2001年9月29日土曜日

ウイルス感染

 バンコクに来て半年にして、とうとう罹ってしまった。肝炎、いや、マラリア、いや、デング熱、いや、狂犬病でもなく、なんとNimdaウイルスに!  

 さんざん東京に電話をかけ、読み慣れないマニュアルを必死で読み、なんとか抗生物質だか虫下しだかを飲んで、かなりの感染ファイルは除去したものの、結局いくつかは処理できずじまい。最後はあっさりと、リカバリCD-ROMを使うしかありませんね、と言われ、それならそうと最初から言ってよという気になってしまった。ところが、私ときたらアプリケーションのCD-ROM等を日本に置いてきてしまったらしく、復旧にはまだしばらく時間がかかりそうだ。  

 というわけで、いまはパソコンは使えず、この原稿も手書き+ファックスで送るつもりだ。それにしても、これからウイルス対策に日々、頭を悩まし、時間をとられるのかと思うとぞっとする。願わくば、薬やワクチンのお世話にはならずに、健康で明るい生活を送りたい。  

 これが本当に例のテロの一環だとしたら、犯人たちは現代社会の盲点を熟知していると妙に感心してしまった。

2001年8月30日木曜日

ミイラの本とハリー・ポッター

 夏休みのあいだ3週間ほど一時帰国した。日本にいていいことは、友達と会えること、空気がきれいで夜が涼しいこと、梨や漬物が食べられること、それに言葉に不自由しないこと。気軽に図書館に行かれるのもいい。  

 今度、ミイラの本をやることになったので、さっそくミイラに関連した本を何冊か近所の図書館で借りた。私は何を隠そう、極度の死体恐怖症なので、ラムセス2世のお顔などとても正視できないが、ミイラの話でも読んでみると結構おもしろいことがある。どんなジャンルの本でも、頭から毛嫌いせず、とにかく読んで見ることが大切だと改めて思った。  

 参考文献を読んでいたら、ロンドン医師会の重鎮、トマス・ペティグルーなる人が出てきた。ペティグルーって、そう言えばハリー・ポッターにもそんな人物が出てきたな……と思いながら読んでいると、彼の著書『エジプトのミイラの歴史』の挿絵を描いたのは、ジョージ・クルクシャンクだという。えっ、ハーマイオニーの猫はたしかクルックシャンクスだよね。もしかして作者のローリングはこういう本も読んでいるのかなあ。  

 ハリー・ポッターについては、先月、塩原通緒さんが書いていらしたので、読んでいない方もだいたいおわかりだと思う。私はと言えば、結構はまっていて、時間がないと言いつつ、ずっしりとした4巻目もしっかり読んでしまった。4巻はすっごくおもしろい。できるだけ多くの子供たちがこの分厚さにめげずに、読みとおしてくれるといいなあと思う。  

 このシリーズのいいところは、いまふうの軽い語り口でありながら、社会のなかで日々遭遇するいろいろな問題が、さりげなくとりあげられていることだ。たとえばこんなシーンがある。森番役の大男ハグリットが、フランスの魔法学校ボーバトンの校長である大女マダム・マクシムに惚れ、これまであなたのような仲間に会ったことがない、と身の上話を始める。マダム・マクシムはなんの仲間かときき返す。すると、ハグリットが、もちろん半巨人ですよ、と答える。マダム・マクシムはこんな侮辱を受けたことはないと憤慨し、「'Alf-giant? Moi? I 'ave - I 'ave big bones!」とフランス語訛りでやり返す。  

 現実の世界でも、マイノリティはこういう場面によく遭遇する。うちの娘も、父親がタイ人であることを話してクラス中に衝撃が広がった、という経験をしている。ところが、それが巨人の血となると、ハグリットの悩みもなんだかとってもほのぼのとしている。極めつけは、ハリーがあとから言う言葉だ。「骨太だって……あの人より骨が太いのは、恐竜くらいだよ」 

