2023年3月3日金曜日

「未開人を待ちながら」

 ギリシャの詩人コンスタンディノス・カヴァフィスの詩の一部が翻訳中の本に引用されており、その意味深な言葉に惹かれて、前段の部分を少しばかり訳してみた。英訳は何通りかあるようで、そこからの重訳となってしまうが、なるべく忠実な訳を心がけてみた。 

 この作品の英語タイトルWaiting for the Barbarians(1904年)からして、野蛮人、夷狄、蛮族などと、訳者によってさまざまに和訳されてきた。ルイス・モーガンが人類の進歩をsavagery(野蛮)、barbarism(未開)、civilization (文明)の三段階に分け、それをエンゲルスが採用したことを知って以来、私はbarbarianを未開人と訳してきたので、今回もそれを踏襲したい。文明が恐れる敵としての他者は、石斧や吹き矢で戦うしかない野蛮人ではありえず、慣習や考え方、言語が異なるものの、武力面では侮れない「非文明的な未開人」に違いないと思うからだ。こうした言葉が日本に入ってきた当時、福沢諭吉が卑下したように日本を「半開」と呼んだことも忘れられない。題名は、この詩をもとに書かれたと言われるサミュエル・ベケットの戯曲の邦題『ゴドーを待ちながら』(1954年)がよく知られているので、それに合わせてみた。 

「未開人を待ちながら」

みな何を待っているのか、広場に集まって?   

    今日ここに未開人がやってくるはずなのだ。 

なぜ元老院ではこれほど無駄な時間が過ぎているのか? 
なぜ議員たちは法案を可決もせず座っているのか?   

    今日、未開人がやってくるからだ。   
    議員たちがまだ法律をつくる必要がどこにあるのか?   
    未開人たちが、ここへきたら、法を制定するだろう。 

なぜ皇帝はこれほど早起きしているのか? 
なぜ市の正門の前にいるのか?  
玉座に腰掛け、厳しく、冠をかぶって?   

    今日、未開人がやってくるからだ。   
    その指導者を迎えるために皇帝は待っているのだ。   
    彼に与える巻物すら用意している。   
    称号や立派な名前をいくつも書き連ねて。  
 
 [中略] 

この突然の落ち着きのなさは、この混乱はどうしたのか? 
(人びとの顔がいかに深刻になったことか。)
 通りも広場もこれほど急に人けがなくなったのはどうしたことか? 
誰もが思いに沈み家に戻っている。   

    夜になったのに未開人がやってこなかったからだ。   
    そして国境地帯から何人かがやってきて、   
    未開人はもうどこにもいないと言った。 

 いまや未開人もいなくなってわれわれはどうなるのか。
 あの連中が解決策みたいなものだったのに。  

 引用されていたのは、最後の四行で、ここがこの詩の要だ。この最初の行は、国境地帯から何人かがreturnedとなっている英訳もあるが、ギリシャ語の原詩をグーグル翻訳した限りでは、私が翻訳中の仕事で引用されていたように、arrivedが近そうだ。そうなると、これを「兵士が何人か前線から戻った」(中井久夫訳)とするのはおかしい。国境地帯からやってきたのは文明の慣習と言葉を身につけた「未開人」だと解釈することも可能だからだ。未開人は死に絶えたのではなく、文明化されたのだと考えたほうが、この詩のもつ意味がより鮮明になるのではないか。つまり、対峙すべき敵が、他者がいなくなったとき、解決策がなくなって、国としてのアイデンティティが崩壊するのだと。  

 以前にも書いたことがあるが、アメリカのナショナル・アイデンティティの崩壊を憂いたサミュエル・ハンチントンの『分断されるアメリカ』(集英社、2004年)に「他者と敵」という忘れ難いセクションがあった。「自らを定義するために、人は他者を必要とする。では、敵もやはり必要なのか? 一部の人は明らかにそうだ。『ああ、憎むというのは何とすばらしいことか』とヨーゼフ・ゲッベルスは言った。『おお、戦えるのは有難い。護りをかため身構えている敵と戦えるのは』と、アンドレ・マルローは言った」と始まる。  

