回に分けて書こうと思う。

 まずは科学面から。気候科学の歴史についてはすでに多くの本が書かれており、私ですら『異常気象の正体』、『CO2と温暖化の正体』、『地球を支配する水の力』(いずれも河出書房新社)を訳してきたので、詳しくはぜひそちらをお読みいただきたい。19世紀なかばにジョン・ティンダルがポーターと一緒にアルプスに登って氷河の動きを実測し、水蒸気の実験を行なったことや、グレタの祖先のスヴァンテ・アレニウスが19世紀末に人類が地球を温暖化させている可能性について初めて指摘したこと、20世紀前半にアルフレート・ヴェーゲナーがグリーンランドを探検して現地で帰らぬ人なったこと、その後にミルティン・ミランコヴィッチが天文学を研究してミランコヴィッチ・サイクルの理論を打ち立てたことなどは、これらの本でよく説明されていた。 

 戦後になってアレニウスの理論がようやく研究され始め、それを受けてC・D・キーリングが大気中のCO2濃度を測り始め、1958年3月からはハワイのマウナロア山の観測所で連日測定するようになった。観測を始めた当初は315.1ppmだったものが、2004年には開始時より20%近く増えて377.43ppmになったと訳したのを覚えている。CO2は現在も毎日マウナロアで測定されており、インターネットで確認できる。この記事を書いている11月14日現在で417.94ppmだが、季節的に高くなる5月27日には421.99ppmだった。産業革命前は280ppmであり、グレタが生まれたころからさらに12%ほど増えている。

 温室効果ガスはもちろんCO2だけではない。メタンをはじめとするそれ以外の気体がどの程度作用するかといった問題は、グレタの本で専門家が詳しく解説しているが、温暖化の原因はわかっていないとか、CO2は無関係などといまも固く信じておられる方は、まずこれまで刊行されてきた気候科学の書物を再読することをお勧めする。本書では、気候変動の否定論がどのように形成され、意図的に広められてきて、そのために貴重な30年間が論争で失われ、その間に増えに増えた温室効果ガスと悪化の一途をたどる生態環境が、もはや取り返しのつかない時点にまで地球上の生命を追いやりつつあることが、ナオミ・オレスケス、ケヴィン・アンダーソン、ジョージ・モンビオなど、数多くの寄稿者によって暴かれている。2021年8月9日にIPCCの第6次評価報告書が発表され、「人間の影響が大気、海洋及び陸域を温暖化させてきたことには疑う余地がない」と初めて表明されたことで、やはり寄稿者のサムリル・ホクの言葉を借りれば、「気候変動が公式に到来した」のである。 

 気候科学は冷戦期にいわば偶然に始まったような分野で、当初は軍やエネルギー産業が研究費の多くを拠出していた。グリーンランドの氷床を掘削して柱状(コア)試料を取りだす試みは、北緯69度線の近くに数珠つなぎに設置されたソ連監視用のレーダー網の基地から始まり、氷の下の都市と呼ばれたキャンプ・センチュリーで53メートルの深さまで掘ったものだった。原子力技術は放射性炭素をはじめとする同位体を使った年代測定法に応用され、地質学や考古学を根本的に変え、氷床だけでなく海底や湖底から同様のコア試料を掘削し、世界の大洋の海水に含まれる放射性炭素年代を測定して世界の大洋の海流の仕組みを解明する研究にもつながった。 

 1957年に10カ月間、大西洋をヨットで縦断し、毎日、海水を汲んで揺れる船上で放射性炭素の測定を行なったのが、コロンビア大学で博士号を取得したばかりの高橋太郎だったことは、ウォレス・ブロッカーの『CO2と温暖化の正体』を訳した際に知った。2019年12月、盟友ブロッカーの死から数カ月後に89歳で永眠した彼の追悼記事がラモント=ドハーティ地質研究所のサイトにあり、そこにはヴィーマ号で調査中の若い彼の写真が掲載されていた。気候科学分野で初めてノーベル賞を受賞した眞鍋淑郎に関しては、1988年にNASAのジェームズ・ハンセンとともにアメリカ議会の公聴会で地球温暖化の事実を証言した折に、一緒に証言に立ったマイケル・オッペンハイマーをはじめ、何人かがグレタの本で言及しているが、眞鍋氏より1歳年上の高橋太郎のことは触れられていない。追悼記事によると、アル・ゴアが1990年代にブロッカーや高橋氏とCO2の上昇の脅威について話合いをもった際に、地球が2℃ほど温暖化することが人類にとってそれほど悪いことだろうかと思い、この問題にゴアほどの熱意を感じなかったそうだ。それには1970年代末から80年代初めにかけて、彼とブロッカーが石油タンカーにモニターを設置して、海洋表面のCO2データを集めるプロジェクトをエクソンとともに実施していたことも、いくらか関連するかもしれないと、この記事を読んで思った。化石燃料産業は研究費の出資者であり、内部の研究者とも顔馴染みだっただろう(高橋氏の追悼記事は、「黒猫の旅」という若手研究者のブログで訳文が読める)。

