2022年11月28日月曜日

『気候変動と環境危機』その2

 先ほど、ついに見本が届いた。最後の2カ月間は、プレッシャーから胃が痛くなるほどの仕事だったが、ヨーロッパ各国に遅れること1カ月余りで、何とかこれを日本の読者にお届けできるようになって、肩の荷が下りた気がする。

 時間との闘いだったので、細かい点では見落としがいくらでもあるだろうし、疑問にたいする回答が得られず、やむを得ず判断して訳した箇所もある。実際、グレタが11歳のときに診断されたという場面緘黙症は、ルビの振り間違いに気づいたのが遅過ぎて訂正が間に合わなかったし、彼女の姓も、植物学者ツンベリーと同じ綴りなのに、なぜトゥーンベリなのかと思いつつも、慣例に従ったところ、現在は実際の発音に近いトゥンベリ表記が増えていることに、あとから気づくはめになった。多くの方が初版を読み、ご指摘いただければ、ぜひ版を重ねて改善し、気候運動のための行動指針として末長く活用できるものにしたい。

 さて、前回の記事に書いたように、その2は私にとっては不得意な倫理面からこの驚異的な本について触れておきたい。下訳時代に、否応なしに移民問題やアメリカの政治問題について訳したおかげで、アマルティア・センの著作とかかわったことが、今回少しは役立ったかと思う。

 訳し始めてすぐにぶつかった言葉が、グローバルノースとグローバルサウスという用語だった。要は、南北問題だ。この本を最初から最後まで一気に通して読む人は少ないだろうとの編集側の判断で、こうしたカタカナ語に各章ごとに訳語を入れたので、目障りでないことを優先して「北の先進国」と「南の発展途上国」と短い言葉を入れることにした。厳密には、南にもオーストラリアやニュージーランドがあるし、「南」は南半球ではなく、むしろ赤道を中心におおむね亜熱帯までに含まれる暑い地域にある、メキシコ、アフリカ、インド、中国以南の発展途上国を指し、かつ基本的に西洋人を中心としない国々を意味する。ここには人種問題もかかわってくるのだ。

 気候問題になぜ南北問題や人種問題が重要な意味をもつのだろうか。それは、人為的な温暖化の発端となった化石燃料の大量使用が、いち早く産業革命を遂げた欧米諸国から始まったからであり、温室効果ガスのなかでもCO2はとくに頭上の大気のなかに何百年もととどまりつづけるからだ。いま問題になっているCO2の大部分は、過去150年ほどのあいだに先進国が排出したものなのだ。これは累積的な危機だと、グレタは繰り返し述べていた。 

 欧米諸国には、大航海時代に始まり、各地に植民地を築いた過去もある。たとえ大半の地域が政治的な独立を勝ち取っていても、その多くは経済的にはいまだに旧宗主国や多国籍企業の支配下にある。数世紀にわたって植民地となってきた地域は、大半が農産物や木材、鉱物など一次産品の産地だ。独立後も、たいがいは環境破壊につながる単一栽培や採掘をつづけるしかない状況に追い込まれている。同様のことは先進国の内部でも言える。「犠牲区域」と呼ばれる環境からの脅威や汚染にさらされる低所得世帯や有色人(非白人)に関するジャクリーン・パターソンの報告には、非常に考えさせられるものがあった。 

 地球温暖化の影響を真っ先に受けるのが、人間には住みにくい気候の地域だという事実も忘れてはならない。あまりにも暑過ぎたり、寒過ぎたり、乾燥し過ぎたりする地域は、過去のさまざまな状況下でその僻地に追いやられた人びとが、工夫を凝らしてどうにか生き延びてきた場所なのだ。『気候変動と環境危機』には、グレタとお父さんがアメリカへの旅のなかでサウスダコタ州パインリッジ居留地の友人を訪ねる印象的なエピソードがある。友人は1890年にアメリカ第7騎兵連隊に虐殺された先住のラコタ人の生き残りの子孫だ。そこを訪れる前に立ち寄ったリンドストロームは、同時代にスウェーデンからの移民が築いた町だった。両者の格差にグレタが何を思ったかを、ぜひお読みいただきたい。 