『日刊予言者新聞』のゴシップ記者が出てきてハリーたちを悩ませるあたりは、いまの有名人とマスコミの確執を思わせるし、クィディッチのワールドカップの熱狂ぶりは、いまのサッカーやバスケットボールと同じだ。私が感心したことのひとつは、吸魂鬼ディメンターをやっつける呪文だ。これは、いちばん幸せだったときを思い出すことで、守護霊パトローナスを出現させるというものだ。人間は恐怖を感じると、ノルアドレナリンなどの神経伝達物質が分泌され、それが大量になるとパニックを引き起こす、と以前読んだ本に書いてあった。それを防ぐには、楽観的な見方を失わず、理性をはたらかせることらしい。パトローナスの呪文はまさにこれにちがいない。そう言えば、これに似たリディクラスの呪文を練習する場面では、ミイラのボガートが出現している。

2001年7月30日月曜日

子供には旅をさせよう

 いま、とてもおもしろい本を読んでいる。世の中で成功した女性たち千名以上を分析したレポート、というものだ。そのなかで子供時代の体験で有意義だったと彼女たちが考えるものが挙げられている。最も多かった回答はコンクールやコンテストでの成功で、二番目は旅行だ。  

 たとえば、最近の教育者は子供たちになるべく競争をさせまいと努力するが、競争で勝てば自信がつくし、負けてもそれも潔く受け入れることで品性を養えるから、競争によって得られるものは実際には大きい、と著者は分析する。二番目の旅行については、家族旅行にキャンプ、親戚 の家への訪問、海外旅行、と形態は人によってさまざまだ。なかには、家族で各地の国立公園を訪ねてまわり、そこでのキャンプやハイキングから自然科学への関心が高まり、大人になって科学者として成功したという例もある。家族での旅行は、親にとってはたいへんな労力と出費になるが、それを通 じて子供たちの世界を広げ、環境から学ばせることができるのだから、苦労するだけのことはあるという。  

 たしかに旅行を通じて子供が得るものは大きい。私自身も子供時代を振り返ると、母の運転する車で旧碓氷峠を登って長野の祖父母の家に行ったことや、毎年正月に行っていた館山の旅館のことや、三家族で行ったヤマハの合歓の郷や、あちこちへのスキー旅行の思い出が鮮明に残っている。極めつけは、中学のときにイギリスにいる友達を訪ねて行った初めての海外旅行だ。横浜から船に乗ってナホトカまで行き、そこからシベリア鉄道と飛行機を乗り継いでモスクワに行き、さらに鉄道で東欧を抜けてオーストリアやスイスに寄り、最後はドーバー海峡を渡ってイギリスに行った。イギリスではレンタカーで憧れの湖水地方に行き、アーサー・ランサムの小説の舞台を訪ねた。  

 これらの旅行が私のその後の人生に及ぼした影響はかぎりない。大学三年のときには、二カ月間ヨーロッパ各地を超貧乏旅行してまわったし、卒業後は旅行会社に勤めるはめにまでなった。私の場合、残念ながら、それが世の中で成功することにはつながらなかったが、いまも旅行好きは変わらず、日常生活にうんざりすると、無性にどこかに行きたくなる。旅行に出ると、ふだんの自分なら絶対にやらないようなことでも平気でできるところが、魅力でもあり危険な点でもある。まさに旅の恥は掻き捨て、である。それによって、旅先の人に迷惑をかけるようなことは慎みたいが、狭い視野を広げるという意味では、思い切って違うことをしてみることが大切だと思う。  

 だから私は、大型バスに乗って観光名所巡りをするような旅行は好きにはなれない。隣のマンションにも薬の免税店のようなものがあり、中国本土や台湾の観光客が、連日バスで大勢乗りつけている。お客は欲しかった薬や化粧品が手に入り、旅行会社は手数料でもうかるのだから、いいじゃないか、と言えばそれまでだが、あれでは羊の群だなと思う。  

 一方、ものすごく勇気のある個人旅行者も見かける。先日も、大きなリュックを背負ったアメリカ人らしき女性が、バイク・タクシーの後ろにまたがっているのを目撃した! 市場でも怪しげな服を買ったり、正体不明の食べ物に挑戦している旅行者がときどきいる。おなかを壊さないかな、とちょっと心配にはなるが……。  

 娘が描いたこのイラストは、チャトゥチャックのウィークエンド・マーケット。ここでは衣類や雑貨から、ニワトリまでなんでも売っているが、アメ横を巨大にしたような感じで、同じ店をもう一度見つけるのはほとんど不可能だ。娘はここで食べたおいしいタイ風餡蜜の味が忘れられないらしい。

