2023年1月29日日曜日

『人新世の「資本論」』を読んで

 何とも遅まきながら、ようやく斎藤幸平の『人新世の「資本論」』(集英社新書)を一通り読んだ。ベストセラーは図書館で借りる主義なので、仕事が一段落した折にリクエストを出そうと思ったら、あまりの待機者の多さに仰天してしまった。2021年新書大賞となり、75万部(2月1日付、毎日によると50万部に届く程度とのこと)を売り上げたらしい。あきらめて年末に古本を購入した。

 私にとっては子世代の若い研究者が、2020年の段階でここまで世界の状況を理解し、自説を掲げるほどまでにいたったことには、とにかく驚きしかない。この本で言及される研究者の多くは、グレタ・トゥーンベリ編著の『気候変動と環境危機』(河出書房新社)の寄稿者たちだ。こと気候問題、環境問題に関する限り、斎藤氏がこの本で書いたことは、彼の妄想でも誤解でもない。本書には科学面では、『地球の限界』の環境学者ヨハン・ロックストロームと、アメリカの環境活動家のビル・マッキベンくらいしか具体的に登場しないが、ここで述べられていることはいずれも最先端の科学者たちが到達した結論であり、気候問題に長らく翻訳を通じて携わってきた者として、何ら違和感なく受け入れられることだった。よって、その点を槍玉に挙げて本書を批判する人は、まず気候問題について勉強し直してほしい。  

 斎藤氏のもともとの専門は経済学のようなので、トマ・ピケティや、ドーナツ経済学のケイト・ラワースも登場するし、ショック・ドクトリン、公正な社会への移行、ケア労働の重要性等への言及などは、ナオミ・クラインなのだろうと思った。「ネガティブ・エミション・テクノロジーは、その副作用が地球を蝕むとしても、資本にとっての商機となる。いわゆる惨事便乗型資本主義だ」とも書いていた。「外部化される環境負荷」、「あらゆるものを海外にアウトソーシングしてきたせい」、「ブランド化と広告が生む相対的希少性」、政治学者のエリカ・チェノウェスの「3.5%の人々が非暴力的な方法で、本気で立ち上がると、社会が大きく変わる」といった問題にも触れているところなど、『気候変動と環境危機』の寄稿文と重なり合う部分がじつに多く、それをまだ30代なかばの日本の一研究者が2020年にはすべて把握していたということに、敬意を表したい。 

 もちろん、「学校ストライキで有名になった当時一五歳の高校生」についても、資本主義という無策の「システムそのものを変えるべきだ」と主張したことや、世界中の若者たちが彼女を熱狂的に支持したことに触れている。年末に斎藤氏が『現代ビジネス』に寄せた『気候変動と環境危機』の書評でも、グレタについて、「大人たちにもガツンと殴られるような衝撃を与えたのだ。何を隠そう私自身もその一人である」と書かれていた。 

 彼の経歴を見ると、東大には3カ月しか在籍せず、もっぱら欧米で勉強し研究してきたようだ。ガラパゴス化している日本社会でおもに書物とニュースでしか世界の情勢を知らず、大学や研究機関とのつながりもない私とでは雲泥の差になるのは当然か。 

 長年、細々と気候科学の行方を追うなかで、私も唯一可能で現実的な解決策は経済成長を遅らせることだとつねづね思っていたので、脱成長を掲げる点でも彼の主張には共感する。「生活の規模を一九七〇年代後半のレベルにまで落とすことである。その場合、日本人は、ニューヨークで三日間過ごすためだけに飛行機に乗ることはできない。解禁の日にボジョレヌーボーを飲むこともできなくなる」というくだりを読みながら、その時代をじかに知る人間の一人として、決して不可能ではないと思った。 

 コモンズに関する見解も、ブライアン・フェイガンがよく言及していたし、日本だって私の子供時代までは裏山の薪炭林などは誰もが入ってタケノコでも山菜でも採れるコモンズだったはずだ。イギリスの都市で実際に牛が草を食むコモンズを見て、私有地を突き抜けるパブリック・フットパスを歩いたことから、どこもかしこも立ち入り禁止の私有地になりはてた日本の現状を憂いてきた一人でもある。鉄道や水道、電気、ガス、電話、郵便などを民営化したのが間違いだったと、いまでも思う。 