 スウェーデンは植民地主義とは無縁のように思いがちの国だが、実際にはアメリカに大量の移民を送り、その国内でも先住のサーミ人を最北の地に追いやってきた。自然とともに暮らす人びとは、温室効果ガスをわずかにしか排出しないにもかかわらず、いまでは気候変動によって残された最後の砦すら奪われつつある。温暖化によって環境が激変した最北の地の悲劇を書いたサーミ人ジャーナリストのエリン・アンナ・ラッバの章はじつに印象的だ。 

 ひるがえって日本はどうか。1853年にペリー艦隊がやってきて、そのわずか数十年前に実用化された蒸気船で使う石炭の供給地になることを要求されると、石炭など使い道がないと思った江戸幕府は、これを素直に受け入れた。だが、西洋の技術を即席で学んだ日本人は、ついでに植民地主義も学んで、明治になると北方の地に屯田兵を送り、アイヌ人を追いやって森林を伐採して「開拓」、つまり植民地化し、炭鉱を掘り、近海のラッコを絶滅させた。その後は朝鮮半島や中国大陸、東南アジアやインドの奥地、太平洋の南北広範囲にわたる島々にまで進出したことは言うまでもない。 

 敗戦によってそのすべてを失ったのもつかの間、日本は戦後の高度成長期に一大工業国に変貌を遂げ、猛烈な環境汚染を引き起こし、やがて経済力で他国を支配するようになった。その過程で、先進国に倣って労働力が安く、環境基準の甘い他国に、製造部門を環境汚染とともに送りだし、自分たちは公害の減った環境で利潤と恩恵だけを享受してきたのだ。私の子どものころはまだ、隅田川を渡るたびに車の窓を閉めなければならないほどの悪臭が漂っていた。一時よりはだいぶ落ちぶれたとはいえ、私たちがまだそれなりに健全な暮らしを営めるのは、日本人ががむしゃらに働いたからだけではない。その陰に名前も存在も知らないような異国の地で資源や安い労働力を搾取されている膨大な数の人びとがいて、国の融資や補助金を受けた化石燃料を使って、大量の温室効果ガスを排出しながら、世界各地に産物を輸送できるからなのだ(ついでながら、以前にも触れたwell-beingの訳語は「健全な暮らし」としてみた)。 

 世界の平均気温が産業革命前からわずか1.1℃ほど上昇した現在でも、極地や熱帯域の上昇幅はとくにいちじるしい。それによって雪や氷が解けるかどうか、雨が降るかどうかだけなく、海面の上昇幅も変わり、結果的にもはや人が住めない環境に変わり始めている。こうした地域で気候変動の犠牲になっている人びとの声は通常は聞こえてこない。自分には無関係なこととして、私たちは敢えて耳を塞いできたのかもしれない。『気候変動と環境危機』を私が高く評価することの大きな理由は、寄稿者のなかに気候変動に翻弄されている当事者、もしくはその立場を代弁する人びとが多数いる点だ。 

「気候正義」という、耳慣れない言葉が強烈な意味をもって迫ってくるのは、こうした背景を考えればこそだ。正義という言葉は、本来、虐げられた弱者に発する権利のある言葉だろうと思う。少々温暖化すれば、むしろ住みやすくなるようなスウェーデンの都心部で生まれ育ったグレタは、自分が加害者の立場にいることをよく自覚している。その彼女が、グローバルサウスで気候変動の最前線に立たされている人びとに深く共感するのは、先進国に住む若者世代の未来も、過去1世紀半にわたって化石燃料を消費し、開発の限りを尽くしてきた私たちやその親・祖父母の世代のせいで、もはや保証されなくなったからだ。しかも、科学者が地球温暖化の事実に確信をもって世に訴え始めてからの30年間に、事態は悪化の一途をたどってきたのだ。

