このストレスフルな数か月間を何とか乗り切れたのは、隙間時間につくりつづけた紙工作の極小サザエさんの家のおかげかもしれない。逃避行動でしかなく、ただの遊びで始めたのだが、気づけば子ども部屋やサザエさん夫婦の部屋、玄関まで出来上がり、こうなったら最後まで頑張ろうと風呂、トイレも仕上げた。自分でもよくやるよと、呆れている。
家だけではサイズ感もわからないし、臨場感が出ないと思い、サザエさん一家の人形をあれこれ探してみた。ネットオークションにはまだ古い人形が売られていたが、どれもピンとこなかった。考えた末に、私のミニチュア家屋にぴったりサイズの紙の人形を、レターパックの封筒の白い部分を張り合わせてつくることにした。足元のスタンドを畳と同色にしたので、さほど目立たずに部屋のなかに立つことができる。うちにあるセタカラーを適当に塗ったため、マスオさんの顔の半面はやたら赤ら顔になってしまった。もう一方の面はまずまずだったので、よしとしたところ、孫はすぐさま裏面に気づいて、「あっ、こっちはお酒飲んでる!」と嬉しそうだった。人形をつくったあとで、「推し活」の新聞記事を読み、アクスタなるものの存在を知り、私の人形はまさにそれだとおかしくなった。アクスタは、推しの対象の二次元画像を使ったアクリルスタンドのことで、それを持参して推し仲間とともに集まって飲んだりするのだとか。
家をつくる過程で参考にさせてもらったネット上の平面図や俯瞰図、イラスト、模型などは、いずれも原作の漫画ではなく、テレビのアニメを根拠としているようだった。ドラマにするに当たって、辻褄が合うように制作側が新たに引いた図面だろうか。原作は1951年から断続的に1974年までに書かれており、少なくともその後半は私の子ども時代の記憶と重なる。正面に高い棚がある勉強机は、子どものころにはまず見たことがなかったし、台所も昭和末期以降のシステム・キッチンに近い。うちにあった原作漫画では、子どもたちは寺子屋机のようなものに座っていることも多く、台所には湯沸かし器もなかった。
ネット情報では、お風呂はタイル張りの長方形の大きな湯船に見えたので、壁と床をトルコ石色の包装紙の残りで「タイル張り」にしたあと、同じ包装紙のラピスラズリ色の部分を使って大きな浴槽をつくった。何やらトプカプ宮殿のようになった風呂場を見せたら、漫画を熟読している孫に「木のお風呂は?」と聞かれてしまった。ワカメちゃんが風呂掃除をしている場面に描かれていた「風呂桶」は、私が生まれ育った高根台団地にあったものとそっくりで、そのことを得意になって説明してやっていたのだった。
正確な名称はわからなかったが、江戸時代の鉄砲風呂を薪からガスに換えた風呂だったと思われ、少なくとも昭和30、40年代には間違いなく使われていた。風呂桶の端が仕切られていて、そのなかに火を焚いて加熱させる鉄製の筒があって湯を沸かす仕組みだった。鉄の筒の周囲にも当然ながらお湯があった。画像を見ているうちに、その上部の小さな蓋を取ってなかのお湯を最後に掛け湯として使っていたことや、私たち幼児が風呂椅子に乗って出入りしたため、風呂桶の前面が一部ひどく腐食していたことや、風呂桶全体用の大きな蓋をガラス戸の前に立てて隙間風を防いでいたこと、夏はまだ明るいうちに窓を開けっぱなしのまま入っていたことなどが、懐かしく思いだされた。ステンレス製の風呂に替わったときは、鍋に入っているようで落ち着かなかった。そんなわけで、ラピスラズリの石棺のような湯船の代わりに、昭和の鉄砲風呂をつくり、ついでにスノコもこしらえた。
トイレはよい画像が見つからなかったが、どうやら和式らしく、しかも部屋の中央に何やら不思議な線が描かれているものがあった。これは一段高くなった和式トイレではないかと思い当たり、ひょっとして汲み取り式で、下に便槽があるために高くなっていたのか!と、遅まきながら気づいた。私が住んでいた団地のトイレは水洗だったが、祖父母の長野の家は確かこんな汲み取り式で、黒ちりと呼ばれたちり紙を使っていた。私のミニチュアでは、悩んだ末に結局ロール式のトイレットペーパーを採用した。このポットントイレは、どういうわけか床の間のすぐ隣に位置しており、他人事ながら気になった。