 今回、カヴァフィスの詩で他者とは何かを改めて考えさせられたあと、世界の終わりに北方の地に封じ込められていたゴグとマゴグが解き放たれると信じられていたことを知った。ゴグとマゴグはイギリスではどういうわけかロンドンの2人の巨人の守護者となり、19世紀にジョン・ベネットが時計仕掛けの見せ物としてその人形を登場させていたことを、少し前に『世界を変えた12の時計』(デイヴィッド・ルーニー著、河出書房新社)で訳していた。最初に登場するのは旧約聖書のエゼキエル書だが、そこでは「マゴグの地のゴグ」であり、イスラエルの地を襲う「メシェクとトバルの総首長ゴグ」だった。ところが、新訳聖書が書かれた時代には、ゴグとマゴグはいつの間にか2人の巨人になり、アレクサンドロス大王の門によってローマの最果ての地の向こうに封じ込められているのだと考えられるようになった。のちにアレクサンドロスの門の話はクルアーンにも盛り込まれた。やがて既知の世界の範囲が広がるにつれて、この門の場所は遠方へと移動しつづけた。シルクロード西端の玉門関がその砦だという説も有力で、18世紀にいたるまでヨーロッパの地図の北東の隅にその領土が描かれていたことなども、今回初めて知った。  

 日本にも蝦夷は存在したが、坂上田村麻呂が討伐して久しく、北方からの脅威という感覚は根づかなかったようだ。他者も敵もとくに必要とせず、他国との接触は最小限にとどめても、さほど大きな内乱もなくやり過ごすことのできた江戸時代は、ひとえに蒸気船も飛行機もインターネットもなかった時代に、世界の果てを取り巻く大洋オーケアノスの、そのまた先に浮かぶ島国だから可能だったのか。「普通の国」では、他者や敵がいないと、自分たちをまとめる解決策がなくなるのか。 

 そんなことを考えながら、ゴグとマゴグ、プーチンと検索してみたら、案の定、昨年の春を中心に次々にそんな記述が次々に出てきた。ゴグがプーチンならマゴグは誰か、という滑稽な議論も盛んになされていた。聖典を通じて頭に叩き込まれたこうした考えは、身に染み付いてしまい、気候変動の脅威が迫り、終末がちらついてくるなかで、甦ってくるに違いない。

 厄介なのは、ゴグ扱いされているプーチンや、マゴグ候補の諸々の国の指導者たちもまた、終末は近づいていて、アメリカを筆頭とするサタンが解き放たれたと思っていることだ。彼らにとっては、欧米諸国が他者であり、敵なのだから。 

 マゴグと名指しされがちな中国では、さすがに「アブラハムの宗教」の影響は少ないかもしれないが、長年、万里の長城や玉門関を築いて、西からの夷狄に備えてきた民族だ。城壁の内と外の陣容が入れ替わっただけで、思考回路はよく似ている。  

 欧米諸国の目論見どおりにプーチン一派が一掃された暁には、どうなるのだろうか。かりにロシア人が一夜にして欧米と価値観を共有する民主主義者になったとしたら、それで世界は平和になるのか? それとも、未開人がもういなくなったら、各国をまとめていたたがが外れてしまうのか? 

イドリーシーの『ルッジェーロの書』(1154年)をもとに1929年にKonrad Millerが作成した写しの部分。画像はウィキメディア・コモンズより。
この地図は上が南で、この部分は北東端。「アレクサンドロスの門」らしきものが描かれている。

「蛮族を待ちながら」と訳した池澤夏樹訳も参考に読んでみた。最後の四行は、「何人かの者が国境から戻ってきて、/蛮族など一人もいないと伝えたから。/さて、蛮族が来ないとなると我々はどうすればいいのか。/彼らとて一種の解決には違いなかったのに」となっていた。
解説から察するに、池澤氏はこの詩を「覇気の徹底的欠除」を表わすものと解釈したようだが、それでは肝心の最後の文の意味が通じないのではないだろうか?

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