 しかし、『人新世の「資本論」』のマルクス主義に関することでは、いくつか重要な疑問がある。マルクス研究者の彼に、マルクス主義なりコミュニズムに関して異を唱えるのは、釈迦に説法もいいところなのだが、私が翻訳で携わったわずかばかりの経験で得た知識との食い違いが気になったのだ。とくにマルクスが1881年に3度書き直したという「ザスーリチ宛の手紙」に関する相違は引っかかる。本書で斉藤氏がこれを何度も取り上げ、「人新世を私たちが生き延びるために欠かせないマルクスの遺言」とするからなおさらだ。ロシアのミールと呼ばれる農村共同体が、資本主義という段階を経ることなしに、ロシアをコミュニズムに移行できるとマルクスが認めたものだ。これは「最晩年のマルクスが、単線的な歴史観とヨーロッパ中心主義から決別していた」ことを明らかに示すものだと、本書は主張するのだが、「生産力至上主義」からの脱却の道筋だと解釈するあまり、晩年のマルクスのこの見解に力点を置きすぎてはいないだろうか。

 『エンゲルス:マルクスに将軍と呼ばれた男』(筑摩書房)を書いたトリストラム・ハントによると、エンゲルスは1875年の小論で同趣旨のことを述べつつ、一つの条件を加えていた。「しかしながら、これが起こりうるのは、共同所有の形態が完全に崩壊する前に、西欧でプロレタリア革命が成功して、ロシアの小作農がそのような移行をするために不可欠な前提条件が生みだされた場合のみである」と。マルクスは晩年に「資本主義による社会経済的進歩の統一過程がすべての民族に当てはまるという論点を、強調しなくなっていたのだ。しかし、エンゲルスはこうした考えを残念に思い、二人のあいだの哲学的相違が明らかになるわずかな例のなかで、当初のマルクス主義の理論的枠組みに立ち戻っている」と、ハントは説明していた。エンゲルスはロシアのプレハーノフにも「資本主義社会の矛盾が共産主義への変貌に必要な前提条件」であることを納得させ、プレハーノフは「レーニンの主張する前衛に立つエリートが引き起こすトップダウン方式の社会主義革命を心底から嫌っていた」ともハントは書く。こうした経緯を翻訳した当時、私なりに理解したのは、ロシア革命によってソ連に誕生した政権や、その後の中国や北朝鮮などに生まれた政権が社会主義や共産主義を名乗ることについて、マルクスはいざ知らず、エンゲルスはもし生きていたら、その行く末を危惧しただろうということだった。そして実際、その結果は恐ろしい社会となった。

  一方、斎藤氏は「『資本論』の第二巻、第三巻は、盟友エンゲルスがマルクスの没後に遺構を編集し、出版したものにすぎない。そのため、マルクスとエンゲルスの見解の相違から、編集過程で、晩年のマルクスの考えていたことが歪められ、見えにくくなっている箇所も少なくない」として、エンゲルスのはたした役割を過小評価、もしくは否定的に捉えているように感じた。近年、MEGAと呼ばれる新しい『マルクス・エンゲルス全集』刊行の国際プロジェクトが進んでおり、彼もその一員だそうだが、「E」はエンゲルスなのだ。マルクスが大英博物館にこもって研究に耽っているあいだ、資本主義の現場も労働者の置かれた悲惨な状況も嫌というほど目にしながら、20年近くマルクスに資金援助をつづけ、かつマルクスより長く生きて民主主義とは何かを少しは体験したエンゲルスの思想にこそ、むしろ現代に通ずるものがあるように私は思った。 

「脱成長コミュニズム」の理論的根拠として、斎藤氏は『ゴータ綱領批判』の一説を引用し、将来社会においては「協同的富」を共同で管理する生産に代わるというマルクスの言葉は「コモン」に通ずると述べる。この一説の最後は、「各人はその能力におうじて、各人にはその必要におうじて」である。コミュニズムの定義として有名らしいこの一文のドイツ語の原文(Jeder nach seinen Fähigkeiten, jedem nach seinen Bedürfnissen!)では、同じ表現が繰り返され、目的語に相当する能力とニーズだけが異なる構文のため、何を言わんとしているのか理解しづらい。そのせいか、このフレーズは、「無限の生産力と無限の潤沢さによって、不平等な分配の問題を解決すると」解釈されてきたのだが、実際は真逆なのだという。 