 イラスト:東郷なりさ

2001年6月29日金曜日

粉塵と紫外線

 この月末がいまの仕事の締め切りで、もう日がないというのに、まだ先が見えてこない。こんなとき、タイ人なら、「マイペンライ――気にしない、気にしない」とすませてしまうのかもしれないが、私たちの場合はそういうわけにもいかない。となれば、あとできることといえば、コーヒーを飲んで眠気と闘い、できるかぎり家事を手抜きするしかない。  

  というわけで、ここ1、2週間、わが家の床はざらざらだ。歩くと足の裏が真っ黒になる。ふだんは週に2度、家中の床を雑巾がけしているが、それでも足は汚くなる。ちなみに、恵まれた駐在員の家庭と違って、うちにはメイドは「私」しかいない。週に2度、月3000バーツでお掃除をしてくれるという申し出も、苦しい家計と、運動不足への心配から断っている。だが、床だけではない。網戸だってものすごい。うへーっ、となるくらい、雑巾が真っ黒になる。開きっぱなしの辞典や資料のページもざらざら。  

 これは決して砂埃ではない。明らかに排気ガスの粉塵だ。私が住んでいるところは幹線道路から数百メートルの場所で、アパートの前のソーイは、細いわりには交通量が多い、といった程度だ。それでこの汚さだ。ふだんどれだけの粉塵を浴びて過ごしているのだろうか。太郎の屋根にも粉塵ふりつむ、次郎の屋根にも粉塵ふりつむ……。そう、テーブルの上だって、ベッドの上だって、プールにだって、ご飯の上だって、降り積っているのだ。  

 排気ガスを撒き散らすいちばんの犯人はバスだ。バンコクにはまったくひどいオンボロバスがたくさん走っている。公共の乗物なのだから、政府の判断ひとつで、あの真っ黒い煙を吐く物体を、もう少しましなバスに変えられないのだろうか。  

 だが、人間はどんな環境にも慣れてしまうのか、バンコクの人はそれほど気にしてはいないようだ。なにしろ、大きな通りの両側にはびっしり食べ物の屋台が並び、排気ガスをいっぱい浴びた焼き鳥やら焼きバナナを、みんな喜んで食べているからだ。それだけはない。バンコクには歩道というべきようなところに簡易食堂がたくさんあり、多くの人が朝からそういうところで食事をしている。学校に子供を送ったあとのお父さんから、きれいなOLや、デートの最中の若者までが、道端で食事をしているのだ。衛生面は目をつぶるとしても、排気ガスをたくさん浴びながら食事をするのだけは、私には我慢がならない。こういう排気ガスは、人間の身体に直接の悪影響を及ぼすだけでなく、地球の温暖化も加速させている。やっぱりけしからん、といま気象関係の本を訳している私は思う。  

 直射日光を浴びることの多いタイでは、紫外線も心配だ。オゾンホールのせいで、その量 が増加しているとなれば、外出するときはなんと言われようと帽子は欠かせない! 見栄っ張りのタイ人は、戸外で作業をする人を除いて、誰も帽子をかぶろうとはしないが。ふだんはそうやって気を遣っているのに、先日、曇っているから大丈夫だろうと思って、プールが日陰になる2時前に泳いでしまった。ところが、泳いでいるうちに、日がさんさんと照りだした。とにかく早くノルマをこなして(水泳までノルマがあるのは悲しい……?)上がろう、と息継ぎの際もなるべく太陽に顔を見せずに頑張った。それなのに、バスルームの鏡に映ったわが姿を見て唖然。ゴーグルの跡がばっちりついて、ウルトラマンになっているのだ。こうなったら、帽子をやめて目のまわりも焼くべきなのか、はたまた泳ぐときも日焼け止めを塗りたくるべきなのか、いま悩んでいる。  

 こんなことを書いているあいだにも、締め切りはこくこくと近づいている。鈴木先生、マイペンライ・カ! やっぱりだめか……。

2001年5月30日水曜日

雨季真っ只中

 5月に入ってから、ここバンコクでは、午後に突然ものすごい突風が吹いて、どしゃぶりになることが多くなった。これからの雨期に因んで、今回は水に関する話題を。  

 大雨になると、アパートの前の道路は、たちまち川になる。ちょうどいま翻訳している気象関係の本に、洪水の話がたびたび出てくる。小規模とはいえ、実際に目の前で氾濫する様子を眺めると、自然や水の恐ろしさをあらためて感じる。もっとも、タイ人は慣れたもので、そのなかを車や、オートバイや、屋台付き自転車などで、チャプチャプと行ってしまう。  