サザエさんの家の玄関はガラス格子戸だ。「格子戸をくぐり抜け、見上げる夕焼けの空に〜」と歌われたころも、すでに少数派だったように思うが、最近では絶滅危惧種になっている。気になって近所を歩くたびに、つい人の家の玄関を見てしまうのだが、確認できた限りではいわゆる昔ながらの格子戸は5、6軒にしかなく、そのうちの2軒は廃屋で、うち1軒は翌日には解体されてドアが外されていた。格子戸は防犯上も断熱効果からも、好ましくないのだろう。
もっとも、玄関は表の顔なので、アイデンティティの問題とも多少かかわるのかもしれない。新しくできた家は錬鉄製の金具などがついた洒落た洋風のドアの家が多い。スペイン風、北欧風、イギリス風、コロニアル風など、さまざまな洋風家屋を眺めていると、横浜にはいまだに幕末の居留地の影響があるのかと複雑な思いがする。子どものころに和風の人形の家で遊ぶ経験がないから、洋風を刷り込まれてしまうのか。そう考えて検索してみたら、チビまる子ちゃんの家という玩具は何種類かあったようだが、どれも色遣いが日本家屋とは言い難いものだった。トトロの映画に出てくるような家はないのかと思ったら、なんと、「みんなの草壁家」という精巧なセットが昨年夏に売りだされていた! が、その値段が……。
サザエさん宅は開口部の多さでも際立っている。中央部分にガラスが入った額入り障子は、明治期に徳川家勝が上田藩瓦町藩邸の跡地に建てた屋敷にも使われていたし、昨年、見学させていただいた別所温泉の産業遺構でも使われていた。通常は、寒い日や雨天の場合は雨戸を閉め切って、暗いなかで照明を使って過ごしたのだと思われる。サザエさん宅では障子の向こうに縁側があり、そこにガラス戸があってさらに雨戸がある。
明治になってガラスが普及し始めたことで、障子はどんどん窓ガラスに替わっていったのだろうが、透明なガラスだと、隣家や通りが目の前にある日本の都市部では家のなかが丸見えになる。昭和の型ガラスの流行は、明かり取りや換気のために開口部はできる限り設けたい、ただし目隠しは必要という需要に見合ったものだったに違いない。私のミニチュアでは、カーテンのない小窓から覗けないように、湿布についていた凹凸のあるフィルムやトレーシングペーパーをガラス代わりに使ってみた。レースのカーテン、遮光カーテン、ブラインドなどが普及し、そのうち開口部そのものが減ったことで、凝った型ガラスも風前の灯火となっているようだ。
逃避行動とはいえ、サザエさんの家のミニチュアをつくることで、懐かしい思い出に浸るとともに、私の生きてきた時代の変遷を改めて感じることができた。「またそんな物つくって。暇だねえ」と、いまでも言われてしまうが、非実用的で、経済活動とは無縁の工作物にも、お金には換算できない価値がある。少し前に、あり合わせのもので創意工夫を凝らすブリコラージュ(bricolage)の大切さを語る本もリーディングしたところだ。制作費は180円ほどのコニシボンドを追加で購入した以外は、ゼロ円で済んだ。組み立て式にしたので、まだA4サイズのダンボールに全体が収まる。
左側にあるのが額入り障子。通常の障子をつくったあとで、わざわざつくり直した。われながら傑作だと思っているお風呂。脱衣場にある洗濯機は二槽式にしたが、絞り機がついたものや、脱水機が別の時代なのかもしれない。
トイレは小さすぎてうまく撮影できないので、制作途中のもの。
小窓には湿布のフィルムが貼ってある。
居間
本棚がなぜか子ども部屋にしかなさそうだ。
台所。三種の神器は揃えたが、冷蔵庫が大きすぎた気がする。
サザエさん夫婦の部屋。箪笥二棹はまだつくっていない。三面鏡は子どものころよく座って遊んでいたので、思い出深い。
こたつは欲しいと思い、仏間とされる部屋に入れてみた。
やたら立派になってしまった玄関。少しでも屋根をつけたかったので、昨日付け足してみた(3月18日差し替え)。アニメの指定は青い瓦だが。鬼瓦は多少意識してサザエさん風。
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