 しかし、この一文の英訳は「From each according to his ability, to each according to his needs!」なのだ。昨年末刊行された『アマルティア・セン回顧録』(勁草書房)には「マルクスをどう考えるのか」という面白い章がある。そのなかで、ゴータの町で開かれた労働党の会議と、それにたいするマルクスの批判の説明を読んだあと、私はこの一文を「各人の能力に応じたものから、各人の必要に応じたものへ」と、fromとtoを補った形で訳した。センの解説によれば、マルクスはこのとき最終的に必要原理を選んだが、「仕事に意欲をもたせるのに充分な制度とこの原理を結びつけるのは、非常に難しいかもしれないとも記した。どれだけ働いても稼ぎに結びつかなければ、勤勉に働く意欲を失うかもしれない。そこで、必要原理を強く支持したあとで、マルクスはそれをただ長期的な目標であるとした」。ドイツ語の原語と英語訳、あるいは日本語訳で、同じ文献の解釈にずれがあるのではないかという疑念は、『エンゲルス』を訳していた期間、私がずっと抱いていたものだった。マルクス主義への回帰を主張するならば、こうした基本的な問題も考慮すべきだ。

 ちなみに、ハントの原書はこの部分を、違う英訳版を使用したのか、何かの誤解だったのか、「From each according to his ability, from each ability according to his work.”としていたため、私もそのとおりに訳していたことにいまさらながら気づいた。  

 斎藤氏の書では労働者が生産自治管理・共同管理することを訴えるピケティの「参加型社会主義」や国境を越えて都市間で協力する自治体主義というミュニシパリズム、選挙ではなくくじ引きでメンバーが選ばれるフランスの「市民議会」、気候非常事態宣言をしたバルセロナ、「ワーカーズ・コープ(労働者協同組合)」といった実践例があれこれ挙げられている。これらの新しい概念や試みは魅力的だが、資本家を排除しても、それらの組織が民主的になり、環境に配慮した賢明なものになる保証はかならずしもない。センは回顧録のなかで、「政治組織にたいするマルクスの精査は奇妙なほど初歩的に思われた」とし、「プロレタリアートの独裁」において、「実際の政治的取り決めがどう機能するのかもほとんど説明されていない」と指摘していた。「マルクスによる民主主義の扱いにも重要な欠落がある」とも。共産主義と聞けば旧ソ連や中国を連想する多くの人にしてみれば、これらの左派的な新しい動きから、権威主義的な独裁政権が誕生して、自由など何一つなくなるのでは、という恐怖心も拭えないだろう。 

 女性参政権が認められ、普通選挙が行なわれるようになったのはおおむね20世紀以降なので、マルクスもエンゲルスも民主主義を実体験していない。マルクスの時代はまだ憲法でどうすれば王権を制限できるかという時代だ。実態すら不明な下々の民の意見をどう汲み上げ、誰がどう意思決定するのかまで、彼らも頭が回らなかったに違いない。民主主義国家を称する現代の国々でも、民主主義が機能しているとは言えない国が大半だ。戦後の束の間の平和な時代にやたら贅沢な暮らしに慣れてしまい、それが自分たちの権利であり日常だと信じ込んでいる大多数の人びとが、気候変動とともに環境が様変わりして右往左往するなかで、意思決定に時間のかかる民主主義をどうすれば貫けるのか。その難題にたいする答えを、19世紀の人間であるマルクスに過度に求めるのは、いささか無理があるのではないだろうか。  

 長々と書いてしまったが、政治家も経済人もまさしく「大洪水よ、我が亡き後に来たれ!」と言わんばかりの日本で、大半の人は目先の娯楽や用事にしか関心がない現状において、人類に迫る大問題を真剣に考えてくれる若い世代がいるというだけで頼もしく思う。斎藤幸平に建設的な論争を挑む若い人がどんどん出てきて、困難な時代にも耐えうる政治・経済システムを考えてくれることを切に願っている。

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