 バンコクは水の都と言われ、市内のあちこちに運河がある。昔は運河が主要な交通手段だったらしいが、最近ではその大半が埋め立てられて道路に変わってしまっている。残っている運河の多くは、その両岸に貧しそうな家というか小屋がびっしりと建ち並び、水は恐ろしく汚く、東洋のベニスどころではない。  

 それでも、セーンセーブ運河にだけは運河船が走っているのを知り、週に二回、これに乗って夕方、タイ語の学校に通うようになった。水の上は涼しく、それになんといっても交通渋滞にあわないのがいい。10分おきくらいの間隔で走っていて、通勤に使っている人も結構いる。ミニスカートにハイヒールのOLたちが、桟橋から船に乗り込んでくるたびに、ひやりとするのだが、乗るときも降りるときも、かなりの段差をものともせず、みごとな身のこなしだ。  

 ただし、船がスピードを上げると水がバシャッとくるのが玉に瑕。なにしろ、ここの水もお世辞にもきれいとは言えないのだ。あちこちの家からホースが出ていることは、なるべく考えないようにしている。この水がもう少しきれいになれば、もっと運河船の利用客が増えて、市内の渋滞の緩和に役立つのに、とつい考えてしまう。  

 ところが、先日、この路線の終点から、さらに先のマハナコーン運河の路線にも乗ってみると、なんと、その茶色い水のなかに浸かっている人がいるではないか! 水から落ちた人を救助するための訓練かな、と思っていたら、反対岸の階段に、全身ずぶぬれでにこにこ笑っている子供たちがいるのだ! ムッ? もしや水浴び? こちらの運河はもっと幅が狭く、家の軒先を行くような感じなので、暮らしに密着したものになっているのかもしれない。それにしても、セーンセーブとつながっているんだけどな……。  

 あんな味噌汁のような水のなかに落ちたら、目を開けていてもおそらく視界はゼロだろう。万一、ドボンとなった場合に備えて、私は毎日、アパートにあるきれいな水のプールで訓練をしている(?)。バンコクに来て最高の贅沢はこのプール。30分あれば、プールまで下りていって、1キロ泳いで、部屋に戻ってこられる。でも、ここでは日本人みたいにせっせと泳ぐ人はあまりいなくて、お風呂のように浸かったり遊んだりしている人とか、プールサイドで読書しているファラン(白人のこと)とか、プールサイドでジョギングしたり、散歩したりしている人が多い。決して広いプールではないので、なんだか囚人が運動させられているみたいだ。まあ、市内の道路は、中心街を除いて歩道なし、横断歩道なし、歩行者用信号なし、と歩行者を徹底的に無視した造りになっているし、排気ガスもひどいので、仕方ないのかもしれない。それでも、トレッドミルの上で汗を流すより、同じところをぐるぐるまわるより、外を歩いて、牛やヘビやリスや鳥や野良犬を眺めて、ついでにちょっと買物でもしてくれば、そのほうがいいのにな、と私は思う。

「嵐のまえ」

「嵐のあと」

2001年4月29日日曜日

バンコクの暮らし

 バンコクに引越して三週間余りがたった。荷物も、いろいろな問題もまだ片づかないままだが、日常の生活はなんとかこなせるようになった。  

 当分は車なしの生活なので、近くの店や郵便局までは炎天下をてくてくと歩いている。バスは最初のうち何度か失敗したが、いちばん近いショッピング・センター、The Mall(タイ語では、ダ・モウと言うらしい)までは、どうにか行かれるようになった。その路線の料金は冷房車だと10バーツで、暖房車!?だと3.5バーツ。どうしても困ったときはタクシーに乗っている。家からダウンタウンまで5~6キロの距離で80バーツほどなので、日本の感覚からするとすごく安い。それでも、貧乏性の私は、できるかぎり歩きとバスですませようとしている。  