 モービルと合併して石油最大手となったエクソンモービルは、『気候変動と環境危機』ではかなり槍玉に挙げられている。誰よりも先に温暖化の実態を把握していながら、自社の利益のためにそれを伏せ、温暖化否定論を唱える研究者に肩入れをしてきたのだと。コロナ禍の各国による前代未聞の財政支援で化石燃料産業が大いに潤ったことも指摘されていた。先日の新聞記事によれば、ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、「米欧石油ガス企業28兆円〈棚ぼた〉」なのだそうだ。エクソンモービルは4〜6月期の最終利益が178億ドル、7〜9月期は196億ドルと、四半期として過去最高を更新していた。  

 エネルギー産業にとどまらず、本書では温室効果ガスの排出量の多い部門を一つひとつ検討していく。私が10年ほど身を置いた旅行産業も航空産業とともに厳しく追及されているが、日本人の感覚からすると意外かもしれないが、農業と林業も例外ではない。その多くは、地平線いっぱいに広がる広大な農地に、帯水層から汲みあげた水をセンターピボットで給水するため、空から見ると異様な円が並ぶ光景がつづくグレートプレーンズの穀倉地帯や、熱帯雨林の大規模な伐採が進むブラジルやインドネシアなどが非難の対象だが、そこからの産物に世界中が依存している現状を忘れてはならない。日本の農林業の事情はだいぶ異なると思いたいが、農薬や肥料、水資源の使用という観点からも、本当に持続可能かどうかよく検討する必要があるだろう。日本からの、それどころか東アジアからの唯一の寄稿者が水文学者であり、水不足に関する重要な章を執筆した沖大幹で、沖氏には翻訳中にその他の章の多くの疑問点にも答えていただき、たいへんお世話になった。

 エネルギー産業は比較的新しいものだが、農耕と畜産は文明の歴史と切り離せない。だが、地球の生態環境のなかで、自分たちもその一部でしかないという意識が欠如したまま、武力や財力や技術力にものを言わせて、限りある資源を独占してきた人類の文明そのものが、いま方向転換を迫られているのだ。気候問題とは、要するにエネルギー問題であり、食料問題なのだというのが、翻訳を通じて長年この問題とかかわってきた私が理解したことだ。  

 では、どうするのか。それを考える多くの材料を本書は与えてくれる。再生可能エネルギーに切り替えることは当然ながら重要視されているが、肝心なことは、化石燃料とは異なり、太陽光と風力による発電では、富と権力も分散しなければならないという点だ。それが石油や天然ガスのように万能ではない点も、受け入れなければならない。大気中の温室効果ガスを人為的に除去する回収と貯留の技術についても、本書は多くのページを割いているが、その多くが眉唾物であることも明らかになる。 

 前述のブロッカーの書の最後には、晩年に彼が唯一望みを託していることとして、こうしたCO2回収装置や処分場のことが言及されていた。原書(Fixing Climate)は2008年、訳書は2009年に刊行された。それから十数年を経た現在、こうした技術的な試みがどれだけ実を結んだ、いや、結ばなかったのかが、『気候変動と環境危機』では明らかになる。エネルギー問題全般に言えることだが、たとえ理論的・技術的に可能でも、資源として意味があるのは、それを得るために投入する以上のものが生産される場合に限られる。つまり、すでに大気中に蓄積している温室効果ガスの濃度を少しでも下げるためには、回収と貯留技術は役立ったとしても、莫大な費用がかかるこの技術と化石燃料の使用の継続を組み合わせることには意味がないのである。  

 現状がよく見えてくると、八方塞がりのような暗い気持ちにならざるをえない。しかし、ほんの150年前までほぼ人力一筋の循環型経済のなかで暮らしてきた日本人なら、新たな活路を見いだせるだろうと私は信じたい。

追記:この本の参考文献はこちらのサイトで見ることができます。
 

『気候変動と環境危機:いま私たちにできること』
 原題:The Climate Book
 グレタ・トゥーンベリ編著、河出書房新社 
 12月2日刊予定

The Climate Book
原書 
翻訳作業はPDFとプリントアウトで終わっているが、やはり原書が欲しいと思い、取り寄せてしまったもの。
極小のダーラナホースは耳までの高さが5.5cm。
ずっしりと重い巨大な本だ。

これまで気候・環境関連で私が訳した本。ジャンルを問わず訳してきたつもりだが、この分野のものはやはり多かった。

気候関連のニュースが新聞の一面トップを飾ることはないというグレタの嘆きを訳したあと、10月9日の毎日新聞のトップと3面に、長年にわたって懐疑派と論争を繰り広げ、果敢に闘ってこられた江守正多さんの特集記事が掲載され、嬉しかったので保存版にすることにした。

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