 この問題に関して、現在、温室効果ガスの最大の排出国となっている中国や、急速にそのあとを追うインドなどをただ非難することがいかに間違っているかという点も、本書は過去の排出量という観点と、格差に配慮したうえでの平等である衡平さ(equity)という点から、力強く訴える。誰しも自分がどの国に生まれるかは選べない。先進国に生まれただけで、どれだけの下駄を履いてきたかを、よく自覚しなくてはいけない。新興国を責めることはできないという主張は、先進国に追いつけ追い越せとばかりに急成長を遂げるこれらの国々の人口の多さや、世界の製造業を一手に引き受けているような現状を考えても、妥当と思う。 

 だがその分を補うために、多年にわたって豊かな暮らしを送ってきた先進国が、率先して温室効果ガスの排出を一気にやめることで、気候の緊急事態を食い止めなければならないという主張には、正直驚かされる。ノブレス・オブリージュのような甘いものではない。身を切らんばかりの覚悟だ。当然ながら、本書にはジェイソン・ヒッケルによる脱成長の章もある。最も単純な気候変動対策は、これまでやってきた一部の行為をやめることなのだ。

 グレタ自身は、アクティビストとして飛行機に乗らない決断をし、ヴィーガンになっているし、遠出するときは電気自動車をレンタルしている。だが、ほかの人にそれを強要はしない。それぞれ住む場所によって、手に入る食料は異なるし、飛行機にどうしても乗る必要がある人もいるからだ。こうした細かい対策についてこだわり始めると、それだけで議論に明け暮れ、価値観の違いから「文化戦争」に陥ってしまうからだとも書いている。いま重要なのは、できる限りすみやかに気候運動を全世界に広めて、可能な限り多くの人にこの現状を認識してもらうことであり、本書はそのために彼女が考えついた最善の手段だったのだ。 

 30年ほど前、仕事で出会った若いイギリス人に、なぜベジタリアンになったのか尋ねたことがあった。すると彼が、肉の生産に必要な飼料の代わりに、人間が食べる作物をつくれば、何倍も多くの人が食べられるようになるからだと説明してくれた。私はそれでも肉を断てずに、いまにおよんでいるが、ここ10年ほどは大幅に消費量を減らしている。本書を読んで、牛肉はもうやめようと決心したのだが、そう思った途端、牛タン家で同窓会が開かれたため、食べてしまった。飛行機はもうだいぶ乗っていないが、これもまだ諦めきれない。ただ、近距離の国内線はやめようという本書の提言に従って、今度、九州を旅するときは、横須賀からフェリーに乗るか、新幹線にするか、在来線を乗り継ぐかなどと思案中だ。車は手放して久しく、移動手段はもっぱら徒歩か自転車、孫のお迎え時には娘宅の電動アシスト自転車なので、これに関しては及第点がもらえそうだ。気候と環境問題について、「年がら年中、うるさいほど、邪魔なほど語ろう」という本書の提言も、こうしてブログにしつこく紹介記事を書くことで、多少は実行しているつもりだ。  

 私の生きてきた時代は物質的に豊かになる一方だったので、いったん慣れた便利さを手放せるだろうかという不安はもちろんある。持続可能でないと判断された多くの産業に人生を賭けてきた人にとっては、自分の世界が崩されるような恐怖感があり、死活問題にもなるだろう。気候変動に対応できる社会への「公正な移行」を提言したナオミ・クラインの章は、とりわけ行政に携わるすべての人にとって必読の章だ。  

 私がこの大著のなかでもとくに秀逸と思った寄稿文は、ベンガルのノンフィクション作家オミタブ・ゴシュの「認識のずれ」と題された論考だった。かつて香料諸島とも呼ばれたインドネシアの群島の一つ、テルナテ島の悲劇について書いたものなのだが、激しい言葉で糾弾する代わりに、抜群のユーモアとともに素晴らしい解決策を示してくれる。ぜひ読んでみてほしい。

 本書の短いプロモーション動画が公開されたので、ぜひご覧ください。
 

『気候変動と環境危機: いま私たちにできること』グレタ・トゥーンベリ編著、河出書房新社(右)。左側が原書。

倫理面にいくらか関連のあるこれまでの訳書。下訳時代のものには、部分訳のものもある。

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