 それにしても、タイ人は歩かない。娘が学校に歩いていかれるようにと、すぐ近くにアパートを借りたのに、アパートの管理人はたかだか150メートルほどの距離を車で送ると言い張る。たしかに車は狭い道路を猛スピードで飛ばしているし、歩道もないし、日差しはきついけれど、こんな距離を移動するのに誰かの手を煩わせ、ガソリンを無駄にするのは、どうも私の性に合わない。  

 もっとも、これだけの距離でも、必ず送り迎えをするようにと学校から厳しく言われたため、幼稚園の子のように、私が徒歩で送り迎えをするはめになっている。交通事情だけでなく、治安も悪いので、日本人学校にかぎらず、インター校やタイの名門校でも同じような事情らしい。いつも大人の監視下に置かれたら、子供たちは本当に窮屈だろう。  

 デパートやスーパーに行くと、ここがタイだということを忘れるくらい、なんでも揃っている。文房具などは、日本の店とそっくりな品物がたくさんあり、キティやポケモンはもちろんのこと、こげパンまで売っている。高級ブティックもたくさんあるし、街にいる若者は、暑いのにご苦労さまと思うほど、ビシッとスーツで決めている。  

 その一方、路上では、うだるような暑さのなかで赤ん坊を抱いた母親や、小さな子供や、身障者が物乞いをしている。運河沿いには、小さな家がひしめき合っている。わずか十数年のあいだに、急成長をとげさせられた国の矛盾が、あちこちに見られるような気がする。  

 タイ人はあまり本を読まないというので、どのくらい本屋があるかが心配だったが、中心街には紀伊国屋書店もあり、洋書も和書もある程度は手に入る。とくにアジア関係の本はかなり揃っていて、以前に私も下訳をやらせてもらった魏京生の本を見つけたときには、なんだかとってもうれしくなった。娘にはタイの鳥の図鑑とともに、近藤紘一の本を何冊か買ってやった。日本食を売っているフジスーパーのそばに、和書の古本屋があり、そこのご主人に聞いてみたら、近藤紘一の本はいまもとても人気があるらしい。  

 この国に滞在しているあいだに、タイならではのよさをたくさん見出して、吸収していきたいと思っている。とは言っても、何から始めたらいいのかわからないので、とりあえず、せっせと珍しい果物を食べている。路上で果物を売っている人の包丁さばきも見事なので、あれもいずれ習得してやろう!

2001年3月30日金曜日

タイへ引っ越し

 ついこのあいだまで、おんぼろアパートの冷蔵庫のような部屋で、『シャイン』のあのピアニストのように指先のない手袋をはめて、寒さに震えながら仕事をしていたのに、いつのまにか世の中は春になっている。どこへ行っても桜やコブシや雪柳や花桃が満開。ほかの季節には、そこにあることさえ気づかないような木々が、一年のこの時期だけは思いっきり自己主張している。  
 
 春はいつの年でも感動的だが、今年は花の鮮やかな色がいっそう心に染みる。じつは家庭の事情でこの春、タイに引越すことになったからだ。自分でもさんざん悩んだあげくの選択なので、後悔はしないつもりだが、それでも出発の日が近づいてくると、しかもこんな美しい季節に日本をあとにしなくてはならないと思うと、なんだか泣けてくる。タイに行ったら、四季の移り変わりは味わえなくなる。なにしろ、タイには季節がふたつしかない。ひとつは暑い季節。もうひとつは、うんと暑い季節!  

 これから数年間、向こうに滞在する予定だが、そのあいだもいまの仕事は頑張ってつづけたいと思っている。もちろん経済的にそうせざるをえないからだが、精神的にも仕事はとても重要だ。仕事をすることで日常生活から頭を切り替えられるし、暇だとくよくよと考えてしまうので。  

 一年前に横浜に引越してきたばかりで、ここの生活にようやく慣れてきたところでの移動なので、娘にはかわいそうなことをした。まあ、冬のあいだ娘が友達と観察しつづけたカモたちも、大半が渡ってしまったようなので、自分もそろそろ旅立つときが来たと思っていてくれるカモ。ただし、私たち親子の場合、春が来て南に渡るヘンテコな渡り鳥だけど。  

 次回の通信はバンコクからになる予定。夏の山登りと冬のスキーだけは私も娘もあきらめきれないので、日本には毎年何度か戻ってくるつもりだ。それでは、みなさま、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。